| 初めてここの掲示板に書かせてもらいます。 たーぼーと申します。 ルールなどよく分からず、トピックのたて方も分からず失礼でしたら申し訳ありません。 時さんの投稿を読んでいて非常に原始仏典にお詳しい方とお見受け致しました。 何点か教えて頂きたいことがあります。
ある種の見解を持つことは、仏教では禁忌なのですが、あえてお答えしますと輪廻転生するのは「識」ですね。識とは、六識身の事で、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の6つです。総合して識・・同一で不異な識が転生するといった意味合いではなくて、識別(作用)するので識と表現したようです。 > 識が母胎に入ります。そして識という縁により名色があります。このことは、ご存じの十二支縁起の一部ですね。十二支縁起(無明・諸行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)の一部(3番目と4番目)です。これは、長部15経「大因縁経」に記載があります。
これは時さんの投稿ですが、輪廻するのは[識とは、六識身の事で、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の6つです] と書かれてますがこれだと十二縁起の六入ではないのでしょうか? 六入=六根(目、耳、鼻、舌、身、意)とはまた違うのでしょうか? 私の理解だと十二縁起の識は三番目で名色=五蘊と六入=六根の前にあることから、西田幾多郎の純粋認識のようなものを想定していました。 通常の凡夫の認識ではなく、認識する前の頭で理解する前の認識のようなものです。
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