□投稿者/ pipit -(2020/12/05(Sat) 09:58:12)
| おはようございます、コメントありがとうございます(^ ^)
> 同意です。初期仏典が釈尊の教えに近いとすれば。。。 > 当時の仏教がバラモン教の新派、あるいは改革派であった所以はこの辺の教義にあると思われます。 > > カースト制度の正当性は前世からのカルマを前提としており、前世までの行いによってどの身分に生れるかが決まります。「生れによって身分が決まる」という要素が強いのがバラモン教であり、仏教は「生れでなく行為によってバラモンとなる」と教えます。<
仏教教団に入ると、当時の制度から逃れられる、というのも、奇跡的なことだと私は驚いています(O_O) 出家すると、男女問わず、カースト制度から抜け出せて自由になれる、 殺人を犯した方であっても、その方を逮捕できないケースもある。 それを、現実のこととして考えた時、 すごいことを、お釈迦さまは為されたのだな、と、思います。
> さらに当時の名前は身分が分かるようになっており、出家し仏弟子となった者は世俗での身分や地位を捨てさせ平等となるよう戒名させたあたりも仏教ならではのしきたりでもある(現在は戒名に位を付けることで高値で売る詐欺のようなうトンデモ仏教を檀家制度に胡坐をかいたボウズどもが当たり前にやってますが)。<
そうなのですね、教えていただいてありがとうございます! 道理で、詩句内容に都合の良いお名前がいっぱいなんですね。納得できました(^ ^) 新しいお名前、とても嬉しかったでしょうね。 今の日本の戒名制度は、それを思うと、本来の在り方から逸れてしまってる気がしますね(^^;)
> 十四無記においては死後など形而上学的な問いは無記としながらもスッタニパータなどの初期仏典には地獄の記述もあるし、菩提樹の下での瞑想にも釈尊の過去世を観ずるところもある。 > > 死後や来世については現世での苦の軽減や滅却という目的のために用いられた方言や譬えであるのか、釈尊の過去世については大乗以降の神格化(本仏論)による創作であるのか、それとも釈尊自身がバラモン教の伝統でもある前世からのカルマを認めていたのか不明ではあるが、<
初期仏教では、過去世を観る能力などは、修行が進むと得る能力、ということになっていて、(私見のべると、輪廻の世界を見限るためにこの能力を使う感じを受けています。) バラモン教そのままの教義ではなく、釈尊が自ら知った事実としての『業』のなんらかの働きは事実である、という選択肢も残っていると私は思っています。 ですが、初期仏教では、しかたないもんはしかたないものでほっといて、今ここで自らが出来ることに全力集中するように教えられているのではないかと思っています。
雨が降ってる時、濡れるのが嫌なら、傘をさせばいい、 洪水がくるなら、避難すればいい、という感じです。
人の生まれで、人を差別する悪行為を防ぐためか、いろんなエピソードが残されているようです。 わたしの知ってるテーラワーダさんの教義では、死ぬ瞬間の心が、次の生まれに繋がるので、 悟ってない限り誰でも危ないんだ、という感じです。
> あくまでも今まさに生きている人を対象とした実存的な教義であったことは間違いないとは思います。<
はい、私もそう思っています。 生きてる間になにするか、が、仏教の心臓部だと、思っています。
戒名の由来も知れて、とても嬉しいです。書き込みありがとうございます!
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