(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■18239 / inTopicNo.49)  Re[20]: 私と世界
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 17:31:01)
    こんにちは、おくたがわさん。
    ミクロコスモスの部分ですが、5.63と同じくらい5.64〜5.641は全文が重要であると思います。


    5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス。)


    5.64 唯我論が厳格に貫徹されると純粋な実在論と合致することがここで見てとられるのである。唯我論の自我は延長を欠いた点にまで縮退し、そして自我に相関した実在は残ったままである。

    5.641 従って、哲学で非心理学的に自我を論じうることの意義が、現実に存在するのである。「世界は私の世界である」ということを通して、自我は哲学の中へ入ってくる。哲学的自我は人間ではない。人間の肉体でも、心理学が関わる人間の魂でもない。それは形而上学的主体であり、世界の部分ではなくて、限界である。





引用返信/返信 削除キー/
■18246 / inTopicNo.50)  紺色と藍色
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 19:04:55)
    紺色は私が染色し、藍色は他者が染色したとする。

    それを色彩感覚が少しおかしい第三者が紺色は黒色、藍色は水色と思い込み主張した。

    黒と水色は全然違うし、もちろん青色とも違うと主張した。

    この人に黒色は紺色で、水色は藍色で、紺色と藍色は似ているということを分からずことはおそらく無理だろう。


    色眼鏡を嵌めている自覚がない、自覚しようとすらしない人はどうしようもない。

    夜店の金魚すくいの水槽を泳ぐミドリガメ。

    すくいようがないw




引用返信/返信 削除キー/
■18247 / inTopicNo.51)  写像と対応像は違うかな?
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 19:11:47)
    私、ウィトゲンシュタインのこと全然知らないんだけど、
    写像って言葉出てるから、最近考えてること連想した。

    写像じゃなくて、対応像として意識が造られてる可能性あるかもと思ってる。

    内を生き続けさせるために、外と内を写像ではなく対応像として表出してる。

    自分として像を出す。外にある食べ物として像を出す。写像じゃなくて対応像。

    また変わるかもだけど、今なんとなく持ってるアイデアを書いてみましたー。
引用返信/返信 削除キー/
■18248 / inTopicNo.52)  Re[23]: 写像と対応像は違うかな?
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 19:17:39)
    ん?

    写像と対応像は同じ意味なのかな?
引用返信/返信 削除キー/
■18250 / inTopicNo.53)  Re[24]: 写像と対応像は違うかな?
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 19:19:48)
    あー、独在だと、写像や対応像はないのかー

    外がないから?
引用返信/返信 削除キー/
■18252 / inTopicNo.54)  Re[25]: 写像と対応像は違うかな?
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 19:25:57)
    No18250に返信(pipitさんの記事)
    > あー、独在だと、写像や対応像はないのかー

    > 外がないから?

    内観してもらう方が手っ取り早いです。
引用返信/返信 削除キー/
■18254 / inTopicNo.55)  〈私〉
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 19:32:30)
    考える必要も、探す必要もありません。

    今、そこにある誰でもない自分のことです。
引用返信/返信 削除キー/
■18255 / inTopicNo.56)  Re[21]: 私と世界
□投稿者/ おくたがわ -(2021/11/03(Wed) 19:33:59)
    No18239に返信(パニチェさんの記事)

    > こんにちは、おくたがわさん。
    > ミクロコスモスの部分ですが、5.63と同じくらい5.64〜5.641は全文が重要であると思います。
    >
    >
    > 5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス。)
    >
    >
    > 5.64 唯我論が厳格に貫徹されると純粋な実在論と合致することがここで見てとられるのである。唯我論の自我は延長を欠いた点にまで縮退し、そして自我に相関した実在は残ったままである。
    >
    > 5.641 従って、哲学で非心理学的に自我を論じうることの意義が、現実に存在するのである。「世界は私の世界である」ということを通して、自我は哲学の中へ入ってくる。哲学的自我は人間ではない。人間の肉体でも、心理学が関わる人間の魂でもない。それは形而上学的主体であり、世界の部分ではなくて、限界である。

    こんばんは。ありがとうございます。
    そこは私の引用した訳では以下なのですが(ちょっと感じが違う部分もあるみたいですね)、
    非常に興味を感じつつ、まだ解読できてません。分からないかもしれません。その場合、ご教示をお願いするかもしれませんので、よろしくお願いいたします。

