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■2141 / inTopicNo.1)  Re[78]: 宇宙の闇について
  
□投稿者/ rest -(2019/12/08(Sun) 23:17:53)
    No2116に返信(restさんの記事)
    > 宇宙の背景にある闇について考えてみた。太陽のような巨大な恒星が放つ光が、もし宇宙の果てが有限なら、反射して戻ってきて、宇宙の闇が消えるだろう。しかし光は反射して戻ってくる気配がない。やはり宇宙は無限なのだ。どこまで行っても光が反射することがない。太陽の光は昼間はありとあらゆるものを輝かせるが夜は闇の底に沈む。日常的には昼と夜で光と闇の比率は1対1で等しいのだが宇宙全体から見ると光の割合よりも闇の割合が大きい。それだけ光は希少価値なのだ。自然は見かけ上のバランスよりも本質的にアンバランスなのかも知れない。人間の心も自然に放置すればバランスのとれるようになるというのは幻想に過ぎない。アダムスミスの神の見えざる手というのは幻想かもしれない。バランスはアンバランスに転化するのが自然なのだ。だからバランスには努力が必要なのだ。
    > 暗闇の夜道を照らす小さな光のように真理はささやかな光である。希少価値の光である。どんなに輝く恒星も宇宙全体から見ると小さな点に過ぎない。しかし美しい夜景だ。

    反論があった。宇宙の果てを有限とする立場から、宇宙の果てを炭素と仮定すると、光は吸収されて反射がないことが理解できると。
    元素の周期表からすると、元素の種類の数は103個ある。炭素の存在する確率は1/103に対し炭素でない確率は102/103と極端に違う。一元的に炭素とは考えにくい。炭素はまばらに存在すると考えるのが自然だ。だとすると一元的に存在する宇宙の闇は炭素とするのは不自然すぎる。無限の距離で反射がないと考えるのがとても自然だ。
    ビッグバンは物質の塊である最古の星を宇宙の果てと考えているようだから、その向こうに広がる空間の果ては考慮されていないようだ。最古の星の背景にある闇について語っていない。背景輻射とか暗黒物質で宇宙の一元的な闇は説明できないだろう。
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■2131 / inTopicNo.2)  Re[80]: 遺伝子と意志
□投稿者/ rest -(2019/12/05(Thu) 10:57:54)
    我々の行動はかなり遺伝子に規定されているように思えるが、本当にそうだろうか。我々が教室で学ぶ場合黒板に書かれた文字は遺伝子の中に組み込まれているわけではない。本を読む場合分厚い本の文字はあらかじめ遺伝子の中に書き込まれているわけではない。遺伝子にはない外部から吸収して成長していくという面がある。それが意志だろう。遺伝子に規定されない外部の文字をあるいは経験を学習していく意志の側面が独立して存在しているようだ。遺伝子という環境に規定されない自由意志が存在しているのは明らかだ。ただ意志に弱い、強いの度合いがあるのも事実だ。不可抗力と思える環境に押しつぶされていく人間、それをはねかえして肥やしにして成長する人間、実に様々だ。定石がない、ということか。環境につぶされそうになったとき、誰かに助けを求めるというのも賢明だ。自力も他力も混然一体となって道を切り開く、ということかもしれない。ヒュームの経験論による因果説も恒常的連接を主観的必然性と考えると主観性ゆえに自由意志の可能性が開く。ヒュームは同意しないかもしれないが、自由意志は習慣を変えることができるゆえに、必然性に規定されない。
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■2126 / inTopicNo.3)  Re[79]: 宇宙の闇について
□投稿者/ rest -(2019/12/04(Wed) 10:11:10)
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■2125 / inTopicNo.4)  Re[78]: 宇宙の闇について
□投稿者/ rest -(2019/12/04(Wed) 09:55:55)
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■2116 / inTopicNo.5)  Re[77]: 宇宙の闇について
□投稿者/ rest -(2019/11/30(Sat) 23:40:25)
    宇宙の背景にある闇について考えてみた。太陽のような巨大な恒星が放つ光が、もし宇宙の果てが有限なら、反射して戻ってきて、宇宙の闇が消えるだろう。しかし光は反射して戻ってくる気配がない。やはり宇宙は無限なのだ。どこまで行っても光が反射することがない。太陽の光は昼間はありとあらゆるものを輝かせるが夜は闇の底に沈む。日常的には昼と夜で光と闇の比率は1対1で等しいのだが宇宙全体から見ると光の割合よりも闇の割合が大きい。それだけ光は希少価値なのだ。自然は見かけ上のバランスよりも本質的にアンバランスなのかも知れない。人間の心も自然に放置すればバランスのとれるようになるというのは幻想に過ぎない。アダムスミスの神の見えざる手というのは幻想かもしれない。バランスはアンバランスに転化するのが自然なのだ。だからバランスには努力が必要なのだ。
    暗闇の夜道を照らす小さな光のように真理はささやかな光である。希少価値の光である。どんなに輝く恒星も宇宙全体から見ると小さな点に過ぎない。しかし美しい夜景だ。
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■2106 / inTopicNo.6)  Re[76]: 自由な関係とは 2
□投稿者/ rest -(2019/11/28(Thu) 09:45:26)
    2019/11/28(Thu) 09:48:52 編集(投稿者)

