| おはようございます。 なるほど、哲学というのは、何かしら奥が深そうですね。
研究畑にいた私は、論文を抽象化する練習ばかりしていたので 私の文章が抽象的になっていくのは勘弁してほしいです。 哲学者の方々には理解しにくいのかもしれませんね。
100分de名著「純粋理性批判」を拝見させてもらい 1話目、2話目、3話目は別に問題はなかったのです。 素晴らしい人だなと思いました、
しかし、4話目で道徳に結びつけたのが、 「おかしい」と思いましたね。
拝見した結果、 現在の私の頭では、このようになりました。
――――――――――――――――
未来は1つしかないよ 目の前には2つのアウトプットがあるよ。 善いアウトプットと悪いアウトプットです。 カントが言うには、こういった2つのアウトプットに縛られず 生まれつき備わった道徳律に従って自由に第3の道を選びましょう
――――――――――――――――
という事なんでしょうが、 このカントがいう第3の道が、簡単にできる代物ではないと私は判断します。
誰しもの人生において究極の選択に迫られた事があると思います。 善い行い、悪い行い、どっちを選ぶか? これは当然、悩みになり、心が蝕まれる要因になります。
仏教では「両忘」という教えがあり、 この漢字の成り立ちから察するに、
善い行い、悪い行いを忘れましょう そしたら、第3の道が現れて、悩みもなくなりますよ (天秤で考えると理解しやすい、善い行いか、悪い行いか 心の中で、ギッコン、バッコンしているわけです。)
というニュアンスと感じますが、それは間違えであって、
善い行いを徹底的に勉強しましょう。 悪い行いを徹底的に勉強しましょう。 すると、善い行い、悪い行いが知らぬ前に釣り合って 天秤で例えると平衡を保ちますから、 善い行い、悪い行いという究極の選択に悩まされる事はないので 時間がまるまる空き、第3の道が開かれますよ
という意味です。 これに関してはレベルの高い方々も実行していますね。 私も実行し、悪い行いを勉強しても、悪い事はしません。 なぜ、悪い事までも勉強しないといけないのか?というと それは、悪人に騙されないようにするからです。 (オレオレ詐欺だとか)
そう考えた場合 カントがいう第3の道(道徳的な生き方)というのは、 ★無知で単なる絵空事★と感じます。
カントは結婚をしてないのでは?と思っていましたが やはり、結婚をしていない。 純粋理性批判は、金持ち相手の商業的なもんじゃないの?と 思ってしまいます。
――――――――――――――――
未来は1つしかないよ 目の前には2つのアウトプットがあるよ。 善いアウトプットと悪いアウトプットです。 カントが言うには、こういった2つのアウトプットに縛られず 生まれつき備わった道徳律に従って自由に第3の道を選びましょう
――――――――――――――――
もう一つの反論は、時に悪いアウトプットも必要という事です。
例えるなら、法律で言う所の「正当防衛という名の有罪」です。 未来が1つしかないのですから、 相手に殺されそうになっているのに、脳の中の道徳律に従うわけがない。 という事です。 だって、こっちが死ぬんですから。
脳は、爬虫類脳(安全)、哺乳類脳(仲間意識)、人間脳(成長・目的)などありますが カントがいうのは、どの領域を指すのか? カントは哺乳類脳だけで考えていないかなと思いますね。 結構、穴だらけなんじゃないのかな。
はい、そういう事です。 もし、この私の文章が意味の解らないもので、 反論する余地もないというのなら、 私はこのトピから抜けます。 皆様の邪魔をしたくないからです。
|