    5.64 ここでわかるのだが、ソリプシズムを徹底すると、純粋な実在論と一致する。ソリプシズムの「私」は縮んで、延長のない点となる。そして残るのは、「私」のためにコーディネートされた実在である。
    5.641 だから実際、ある意味において、哲学では心理学を無視して「私」のことを話題にすることができる。「私」が哲学のなかに入ってくるのは、「世界は私の世界である」ということを通ってである。
    哲学の「私」は、人間ではない。人間のからだではない。心理学で扱われる人間の心ではない。そうではなく、形而上学的な主体である。世界の――一部ではなく――境界である。

引用返信/返信 削除キー/
■18256 / inTopicNo.57)  意識
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 19:39:28)
    意識は万人にある(特別な例を除く)

    で、貴方が意識という言葉で表せる存在であるとするなら

    どうやって沢山の意識が存在する意識の中で、どれが自分の意識であるか判別しない


    意識という言葉で表現できないのが唯一無二である貴方です
引用返信/返信 削除キー/
■18257 / inTopicNo.58)  Re[22]: 紺色と藍色
□投稿者/ おくたがわ -(2021/11/03(Wed) 19:40:54)
    No18246に返信(パニチェさんの記事)
    > 紺色は私が染色し、藍色は他者が染色したとする。
    >
    > それを色彩感覚が少しおかしい第三者が紺色は黒色、藍色は水色と思い込み主張した。
    >
    > 黒と水色は全然違うし、もちろん青色とも違うと主張した。
    >
    > この人に黒色は紺色で、水色は藍色で、紺色と藍色は似ているということを分からずことはおそらく無理だろう。

    喩えに対して適当な質問かどうか分からないですが
    その第三者は、色見本のカードを見せた場合、紺と黒、藍色と水色を区別できないのでしょうか?
    あるいは各カードについたラベルを間違っていると主張する?
    (トンチンカンな質問だったらすみません)
引用返信/返信 削除キー/
■18259 / inTopicNo.59)  Re[22]: 私と世界
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/03(Wed) 19:48:29)
    2021/11/03(Wed) 20:34:16 編集(投稿者)

    No18255に返信(おくたがわさんの記事)
    > ■No18239に返信(パニチェさんの記事)

    >>こんにちは、おくたがわさん。
    >>ミクロコスモスの部分ですが、5.63と同じくらい5.64〜5.641は全文が重要であると思います。


    >>5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス。)


    >>5.64 唯我論が厳格に貫徹されると純粋な実在論と合致することがここで見てとられるのである。唯我論の自我は延長を欠いた点にまで縮退し、そして自我に相関した実在は残ったままである。
    >>
    >>5.641 従って、哲学で非心理学的に自我を論じうることの意義が、現実に存在するのである。「世界は私の世界である」ということを通して、自我は哲学の中へ入ってくる。哲学的自我は人間ではない。人間の肉体でも、心理学が関わる人間の魂でもない。それは形而上学的主体であり、世界の部分ではなくて、限界である。

    > こんばんは。ありがとうございます。
    > そこは私の引用した訳では以下なのですが(ちょっと感じが違う部分もあるみたいですね)、
    > 非常に興味を感じつつ、まだ解読できてません。分からないかもしれません。その場合、ご教示をお願いするかもしれませんので、よろしくお願いいたします。

    私で答えれることであればいつでもどうぞ。
    ただウィトゲンシュタインは未だ固定的な読解はありませんし、分からないことは分からないという返信になることもあると思います。

    ひとつおさえておいた方がいいと思うのは論考は写像理論を前提とした言説であるという点です。
    私は写像理論は後期においては破棄されたと考えていますが、違う意見の専門家もいるとは思います。


引用返信/返信 削除キー/
■18260 / inTopicNo.60)  ザビビのふくろうさん♪
□投稿者/ pipit -(2021/11/03(Wed) 19:50:01)
    ふくろうさん、書き込みたいことあったら書き込んでくださいねー

    少しお気遣いいただいてるのかな?と思えた文章を書き込まれてた気がするので。

    ありがとうございます!

    私は、ふくろうさんと直接お話ししたことはほとんどないですけどねー
    宿題さんとふくろうさんとのやりとりは楽しく拝見してました♪
    (o^^o)
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -