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■42779 / inTopicNo.1)  2重積分・フーリエ変換
  
□投稿者/ rest -(2025/04/26(Sat) 10:22:21)
    2025/04/26(Sat) 19:35:21 編集(投稿者)

     過去ログより

     投稿者/ rest -(2022/06/04(Sat) 10:36:30)

    No23541に返信(restさんの記事)
    問題 1 2変数関数f(X,Y)=X^2 +Y^2を積分せよ。領域R(1≦X≦2, 0≦Y≦1 )

    解) これは2重積分を解けばいい。
    ∫∫(X^2+Y^2)dX dY

    まず
    ∫(X^2+Y^2)dX

    を解く。その際Yは定数扱いする。
    ∫(X^2+Y^2)dX=[1/3X^3+XY^2] ………<上端2、下端1の定積分>……(1)

    (1)は計算すると
    =7/3+Y^2

    次にこれをYで積分すると
    ∫(7/3+Y^2)dY
    =[7/3Y+1/3Y^3] ………<上端1、下端0の定積分> ……(2)

    (2)の解は8/3


    問題 2 次の関数のフーリエ変換を求めよ。

    f(X)=1 (|X|<1 ) 、 
    f(X)=0 (|X|>1 )

    解) フーリエ変換の式
    F(ω)=1/√(2π)∫f(X)e^-iωX・dX ………(1)

    より
    F(ω)=1/√(2π)∫e^-iωX・dX ……<上端+1, 下端-1の定積分>

    =1/√(2π)・(-1/iω)[e^-iωX]

    =1/√(2π)・(-1/iω)[e^-iω−e^iω]

    =1/√(2π)・(e^iω−e^-iω)/iω ………(2)

    (2)はオイラーの公式より
    e^±ix=cosx±isinx
    変形して
    e^ix−e^-ix=(cosx+isinx)−(cosx−isinx)=2isinx

    sinx=(e^ix−e^-ix)/2i ………(3)

    (2)を変形して
    F(ω)=2/√(2π)・(e^iω−e^-iω)/2i・1/ω

    これに(3)を代入すると

    =√(2/π)・sinω/ω

     となる。


    上記の場合、ω≠0なので、ω=0では

    F(0)=1/√(2π)∫e^-iωx・dx=1/√(2π)∫dx

    =1/√(2π)[x] ………<上端+1,下端-1>

    =√(2/π)
    したがってω=0で連続である。

引用返信/返信 削除キー/
■42778 / inTopicNo.2)  ベクトルの直交(垂直)について
□投稿者/ rest -(2025/04/26(Sat) 10:02:46)
    2025/04/26(Sat) 11:27:59 編集(投稿者)

     ベクトルaとbのなす角をθとする。内積は
     a・b=|a||b|cosθと定義される。
    |a|と|b|はベクトルaとbの絶対値(大きさ)である。
    垂直であればθ=π/2(π=180度とするとπ/2=90度)なのでcos(π/2)=0
    従って
     a・b=0
    で示される。しかしこれは「矛盾」とは関係ない。
    「矛盾」はむしろ方向が逆向きの関係、すなわちθ=π(180度)だから
    cosπ=−1よりa・b=|a||b|(−1)で示されるべきである、と考える。
引用返信/返信 削除キー/
■42486 / inTopicNo.3)  神は自由か
□投稿者/ rest -(2025/04/19(Sat) 12:48:28)
    2025/04/20(Sun) 09:41:00 編集(投稿者)

    「もしわたしが災いを予告した民が悔い改めるなら、わたしは下そうと思っていた災いを思い直す」(旧約聖書エレミア書18章8節)
    神は災いを起こすことも選択できるが、災いを起こさないことも選択できる、という自由意志をもっている。
    実際ヨナ記でも預言の変更をしている。おそらく黙示録的預言も変更される可能性がある。むろんキリスト教的「神」を前提にしているが、これは超越的信仰の問題。私の立場はカント的不可知論だ。しかし「神」について思いめぐらす自由はある。
    そこで神は選択した。災いを起こさないという事実が実現し、災いという事実は起こっていない。神はすべての可能性を実現しているのではなく、選択して実現しているのである。それゆえに神は「自由」である、といえる。
    さらに全能の逆説においても、次のように応える。全能をなくするのも自由に選択できるし、もとに戻るのも自由に選択できるということ。完全な自由ということが前提だが、根本的なことは論理の問題ではなく、信仰の問題だ、と思う。それを私は否定しない。
    さらに未来は知ることができるか、について換言すれば全知は可能か、に行きつく。100年後、1万年後の世界が実在すれば全知は可能だが、実在しなければ全知は成り立たない。実在しないものを知ることはできないからだ。そもそも未来のできごとは我々の自由意志の選択の結果であって、様々な可能性が未決定のままなのでつまり未実現の状態が未来なので未来は実在しない、と考えるのが普通だろう。
    したがって神は全知ではない。また神は全知である必要がない。
    マクタガートのB系列論者は未来は実在すると考えるが、つまり三次元空間は固定した画像と同じで動きがなく、四次元ではじめて変化が現れると考えるが、これは決定論的運命を必然とする。それに対してカントの三次元空間は過去や未来の無数の三次元空間の存在を否定し現在における唯一無二の空間を絶対的存在と考え、その一つの三次元空間内ですべての動き、変化が生じる、とする。時間は社会的約束事であり、ルールであり、実体はない、と考える。過去はどこにも保存されず、痕跡を残し、消滅していく。それこそ仏教の諸行無常の世界だ。決定論ではないのであらゆる可能性を自由意志で選択することができる。
    未来が実在すると考える四次元論者は、神の全知を考えることができるが、三次元論者は神の全知を否定することになる。ただどちらが神の自由を認めることができるのか。
引用返信/返信 削除キー/
■42482 / inTopicNo.4)  多世界解釈と自由意志
□投稿者/ rest -(2025/04/19(Sat) 11:09:40)

