□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/25(Wed) 19:19:50)
| No23461、田秋さん、ありがと。
>歴史と政治、中国の歴史は古代から清朝の終わりくらいまでは何冊か本を読んだ。友達に昔の中国が好きなのがいたのと西遊記関連で。< 西遊記っていうのなんだかわかんないけど、昔のがどういうのかわたし知らないけど、いまの中国はどうなのかしらね。わたし中国人は信用できない派。だから中国産はなんであれ、わたし買わない。あ、最近はロシア産のもね。
歴史と政治については、いまお勉強中で〜す。人類学の本読んでるとそういうの知らないとよくわかんないから。
>暑い中草取りしてお風呂入ってさっぱりして「ああ、素麺食べたい」、午後スーパー行ったら美味しそうな鯛の切り身があったので焼いて食べようと思って買い、一応インターネットで鯛のレシピ見てたら、切り身でも鯛飯が簡単に出来るというのがあったので急遽鯛飯にした、というのが政治。<
「国家」とは、「一定の領土と国民と排他的な統治組織とをもつ政治共同体」 ってあって、結局「政治共同体」なんだな〜、って思って「政治」についてネットで調べて見た。 いろんなこと書いてあったけど、つぎのような見方、わたし受け入れることにした。
・・・・・・・・ 「政治」 politics
政治を表す西欧の語は、古代ギリシアの都市国家であるポリスpolis、およびそれから派生したポリテイアpoliteia(市民権、国家)その他の関連語に由来する。
このことから、政治をポリスの業務、すなわち国家の仕事として考える見方が広まるようになった。
今日では、政治を「集団の政策(意思)決定過程」とみる見方、あるいはそれに類した規定の仕方が一般的に行われている。この場合の「集団」はもちろん国家や地方自治体にとどまらず、いろいろな社会集団や、国内的、国際的団体を含む。また「政策決定過程」とは、広義には目標の選択、目標達成方法の決定、そしてそれらの実施あるいは実行の全過程を表す。
「政策決定」policy-makingは「政策形成」と表現される場合もあり、また「意思決定」decision-makingは「決定作成」という表現が用いられることもある。政策決定と意思決定とは同じ意味に用いられることもあるが、意思決定のほうがより広い意味に用いられている。政策決定は政府の行為に関して用いられることが多く、また、政治に関して意思決定の語が用いられる場合、たとえば選挙は一つの意思決定過程ではあっても、狭義における政策の決定ではない。けれども、政治過程全体をさして政策決定過程という場合には、政策決定者を支持するものとしての選挙もその一部に含まれる。
政治を「国家」という制度・構造から説明するのではなく、逆に「国家」を政治という過程・機能から説明しようとするところに行動論的な政治の定義ないし見方の特色がある。そして政治という機能が認められる限り、それが「国家」とはいえないような「原始社会」や「種族社会」であっても、これを政治研究の対象とすることができる。
政治を政策(意思)決定という角度からみる場合、そこに当然「権力」の問題が関連してくる。なぜなら「権力」はラスウェルによれば、「意思決定への参加」にほかならないからである。
この面からいえば、「政治」は「権力過程」であり、また「権力関係」という流動的な状況を抜きにしては考えられない。決定作成過程に参加し影響力を行使するには、暴力行使や利益誘導、さらには理性的説得から宣伝やシンボル操作に至るまで種々の方法がある。したがって、政治にとって不可欠な要素としては、暴力ないし実力、利益や価値、情報や知識、そして思想やイデオロギーなどがあり、またこれらのものを組み合わせて行使するための組織や集団、さらにこうした決定作成をめぐって権力闘争が行われる際のルールや手続、制度なども政治には不可欠である。 ・・・・・・・・・・・ こう見たとき、 で、 >ダメすか?< なんだけど、 もし<急遽鯛飯にした>っていう決定とそこまでいく過程はdecision-making(意志決定・形成)になるけど、それが、田秋さん一人でしたんだったら、「政治」の「集団の政策(意思)決定過程」の「集団」じゃないから、ダメじゃない?もしその<急遽鯛飯にした>の意志決定過程にそこにほかの人がかかわってたんだとしたら集団になるからダメじゃないと思う。
民族と国家、
>そう考えると国境線って人工的と言えるけれど、そもそも人間の問題だから人工的になるのは自然とも言える?< ん〜ん、ここんとこ、わたしのと違うところかな〜。 わたしのばあい、「人工的なもの」は「文化」って呼んでる。「文化」っていうの、〈人間が作り出したものの総称〉ってしてて、「自然」っていうのは〈人間が作り出したものではないもの〉ってしてる。
民族と国家(国民)の共通するところと違うところ、ただいま思考中〜。
クルド人が多く住む地域の図、 イラン、トルコ、シリア、イラク、っていう「国名」にまたがって、「クルド人」、自称・他称の人集団がその土地で暮らす人びとがいて、
イラン、トルコ、シリア、イラク、っていう「国」にはそれぞれ国としてのルール(政策の決定過程)っていうのがあるはずよね。で、「クルド人」は、各国のそのルールに従って生活するようにしてるのかしら?
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