    市場における自由な関係は競争以外に自由な取引に現れる。現代の市場は貨幣を媒介にした間接取引だが、もともとは物々交換における直接交換から始まっている。自由な取引は直接交換の交換比率をめぐっての交渉から始まる。
    Aは自分の手持ちの商品aをBの手持ちの商品bと交換したいと思っている。なぜかというとAはaの必要性よりもbの必要性が高いと思っているからである。自由意志は必要性の低いものから高いものへ選択するのである。ただしこの場合Bもbの必要性よりもaの必要性が高くなければ取引は発生しない。ここではBはbよりもaのほうが必要性が高いと想定してみよう。すると交換が起こる。数値で示すとわかりやすいので数値表記すると、Aのaに対する必要性は7としbに対する必要性は10とする。Bのbに対する必要性は12とし、aに対する必要性は15とする。必要性の格差を利益とおけばAの利益は10-7=3である。Bの利益も15-12=3であり、AとBは利益が一致する。この時Aに与えられる価値評価は7+15=22であり、Bに与えられた価値評価は10+12=22であり、AとBの価値が等しいということがわかる。これが等価交換の意味である。このように等価交換になるように数量調整がおこなわれることになる。
    従来の労働価値説や効用価値説とは異なるがこの考え方が筋が通っているように思える。市場における自由な取引はこのような様相として現れる。ある意味対等な取引である。市民的な対等な関係とは、これ以外に共感による取引も含まれる。
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■2093 / inTopicNo.7)  Re[75]: 自由な関係とは
□投稿者/ rest -(2019/11/23(Sat) 16:54:44)
    2019/11/25(Mon) 09:50:43 編集(投稿者)


    自由な関係とは自由な競争関係という経済学の主要なテーマになりそうだが、必ずしも競争関係ばかりが自由な関係とは限らない。
    市民社会においては支配ー被支配のない関係すなわち対等な関係も自由な関係なのだ。自由な競争が結果として上下の序列関係をもたらし、つまりは結果として支配ー被支配の関係をもたらすとしたら市民社会における対等で自由な関係とはまったく異なるものだ。スポーツなどの競技は別に問題ないが、実社会における権力闘争は、つまりは支配ー被支配をめぐる闘争は市民社会の自由とは違うということだ。むしろ権力をめぐる自由競争とは対極にあるのが市民社会の自由だ。むろん選挙における政権選択は一種の権力闘争にちがいないが、そこはスポーツと同じできちんとしたルールがあり一般市民に被支配という屈辱を与えるものではない。市民の自由を奪うものではない。だから選挙は基本的にスポーツと同じで公平なものだ。市場競争もルールに基づいたものであれば市民社会の自由と矛盾するものではない。
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■2092 / inTopicNo.8)  Re[74]: 自由意志の選択(経済学の誤謬)5
□投稿者/ rest -(2019/11/23(Sat) 11:54:01)
    2019/11/23(Sat) 16:10:42 編集(投稿者)

    操業度が低い場合はどうだろうか。前にも展開したがアメリカの例でいうと、円安の時日本はアメリカへの輸出を増やすがつまり操業度を上げて生産を拡大して輸出を増やすが、アメリカでの価格は下がり、売れ行きは伸びる。しかしそれは他国の輸出品の価格が相対的に高く感じられ消費者が他国の輸出品を選ばず、日本の輸出品を選択した結果である。つまり輸出品増は他国から日本の輸出品にシフトした結果であり、総じて日本の輸出品の増加は他国の輸出品を減らしており、全体として輸出は伸びているわけではない。個別には増加しても輸出全体は増加していないのである。
    日本の輸出はアメリカからみると輸入である。日本の輸出の増加はアメリカの輸入の増加ではない。日本の輸出の増加はアメリカへの輸出全体では増えず。従って輸入全体も増えないということが理解できる。
    そこでアメリカのトランプさんが日本の輸出を規制したいといっているがアメリカの輸入全体が不変なのでアメリカの雇用問題は日本だけの問題ではない。たとえ関税をかけて日本の車の輸出を減らしても、相対的に割安の他国の車の輸出が増えるだけだ。
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■2091 / inTopicNo.9)  Re[73]: 自由意志の選択(経済学の誤謬)4
□投稿者/ rest -(2019/11/22(Fri) 10:12:00)
    2019/11/22(Fri) 23:17:35 編集(投稿者)