     保存する価値があると思うので保存しておきます。

    □投稿者/ Appendix -(2025/04/15(Tue) 09:51:44)

    No42086に返信(Appendixさんの記事)

    私は殺人を犯した(選択した)ということと、私は殺人を犯していない(選択していない)ということがどちらも事実として存在しているなら、選択の意味はない。
    少なくとも自由意志の価値はない。自由意志の重みが消える。可能性のふたつのうち一つを選択したということは可能性のひとつは実現し、もう一つの可能性は実現していない。
    だからこそ自由意志なのだ。すべて実現しているなら選択の意味はないことになる。
    私が殺人を犯したという事実が実現し、殺人を犯していないという事実は実現していない。これが自由意志が選択した結果だ。どちらも実現しているなら自由意志は存在していないことになる。どちらも実現しているなら私はどちらも選択したことになり、殺人を犯した私は殺人を犯さなかった私と同一であるというトートロジーに矛盾が生じる。私は殺人を犯した、かつ私は殺人を犯さなかったという命題は恒偽式または矛盾式である。つまりありえない。
    繰り返すが自由意志が選択する、ということは、可能性の一つを実現し、可能性のもう一つを実現しないことだ。

    AまたはBというのはAかBかどちらか一方、ということになる。明日台風がくるか、来ないかはどちらかが一方に決まる。どちらも同時に決まることはありえない。排中律だ。
    しかしAかつBというのはAもBも両方が成立していることだ。明日台風でかつ雨が降る、というのはどちらも同時に成立できる。だがAかつAの否定というのは成立せず恒偽式であり、恒真式(トートロジー)ではありえない。

引用返信/返信 削除キー/
■42053 / inTopicNo.5)  Re[73]: 部分集合と真部分集合の違い
□投稿者/ rest -(2025/04/12(Sat) 10:38:10)
    No41998に返信(おくたがわさんの記事)
    > ■No41688に返信(restさんの記事)
    > こんにちは。
    >>2025/04/02(Wed) 09:58:16 編集(投稿者)
    >>
    >> 補集合とは、全体{1,2,3}のとき、A{1,2}の集合にとって{3}がAの補集合となります。
    >>
    >>次に、集合Aが{1,2,3}とした場合、集合Bの要素が
    >>0個のもの→φ(空集合)
    >>1個のもの→{1},{2},{3}
    >>2個のもの→{1,2}{1,3}{2,3}
    >>3個のもの→{1,2,3}
    >>これらがAの部分集合(もとの集合も含まれる)という。
    >>「真部分集合」とは上の部分集合からA(もとの集合)を除くことをいう。
    >>
    >>B⊂AだがA=Bではない。Bを真部分集合という。
    >>
    >>一般にn個の要素を含む「部分集合」の数は「2のn乗}です。
    >>「真部分集合」の数はそれを−1を加えればいいことになります。
    >
    > これ、計算しようとしてみて??となりました。
    > 『一般にn個の要素を持つ集合の「部分集合」の数は』ですね? それだと計算が合うと思います。
    > 単純に計算できるのが面白く思いましたが、考えてみると、個々の要素について当該部分集合に含む・含まないの二択なので 2のn乗 と。
    > いったんは止めておこうと思っていたので、遅いレスですみません。

    おくたがわさんの指摘がありましたので、指摘の箇所を訂正します。
    なお「2のn乗」に関しては補足する必要がありそうです。集合の要素がn個のとき、
    部分集合が0個の組み合わせはnC0通り、1個のときの組み合わせはnC1通り、2個のときの組み合わせはnC2,……n個のときの組み合わせはnCn通りになります。部分集合の数はこれらの和なのでS=nC0+nC1+nC2+……+nCnとなります。ここで二項定理を使います。
    (a+b)^n=nC0a^n+nC1a^(n-1)b+nC2a^(n-2)b^2+……+nCnb^n

    (n=1,2,……)
    ここでa=1,b=1とおきます。すると2^n=nC0+nC1+nC2+……+nCnとなります。
    従って集合の要素がn個のときの、部分集合の数は2^n個となります。
引用返信/返信 削除キー/
■41998 / inTopicNo.6)  Re[72]: 部分集合と真部分集合の違い
□投稿者/ おくたがわ -(2025/04/10(Thu) 11:31:03)
    No41688に返信(restさんの記事)
    こんにちは。
    > 2025/04/02(Wed) 09:58:16 編集(投稿者)
    >
    >  補集合とは、全体{1,2,3}のとき、A{1,2}の集合にとって{3}がAの補集合となります。
    >
    > 次に、集合Aが{1,2,3}とした場合、集合Bの要素が
    > 0個のもの→φ(空集合)
    > 1個のもの→{1},{2},{3}
    > 2個のもの→{1,2}{1,3}{2,3}
    > 3個のもの→{1,2,3}
    > これらがAの部分集合(もとの集合も含まれる)という。
    > 「真部分集合」とは上の部分集合からA(もとの集合)を除くことをいう。
    >
    > B⊂AだがA=Bではない。Bを真部分集合という。
    >
    > 一般にn個の要素を含む「部分集合」の数は「2のn乗}です。
    > 「真部分集合」の数はそれを−1を加えればいいことになります。

    これ、計算しようとしてみて??となりました。
    『一般にn個の要素を持つ集合の「部分集合」の数は』ですね? それだと計算が合うと思います。
    単純に計算できるのが面白く思いましたが、考えてみると、個々の要素について当該部分集合に含む・含まないの二択なので 2のn乗 と。
    いったんは止めておこうと思っていたので、遅いレスですみません。
引用返信/返信 削除キー/
■41974 / inTopicNo.7)  相互関税について
□投稿者/ rest -(2025/04/09(Wed) 22:47:22)
    2025/04/12(Sat) 10:54:54 編集(投稿者)

     ある国の貿易黒字は他国の貿易赤字を意味します。従って世界の貿易黒字の合計は世界の貿易赤字の合計になります。我が国の貿易黒字は良いことだ、もっと追求しよう、ということは他の国の貿易赤字は良いことだ、もっと追求しよう、といっているのと同じことになります。
    通説では貿易赤字が出ても別に問題はない、といわれています。金本位制では金が流出して大変なことになりますが、(管理通貨制)変動相場制のもとでは金利の変化で資本投資がおこなわれて支払いに不自由することはない、ということのようです。
     それでは貿易赤字はほんとうに問題がないのでしょうか。
    三面等価の法則における支出国民所得はY=C(消費)+I(投資)+G(政府支出)+X(輸出)−M(輸入)で示すことができます。国民所得のなかに貿易黒字は含まれています。これは明らかに他の国の貿易赤字を発生させていますので他の国の国民所得を減少させてしまうのです。2024年度の日本の対米貿易黒字は8兆6417億円ですが、同額の貿易赤字がアメリカで発生していますのでアメリカは同額の国民所得を失ったことになります。所得の移転、すなわち「富」の移転が発生していることになります。
     貿易黒字を毎年のように発生させている日本はアメリカの所得を減らすことに貢献しているのです。もっとも望ましいのは貿易均衡ですが、自由貿易では達成されません。
    トランプ氏の相互関税というのも貿易均衡をめざしたものですが、いろいろ問題があるようです。関税競争で世界経済が委縮していくのは目に見えています。
     相互関税で企業が生産性を高めて競争力をつけるというのが無駄であることが関税によって示されるので、企業は努力しなくなるというモラル・ハザードの問題も生じます。アメリカの企業も関税に守られて本来の競争力の源である生産性を競う、ということが損なわれるのではないか。その結果経済は停滞します。ただ、関税が期限付きのものであれば、有効かもしれません。期限内に競争力を回復させねば生き延びられないという動機付けが形成されるからです。
     関税よりももっと有効なのがあります。それは貿易黒字国が輸入を拡大して意図的に均衡をはかるということを義務付けるのです。貿易黒字国が均衡に向かえば、自然に貿易赤字国も均衡に向かいます。
引用返信/返信 削除キー/
■41843 / inTopicNo.8)  全能の逆説とは
□投稿者/ rest -(2025/04/06(Sun) 21:08:51)
    2025/04/06(Sun) 21:58:17 編集(投稿者)
     忘れかけているので保存しておきます。

     
    □投稿者/ Appendix -(2025/03/29(Sat) 12:04:20)

    2025/03/29(Sat) 21:19:32 編集(投稿者)

