□投稿者/ みのり -(2022/06/23(Thu) 12:52:33)
| 2022/06/23(Thu) 14:00:31 編集(投稿者) 2022/06/23(Thu) 12:53:27 編集(投稿者)
『論理哲学論考』について、理解できそうなところを考えてみる、の7回目。
参考文献は、『シリーズ世界の思想 ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』古田徹也 著 です。
二・〇二七 不変のもの、存在し続けるもの、対象、これらは皆同一である。
二・〇二七一 対象とは、不変のもの、存在し続けるものである。対象の配列が、 変化するもの、移ろうものである。
二・〇二七二 対象の配列によって、事態が構成される。
以上、同書p50〜p51より引用
上の文章をリンゴを例(リンゴを対象として)として考えてみます。 論理空間の中で、リンゴという対象の形式はあらかじめ確定している。 リンゴという対象が他の対象と結びついて事態を構成する際、どのような他の対象と結びつきうるかは、リンゴという対象のうちで予定されている。
対象の形式、つまり、論理空間内の様々な事態の中に現れうる可能性において、リンゴというその対象そのものは不変である。 (言い換えれば、無色であるということ。漠然としたものとも言えるかな、と考えます。)
その、不変であり無色であるリンゴという対象が、配列されて事態として構成される。 リンゴが赤い、黄色いリンゴを買う、リンゴでパイを作る、リンゴは健康に良い、 などなど。
リンゴという対象自体は不変であり、他の対象との配列によって様々に変化し移ろう。 また、リンゴという対象は、事態の構成以前に独立して存在するものではなく、事態から分節化されるものである。 対象は事態ありきである。
以上、同書p53〜p54を参考にさせていただきながら、自分なりに考え文章にしました。
>>また、リンゴという対象は、事態の構成以前に独立して存在するものではなく、事態から分節化されるものである。
ここですが。 例えば、「リンゴ」と、それだけを誰かが言ったり、紙に書いたりする時でも、リンゴが「ある、存在する」という事態がそこには隠されている、つまり、言語化されていないけれども実質上は事態となっている(いなければならない)のだ、ということ。 こうしたことも言えるのかな、と思います。
「リンゴ」という対象と共に配列され、実際に言語化される対象が、「ある、存在する(リンゴがある、リンゴが存在する」なのか「無い(リンゴが無い)」なのかは確定してはいないけれど、「リンゴ」という対象は、不変であり存在し続けるものである、ということ。
「リンゴが無い」というのは、「在るべき、存在すべきリンゴが無い」ということですものね。
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