□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/05/05(Thu) 22:09:34)
| 2022/05/06(Fri) 17:12:55 編集(投稿者)
パニチェさん こんばんは
>>この質問の背景には,次のような疑念というとあれですが(笑),疑問があるんです。 >>ニーチェは,真理は解釈だと言いながら,自分の解釈が実在を捉えており,キリスト教は虚偽・虚構だ,としているように見えるわけです。 >>で,パニチェさん自身についても,一連のやりとりになったNo24のタイトルは「リアリズム」ですよね。 >> たとえば,具体的内容は私にはわかりませんが,とりあえずパニチェさんの世界観が仏教的世界観だとして,それこそがリアリズムで,キリスト教世界観はフィクションだ,というような考えがあるのでは?ということです。
>その通りです。 >但し、大方の大乗佛典(法華経とか浄土三部経、維摩経など)や釈尊を神格化したような原始佛典もフィクションだと思っています。 >リアルと思える仏教的世界観というのは華厳の事事無礙や密教の汎神論、倫理観で言えば先に述べた煩悩の汚れの度合いで分別する「善、悪、無記(有覆無記、無覆無記)」です。
やはり、このパニチェさんの考えには、私は同意できないですね。 あなたがリアルと感じる世界観も解釈であることに変わりはないのであって、他の人にとっては別解釈がリアルであるというだけではないでしょうか。
>>ちなみに私見を述べれば,世界像が解釈だというのは同意なんです。 >> そして,それはフィクションなどではなく,それこそがリアルだと考えます。 >> ちょうど,従来「ヴァーチャルリアリティー(VR)」にはイコール仮想現実イコール非現実という含意があったと思いますが,最近では,VRこそがリアルだという考えになってきていると思っているのですが,(その正否はともかく)それとパラレルなイメージです。 >>つまり,一神教的世界解釈による世界像もリアル,仏教的世界像もまたリアル,ってことです。
>面白い発想ですし、同意できるかもしれません。 >ただ私にとっての「ヴァーチャルリアリティー(VR)」ってのは実証主義(観測可能なものだけを俎上に載せる)なんですね。 >極論すれば仮にこの世界が「水槽脳が見る夢」であったとしても、その世界がリアルだということです。 >ザビビのふくろうさんは創造論とか原罪、最後の審判などキリスト教的な世界観をVRとして考えられますか。
「極論すれば仮にこの世界が「水槽脳が見る夢」であったとしても、その世界がリアルだということです。」 ということについては、完全に同意できます。 そして、それは解釈世界(意味世界)である、と私は考えているということです。
>リアルと思える仏教的世界観というのは華厳の事事無礙や密教の汎神論、倫理観で言えば先に述べた煩悩の汚れの度合いで分別する「善、悪、無記(有覆無記、無覆無記)」です。
という仏教的世界観も解釈世界。 キリスト教的世界観も同様。 ここに、フィクション、リアルの差別を持ち込むことは、「水槽の中の脳」あるいは「マトリックス」の教訓を無効にすることだと私自身は考えます。 ただし、私は科学が記述する客観的世界は、意味・価値を捨象した世界として、意味・価値を含む主観的世界=生世界と相対的に区別できると考えており、創造論とか原罪、最後の審判などは、進化論と並び立つものと考えてはいません(よって、矛盾もしない)。
*************************** ところで、私の引用が竹内さんのところのものか、今となっては定かではありませんが(笑)、読んだことはあるかもしれません。 しかし、ちょっと話はそれますが、白鳥さんが、パニチェさんの言ったような本を出していることに驚きました。 というのも、昔、白鳥さんは、『この一冊で「哲学」がわかる』という本で、ニーチェをかなりケチョンケチョンに述べていたからです(笑) 意外じゃないですか? で、以下は、パニチェさん自身の思想は措いて、あくまでニーチェ像について述べますが、パニチェさんの竹内章郎さんのニーチェ解釈に関する評価はわかりましたが、現在のところ、私としては自分のニーチェ解釈が覆ることはありません。
ただ、前にも言いましたが、ニーチェについては全然勉強不足で、
>ニーチェと仏教は相性がいいし、仏教と対比させた解説書も多いです。
というような本は勉強したことがないですし、またそういう解釈もあるということを頭に置いておきます。
>>No.22885とNo.22884で言いたかったことは。。。。 >> >ユダヤ・キリスト教的な善悪二元論とか西洋的な善悪デジタル思考より、東洋的というか、さらに言えば日本で完成された大乗仏教的な教説のひとつ唯識思想にある善、悪、無記(有覆無記、無覆無記)の方が世界平和に有益だということです。 >> ここであなたは真理の基準を力の高揚に換えて,「世界平和に有効」という考えを述べています。
>ここちょっと分かりません。何故、三性(善、悪、無記)的な倫理観が真理の基準を力の高揚に換えることになるのでしょうか。
ニーチェの真理基準…力の高揚に有益か否か パニチェさんの真理基準…世界平和に有益か否か
******************* ところで、私はウィトゲンシュタインの哲学、とりわけ『論考』については自分なりに長年読み込んできたと思っているので、プロに対してさえ遠慮なくゴーマンかましますが(かましたところで誰も気にしませんし(笑))、他については多少の知識はあったとしてもただのアマチュアなので、たぶんそんなにエラそうには言ってないと思いますよ^^ ただ、普通の人よりは、さしあたりであっても自分なりの解釈をはっきり提示したりするので(そういう訓練はしているので)、自信過剰に見えるのかもしれませんが。
【補足】 ニーチェと仏教思想を結び付けて解釈したような手頃な著作をご存じであれば、教えてもらえますか?
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