| 感想その後を書きます。
煩悩を滅尽して悟ってたら食べ物がなくても苦しみは生まれないのかもしれませんが、 悟ろうという願いだけで悟れるわけではないと思います。
悟ってない人には食べ物がなかったらすごく苦しいと思います。 悟ってない人が食べ物を手にできたら、その時生じていた苦しみは少しでも減ると思います。
苦しみを減らしていくこと(減苦)と、苦しみを滅尽すること(滅苦)と、その両方について思いが浮かびます。
岩波文庫になって市販されている経典を読んでみました。 『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤT』中村元先生訳 p145の箇所が目に止まりました。 お釈迦さまの発言の一部分を抜粋引用します。 最後四行が段落が下がってるのは、原文が多分、詩偈となってるからなのかな?と思いました。
『友よ。わたしは、世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない。 そうではなくて、意識もそなえ心もあるこの一尋の身体に即して、世界そのものと、世界の生起と、世界の止滅と、世界の止滅にみちびく道とを説示するのである。 歩行したからとて、いつになっても世界の終極に達することはできない。 世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。 それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう。 かれは、悪を静めて、世界の終極を知り、この世をもかの世をも望まない」と。』
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