■23473 / ) |
Re[5]: レヴィのわたしの
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/24(Tue) 20:23:42)
| ■23465、■23469、ありがとございま〜す、みのりさん
>知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること。そして。その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。< わたし<確信>(確かに信じられるもの)っていう語のほかに〈信念〉っていう語を使うかな。 だから、 >知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること< っていう表現にはわたしのばあいならないのね。 「確信しうること」は「知覚」と「判断」の両方にかかる言葉じゃなくて、わたし「判断」にかかる言葉って見てるのね。 あ、ごめん、みのりさまが「知覚」、「判断」、「確信」っていう語をどう言う意味で使ってるのかが分からない、のうえでわたしの勝手なので書いてるからね。
だから、 >その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。< は、わたしのばあい、 〈知覚という信念がどのように「構成」構成され、判断がどのように「構成」されるのか、について考え〉 っていう表現になるの。
>現象学的な観方と「野生の思考」的な観方の共通点があるって話なんですよね< これについてのわたしのは、はまだになってる。平日は仕事でめいっぱいで考えてる余裕がなくて。 休みの日に書いちゃおっかて思ってま〜す。 わたしがなに言ってるのか分かってもらえなないだろうな〜っていうことを承知で書いてま〜す。
あ、あと田秋さんのも返信しなくっちゃ。
|
|