■31048 / inTopicNo.99) |
純粋理性批判B150−
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□投稿者/ pipit -(2023/06/11(Sun) 23:48:18)
| みなさまこんばんは No30895の続きです! J. M. D. Meiklejohnさんの英訳文を引用します。
And in this manner the categories as mere forms of thought receive objective reality, that is, application to objects which are given to us in intuition, but that only as phenomena, for it is only of phenomena that we are capable of a priori intuition.
https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap50
翻訳アプリDeepLに日訳していただきました。 ↓ 『このようにして、単なる思考の形式としてのカテゴリーが、客観的な現実を獲得する。つまり、直観において与えられる対象への適用であるが、それは現象としての適用にすぎない。』
むむ、、、前の文を読んだ時に考えたことなども忘れてるので、『このようにして』がわからない、、、
思い出すためにNo30895より再掲します。 ※※※※※※※※ (pipit感想) カントの文章を、逆に辿って理解にチャレンジしてみます。
@人間の感性で自分の外の世界にある対象として像を得られる時、その像の条件は、
A感性の受容的能力で得られた多様な像を、知性の自発的能力で一つの意識にまとめ上げた統一的総合的像となってる、と。
そんで、認識工程の結果像である@は、カント的には「to determine the internal sense 」いろんな心の内に生じる(外のものとして内に生じる)感覚を、「私は考える・・・」という意識に統一として、ある個別の対象として、規定した結果なのかな、と、思いました。 ※※※※※※※※ 再掲終わり
(今日6月11日のpipit感想) んー、力技な気がするかなぁ、どうかなぁ
思考の形式アプリで、感性センサーで集めたデータを編集して、対象像を作成したとき、 その思考の形式アプリ内の概念は、対象像(客体)を規定する概念となる、ということかなぁ。
概念が現実となる、ということかなぁ。
明日読めたら、御子柴善之先生の解説見てみようかな。 今日はおやすみなさい☆彡
♪ Avicii - Dear Boy https://youtu.be/RrXddyljF7U
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