□投稿者/ pipit -(2020/10/24(Sat) 07:37:47)
| マジモンさん、おはようございます 私見書きます。
理想の中では、不自然な努力の終わりは明確ですよ。 貪瞋痴が滅尽したら、努力などの作為的なことは必要なくなると思ってます。
阿羅漢に悟ったら、身体があるうちは、不・貪瞋痴、で、行為するのではないかと思っています。 死ぬ時、貪瞋痴から出る意志は消えているので、流れにまかせるままではないかと思っています。
その目標ためにすべきこと、として、実践的に教えられていることは、 ほとんどこなせてない私にも、それでも、とても良い方向にへ作用しているように 自分では感じられているので、さらに、本当にいろんな苦しみが滅していくのか?と、今以上にどうなるかを確かめていきたい気持ちがあります。
初期仏教では、阿羅漢になられたとき、『為すべきことは、為し終えた。』と宣言されることがあるように記憶しています。
記憶があってるかどうか、また後ほど、経典文を探してみます。
|
|