    「全能者は、自ら全能であることを制限し、全能でない存在になることができるか?」
    全能のパラドックス。全能はありえないとする論理的証明。

     詳しくは
     
     h-ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E8%83%BD%E3%81%AE%E9%80%86%E8%AA%AC

     補足:
     (上記の解釈。自分を全能でなくすことが不可能なら、全能者は不可能があるので全能とはいえない。一方自分を全能でなくすことができるなら、それを行った時点で全能者は全能でなくなっている。)
     もう一つの例がある。全能者は《重すぎて何者にも持ち上げられない石》を作ることができるか?
     解釈は次の通り。(そのような石を作れないなら、全能者は全能とはいえない。作れるならその石を持ち上げられないので、全能ではないことになる。)

引用返信/返信 削除キー/
■41768 / inTopicNo.9)  排中律
□投稿者/ rest -(2025/04/05(Sat) 10:45:50)
    2025/04/05(Sat) 10:48:36 編集(投稿者)

     これも保存しておきます。

    □投稿者/ Appendix -(2025/04/04(Fri) 10:01:58)

    「明日は台風が来るか、来ないかだな」これを排中律という。明日なにが起ころうとも必ず真なので無内容なつぶやきである。意味論の問題としてはこのトートロジーは世界について何事も述べてない。(『論理学入門』三浦俊彦著 p32より)

    演算子の式で表すと PV〜P 。

引用返信/返信 削除キー/
■41765 / inTopicNo.10)  実質含意のパラドクス
□投稿者/ rest -(2025/04/05(Sat) 09:57:57)

     消えるのが惜しいので保存します。

    投稿者/ Appendix -(2025/04/02(Wed) 22:30:04)
    2025/04/02(Wed) 22:32:22 編集(投稿者)

    実質含意のパラドクスについての雑感。
    「AならばBである」で前件が成り立たなければ後件が正しくても、誤っていても真である。内容上は関連性がないので、確かに違和感があります。ただ言葉を補えば、真であることがわかります。たとえば
    1)「1+1=2ならば、雪は白い」……前件(真)→後件(真) 全体は真
    2)「1+1=5ならば、雪は白い」……前件(偽)→後件(真) 全体は真
    3)「1+1=5ならば、雪は黒い」……前件(偽)→後件(偽) 全体は真

    言葉を補足すると、納得がいきます。
    1)は「1+1=2が正しいとするようなものならば、雪は白いというのも正しいとするようなものだ」了解できます。
    2)は「1+1=5が偽であったとしても、雪は白いというのは正しい」
    3)は「1+1=5が偽であるのと同様に、雪が黒いというのも偽です」
    あるいは「1+1=5みたいなものであれば、それは雪は黒いみたいなものです」
    上記のように内容上の関連性を補足すれば納得がいくかもしれない。
引用返信/返信 削除キー/
■41688 / inTopicNo.11)  部分集合と真部分集合の違い
□投稿者/ rest -(2025/04/02(Wed) 09:30:00)
    2025/04/02(Wed) 09:58:16 編集(投稿者)

     補集合とは、全体{1,2,3}のとき、A{1,2}の集合にとって{3}がAの補集合となります。

    次に、集合Aが{1,2,3}とした場合、集合Bの要素が
    0個のもの→φ(空集合)
    1個のもの→{1},{2},{3}
    2個のもの→{1,2}{1,3}{2,3}
    3個のもの→{1,2,3}
    これらがAの部分集合(もとの集合も含まれる)という。
    「真部分集合」とは上の部分集合からA(もとの集合)を除くことをいう。

    B⊂AだがA=Bではない。Bを真部分集合という。

    一般にn個の要素を含む「部分集合」の数は「2のn乗}です。
    「真部分集合」の数はそれを−1を加えればいいことになります。
引用返信/返信 削除キー/
■41685 / inTopicNo.12)  多世界解釈の理論的欠陥
□投稿者/ rest -(2025/04/02(Wed) 08:21:58)
    2025/04/02(Wed) 08:33:12 編集(投稿者)

     これも消えていくのが惜しいので保存しておきます。なおここで展開されている「保存則」とはエネルギー保存の法則のことです。

     
    □投稿者/ Appendix -(2025/03/26(Wed) 09:17:59)
    並行世界(パラレルワールド)が怪しくなってきた。2025年の最新の説を紹介したい。

    「多世界を導入しなくても、保存則が成立するなら、そもそも多世界を仮定する必要があるのか?」という問いが浮上してきた。

     Collins & Popescuの研究は、多世界解釈の中で重要視されてきた、「測定時における保存則の説明」を、単一世界のみで実現しうる道を開いた可能性がある。

     詳しくは

      h-ttps://nazology.kusuguru.co.jp/archives/168764
引用返信/返信 削除キー/

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