□投稿者/ pipit -(2020/07/11(Sat) 19:00:47)
| パニチェさん、こんばんは!
完全解読に、『実践理性批判』もあったんですね!! いまはまだ手が出せないけど、実践理性批判に進むとき、買おうと思います!! 情報のきっかけをありがとうございます(o^^o)
ニーチェやパニチェさんや竹田さんの言う通りの可能性も大きそうだな、と、 パニチェさんのコメント読んで思いましたけど、 とりあえず、私の中では保留にしておきますね。
いろんな解説書で、チラホラと、神より道徳実践の方が実は比重置かれてるみたいに 思える記事を見る気もするので、まあ、神様万歳、のほうが真実かもだけど、 ちょっと置いときますね。
石川文康先生の『カント入門』から抜粋引用してみますね。 『この書の(第一版)序文で、カントは二度にわたって、「道徳は不可避的に宗教にいたる〔通じる〕」と述べている。 しかし同じ序文のほぼ冒頭で、彼は、道徳は自己充足しており、道徳が道徳として存立するために「宗教をまったく必要しない」、とも言っている。 一見、ここには不整合がひそんでいるかのように見える。 なにしろカントの道徳論は、(略)、文字どおり徹底して「自律」の原理の上に成り立っているのである。 (略) したがってそれは、道徳に対して何らかの条件を指定するのではなく、 かえって宗教に対して、その存立を決定する不可欠の条件を指定するものである。 すなわち、宗教は道徳という条件を満たしてはじめて宗教であり、 この条件を満たしていないかぎり、いくら宗教を自認しても、 それは宗教の単なる僭称にすぎず、すなわち仮象宗教、偽宗教だという意味である。 (略)以上のことから、カントの言う宗教とは道徳宗教のことであり、 しかも道徳は理性の上にきずかれるべきものであるから、それは同時に 理性宗教にほかならないということがあらかじめ帰結される。』 p217.218
この後、神の存在の要請についても石川先生の考えが述べられてますが、 いったん、ここで投稿しますね。
また後ほど、その部分を引用しようと思います。
パニチェさん、ありがとうございま〜す(^O^)/♪
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