| エフニ様、こんにちは〜 ♪
>☆この場合の心とは、「汝と我」として、意思の疎通を可能にするものを持っている、ということを意味しています。
ということは「自」と「他」を区別できるということでしょうか〜?
>「モーツァルトを聴かせると、花がなかなか枯れない。あるいは成育が良くなる。」「優しく話し掛けて水をやると、花がなかなか枯れない。成育が良くなる。」「植木屋は、優しく話し掛けながら枝を切っていく。」等の話を聞いて、植物にも心があると仮定しました。
正直申して私は一度も聞いたことがないのです(-_-;)・・・ 例えばモーツアルトの音楽ですが、 1.モーツアルトの作品全部がそうなのか? 2.ということは、モーツアルトの作品はほかの作曲家の作品とどこが違うのか?
という議論を先にしなければならなくなり、そうなると日フィルに最近までおられた田秋様のお力をお借することになると思います。
それ以外の「優しく話し掛けて水をやると、花がなかなか枯れない。成育が良くなる。」「植木屋は、優しく話し掛けながら枝を切っていく。」等の話は、おそらくここの植物にベストの状態を作ってあげるという、私たち側の責任ということに落ち着くのではないでしょうか。 水やりも植栽も個々の植物によって異なりますものね。
ただ強風だったりすると、植物と成長がよくなり、開花状態も良いということは聞いたことがあります。これは風で揺らさせることによって、成長ホルモンと、開花ホルモンが刺激されるということのようです。
>心にとって脳は必要条件では無くなります。これを又、二つめの仮定にして、答を臨死体験に求めて、いろいろと考察して来たところです。
植物を前提としては考えるには難しいと思いますが、パニチェ様もご興味のある、量子脳、これが脳死しても量子状態となって意識が宇宙に拡散されるというようなペンローズの議論もありますので、結構面白いものがあると思います。いかがでしょうか?
|