□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/29(Sat) 17:00:45)
| 「他我問題」っていうのあるみたいで、コトバンクに、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 〈他人の心〉をいかにしてわれわれは知りうるかという哲学的問題。例えば,友人と赤の交通信号を見る。そのとき私と友人の赤の感覚は同じだろうか違うだろうか。あるいは,友人はそもそも何かの色を感じているのだろうか。それを直接にテストする方法はありえない。私は友人ではないからである。しかし間接的方法ならある,というのがこの〈他我問題〉での類推説である。赤を見たときの私の行動的反応と友人のそれとがほぼ同じならば友人は私とほぼ同じ感覚をもったと類推できる,というのである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一部抜き出しました。
でね、サリーとアン課題――「心の理論」っていうのを想い出した。 【『はじめて出会う心理学』長谷川寿一・東條正樹・大島尚・丹野義彦[著]発行所有斐閣2000】 のなかで、 〔・・・・他者の心の状態(信念・欲求)を推測し、他者の行動の予測したり解釈したりする能力は「心の理論」とよばれるものです。理論というとどこかおおげさな響きがありますが、直接、目には見えない心の状態を推測し、それに基づいて他者の行動を予測したり説明するのですから、他者の心についてのセオリーということなのです。・・・・〕(p60) ってある。 たしかに「理論」っていうと、、、、、 で、「実用日本語表現辞典」に、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ *セオリー(theory)とは、物事の因果関係や法則性を体系的かつ合理的に説明するための知識・思考・見解、という意味で用いられる言葉。日本語では「理論」「学説」または「〜論」、文脈によっては「持論」や「定石」の意味で用いられることも多い。 *英語の theory(セオリー)は、基本的には、仮説や推論によって論理的に導き出された一般的原理を指す語である。セオリーは普遍的な真理を意味するわけではない。相反するセオリーが同時的に併存する場合も少なくない。 *日本語における「セオリー」は、経験的に有効・妥当・最善・無難であると見込まれる(蓋然性が高い)方法や手順、といった意味で用いられることが多い。たとえば「面接試験におけるセオリー通りの受け答え」といえば「当たり障りのない模範的な返し方」を意味する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ってあった。日と英では「セオリー」の意味が微妙にちがうのかな?
「心の理論」っていうの、もうすでにみなさま知ってると思うけど、わたしの復習のために。 今日は、 心の理論 / サリーとアン課題 / 他者理解 (theprompt.jp) に、絵があるので、それをまねしてわたしが描いたのを添付します。
このなかに書いてあるのを一部書いて見ます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ @サリーとアンがお部屋にいます。 Aサリーは大好きなボールをカゴの中に入れました。 Bサリーはお部屋から出て行きました。 Cアンはカゴの中のボールを箱の中に移しました。 Dサリーが戻ってきました。 という物語を子どもに聞かせます。
ここで子どもに質問を出します。
質問1: ボールはどこにありますか? (カゴの中ですか、箱の中ですか?) 質問2: ボールで遊びたいサリーは、どこを探しますか? (カゴの中ですか、箱の中ですか?)
質問1の答えは、「箱の中」ですね。これは、子どもが物語を正しく理解したかを確認するための質問です。本当の質問は2番なんです。質問2の答えは、「カゴの中」ですね。
子どもが、サリーの心の中を理解していると、「カゴの中」を探すと答えられます。この様に他者を理解する能力のことを「心の理論」と呼ばれるのです。
普通の子どもの場合、3歳児はほとんどの子が間違えて、4歳ぐらいから正解が増えてくると言われています。「心の理論」は3歳ぐらいで芽生えると言われてきましたが、最近の研究では1歳半ぐらいから芽生えているのだそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
直接、目で見ることができない他者の心の状態(信念・欲求)を推測し、他者の行動の予測したり解釈したりする能力は、一般的に、けっこう早くに持ってるみたい。こういうのって、アプリオリなのかも?
もっとも大人になってもこの能力がプア〜な人もいるかも?だけど。あ、違うかも?大人になるにつれて、余計な理論が染みついちゃって原初で自然なこの能力がだんだん萎縮してしまってる、こっちの方かな?
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