| わたしこのごろ「意識」について調べてる。
そう、言語の世界ね。でもねこれは著作権法っていう文化的権利っていう法を持ち出す人(何様のつもりなのかしら?)にとっては不快になるかもね。だって「言語」ってわたしが作り出した「語」じゃなくてどこの誰かが作り出したものよね。「意識」っていう「語」を使うと自体が著作権法に違反することになるのよ。 でもね、わたしあえて書いちゃうことにした。そういう人たちの言いなりになってるとな〜んも”発言”できなくなっちゃうから。
「意識」ってなあに?――その意味、わたしのはどうしとこかな〜って。
まず、コトバンクからわたしが抽出したのを書いて見ま〜す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最新 心理学事典 1)一般的には現在の経験している自分の状態や周囲の状況などを感知している心の状態を指す。 2)意識は主観的な現象 3)注意による気づきawareness(アウェアネス),あるいはその過程を示す場合にも使われる。 4)直接経験として見たり聞いたりしている自己に気づくのは,外界への気づきによる意識であり,問題を抱えているときにその解決の見通しに気づいたりするのは内的な気づきによる意識と考えられる。この意味では,意識は内外の環境への気づきによって,主体としての自己が経験される過程で生まれる志向的な心の状態であるといえる。 5)しかし,意識には制約性が伴うので,すべての経験や行動が必ずしも意識されるとは限らない。この制約があるのは,気づきという志向的な心を担う機制に制約性と選択性があるためだと考えられている。脳の活動は意識と密接にかかわる一方で,同時に無意識な心的状態ともかかわることがわかってきた(たとえば,精神分析では意識は適応機能の担い手とされるが,無意識についてはその力動性に注目する)。
日本大百科全書 1)心理学における意識とは、個人によって体験され、気づかれていることをいう。 2)意識という用語は多義的で、知っていることの内容を意味することもあり、また、知ったり気づいたりの過程を意味することもある。 3)いずれにせよ、意識は主観的なものであり、経験や行動はすべて意識されているとは限らない。 4)意識されるものと意識されないものとの境界は識閾(しきいき)とよばれる。とくにはっきりと意識することを注意というが、意識の範囲と注意の範囲とは同じ意味で使われる。 5)いわゆる意識調査の意識のように、態度と同義語として使われることもある。 6)デカルト、カント、フッサールに代表される西洋の伝統的近・現代哲学によれば、およそ人間が経験し知るいっさいのものは、意識を通じ、「意識された」ものという形で経験され知られるが、その際、経験され知られるほうのものは、普通、意識の「対象」ないし「意識内容」とよばれ、経験し知る働きの側面は「意識作用」と称される。
ブリタニカ国際大百科事典 1)広義には,われわれの経験または心理的現象の総体をさし,狭義には,これらの経験中特に気づかれる内容を意味する。 2)意識はいずれにしても主観的で,個人的であって,内省によってのみ把握できる直接経験である。意識は単に観念の集りではなく,一つの流れであり (W.ジェームズ) ,その状態には明瞭な焦点と明瞭でない辺縁部とが区別される。また意識が覚醒状態であるとすれば,覚醒していない状態を無意識として総括することもある。
百科事典マイペディア 1)通常は人が自己または外界についてもつ直接の明証的な認知をさす。 2)意識の作用を重視する立場はとりわけカント,およびその構成主義を引き継いだフッサール(志向性)にも見られる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういのから共通するのを簡単に見ると、 @現在の経験(直接経験)におけるもの。 A自分の状態を知るという心の状態。 B周囲の状態(外界)を感知しているという心の状態。 C主観的な心理的現象であるということ。 D注意、気づかれているものであるということ。 E経験や行動は意識されているとは限らない。無意識的な心的状態。 そして、 「意識されたもの」―――意識を通じて人間が経験し知るもの 「対象」「意識内容」―――経験され知られる方のもの 「意識作用」―――経験し知る働き
ここでわたしが注目したのは、「意識」っていうの、「現在の」「経験における」「主観的」「個別的」の、っていうところ。
あと、「意識の階層」と「脳とのかかわり」について書いてあったのを表にしてみました。添付します。
ちなみに、 [arousal]をネットで調べたら、 ・喚起---呼び覚ます行為 ・覚醒---高められた生理活動の状態 ・眠りから目を覚ますこと ・刺激、興奮、呼び水 ってあった。これって、 〈私の志向性によって、地の上に、あるものが図として際立って現れる〉、とか〈触発〉みたいな意味にも取れる。
たしか、フッサールにおける「意識」については、 【「現象学事典」編集委員 木田元・野家啓一・村田純一・鷹田清一弘文堂】のなかで、 〔フッサールにおいて総合は意識の原形式であり、その特徴は「流れ去る多様の統一」と規定される。〕 だった。
フィロソフィアがプアーな人たち(著作権法を持ち出す人たち)の顔色をうかがいながら、は、もう、ヤメね。
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