    円安では一般的に輸出は増加するとされているがどうだろうか。タイ国との関係でバーツ高円安を想定してみよう。タイ国で価格が下がって売れ行きが伸びると予想されるとき、日本での工場の生産規模が一定(操業率最大)とすると輸出を増やすには為替レート一定の中国への輸出を減らしてタイ国へ振り替える必要が生じてくる。
    円安でタイ国の輸出が増えても中国の輸出が減っているので、個別で増えても全体として輸出は増えていないことがわかる。
    このように円安で一般的に輸出が増えるという通説は誤謬であることが示された。生産規模を拡大して増産するには時間がかかる。その間レートがかわり、円高に戻る可能性もある。長期的にレートが不安定の場合、タイ国への輸出を増やすにはあるいは利益を増やすには中国の輸出を減らして振り向けるのが合理的なのである。その意味で円安で一般的に輸出が増えるというのは間違いであると指摘できる。
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■2089 / inTopicNo.10)  Re[72]: 自由意志の選択(経済学の誤謬)3
□投稿者/ rest -(2019/11/20(Wed) 19:03:51)
    (訂正)
    ドル基軸通貨システムでもバーツ高円安が個別に生じる。タイ国とアメリカとの関係でバーツ高ドル安が生じれば日本の円はドルと連動しているので、円とドルの相場がかわらなければバーツ高ドル安はバーツ高円安になる。すると中国の元の相場が一定とすれば中国製品は割安となり、タイ産の輸入品を減らし、中国産の輸入品が増加するようになる。円安で個別に輸入品は減るが代わりの輸入品が増えて全体として輸入量は減らない。そのことから円安で一般的に輸入が減るという通説は誤謬だということがわかる。
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■2088 / inTopicNo.11)  Re[71]: 自由意志の選択(経済学の誤謬)2
□投稿者/ rest -(2019/11/20(Wed) 12:06:35)
    2019/11/20(Wed) 12:25:53 編集(投稿者)



    外国為替市場において円安ドル高になるのはドルの需要増が原因だ。ドル需要増の要因として考えられるのは輸入によるドル需要の増加だ。輸入には円をドルにかえ、ドルで輸入品を購入する必要があるからだ。輸入が増えると円安ドル高がすすむことになる。さらには金利要因がある。現在のように金利が低いと相対的に高い外国の金利を求めてドル需要が増加する。つまり円安ドル高がすすめばすすむほど輸入の増加や金利の低下がすすんでいることを示している。一般的に円安になると輸入が減るという通説は誤謬であることがわかる。
       しかし円安ドル高になると輸入品の価格が値上がりし輸入が減るのではないか、という指摘がある。ドルが国際通貨なのですべての他の国の通貨に対しても円安になってしまって区別がつかないが、ドルをはずしてみるとたとえばタイ国の通貨バーツに対して円安になると、中国の通貨元が円との交換比率が不変だとすると、輸入品はタイ国産を減らして、中国産を増やそうとする。現在のシステムでいうとアメリカとの関係で円安がすすむとユーロとの交換比率が不変とするとアメリカからの輸入が減ってヨーロッパからの輸入が増えるということになる。つまり円安になっても輸入は個別に減っても全体としては減っていない。ドル基軸通貨ではないシステムではそれが明らかになるだろう。
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■2087 / inTopicNo.12)  Re[70]: 自由意志の選択(経済学の誤謬)
□投稿者/ rest -(2019/11/18(Mon) 10:01:24)
    自由意志の選択行為として現れるのが経済である。おもに消費者の選択だろう。
    今朝の日経新聞によると2000年以降円安傾向が続き旅行収支は黒字が拡大傾向にある。円安になると外国人の旅行客が増えいわゆるインバウンドの増加がみられる。円安になって外国人の旅行ニーズが高まったのは本当だろうか。円安になると他の国の通貨が割高になる。たとえば円安はドル高だからアジアの旅行客はアメリカの旅行を控え日本の旅行を増やすだろう。つまり日本への旅行客の増加は他の国の旅行客を減らしているのである。本来なら他国へ流れる旅行ニーズを奪い取っているのである。総じて円安になっても旅行ニーズは個別に増えても全体としては増えていないのである。
    円安でアメリカでの輸出は増加しているが、他の国の通貨は相対的に高く見え他の国の輸出を減らしている。つまり、個別に増加しても全体としては増加していないのである。アメリカの消費者は価格の安い製品を高い製品と比較して安いほうを選択しているのである。高い価格から低い価格へのシフトであってニーズ全体は増えていない。価格が低下すると一般的にニーズが増加するというのは間違いであって全体としては増えていない。アメリカでの円安による価格競争は市場のニーズを一般的に増やすという、需要曲線の考え方は破綻している。
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