□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:18:06)
| カントの文脈で言えば、 アプリオリとは、 経験によらず、しかもその源泉は人間の能力にある、ということだと思っています。
石川文康先生は、カントの文脈でのアプリオリとは、根源的獲得のことだと記されてます。 (『カント入門』p112〜) 私の理解で言えば、 空間時間は、人間の感性能力から獲得されたものであり、 純粋悟性概念は、人間の知性能力から獲得されたもの、ということかと思いました。
ロックは、『獲得的』という言葉で、経験からの獲得という意味で、アポステリオリを意味したのかな?(違ったらすみません) それに対抗して(?)カントは、《根源的》を追加して、『根源的獲得』という言葉で、アプリオリを意味させたのかな、と思いました。
カントのアプリオリの定義が数学では認められない、というなら、 数学の定義の中で、カントが思案したことを考えてみればいいのでは?と、思いました。
そして、数学の定義の中でカントの思案したことが否定されるなら、 それは、空間時間がアポステリオリなもの、人間ではなく人間の外側にあるもの、という判断がなされたということなのかな、と、思いました。
アプリオリな総合判断は存在しない、というのは、 人間は経験からしか知識を作れない、と、同義であり、 それは、常識的に正常に思える判断だと私には思えます。
だから、カントが変人なだけなんじゃないですかねー
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