| おはようございます
> 「思い出してください。聖書の初めから終わりまで述べられているのは、神の一つの同じみことばです。すべての聖書記者の口から響き出るものは、一つの同じみことばです。そのみことばは、初めから神のもとにおられる神として時間的な存在ではないから、音節を必要となさいません」アウグスチヌス『詩編講解』
音節を必要としない「ことば」なので、単語やフレーズ、文による限定がまったくない「ことば」ということです。無尽蔵のキャパシティをもっている創造作用そのものとしての「ことば」。それが一つある。
この「ことば」正確には「みことば」が、創世記から始まる全旧約聖書、マタイ福音書からヨハネ黙示録までの新約聖書を通して響きつづけている。これがキリスト教の「みことば」の捉え方だと思います。もっといえば、聖書成立以前、宇宙誕生以前から、ずっと響きつづけていると捉える。
普通の人間が理解することばとは、かなり違うのかもしれない。
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