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エイプリル うましかさんへ
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□投稿者/ パニチェ -(2022/04/28(Thu) 22:38:17)
| ■No22923に返信(エイプリル うましかさんの記事)
> >ユダヤ・キリスト教的な善悪二元論とか西洋的な善悪デジタル思考より、東洋的というか、さらに言えば日本で完成された大乗仏教的な教説のひとつ唯識思想にある善、悪、無記(有覆無記、無覆無記)の方が世界平和に有益だということです。 > > わー > しまった! > 本日帰宅後、 No.22888 をせっせと編集・追記しているあいだに、パニチェさんから返信をいただいておりましたm(__)m > 私は仏教的な知識が皆無なので、パニチェさんの解説は課題としてとてもありがたいです。 > というわけで、私の不味い追記はスルーしてくださいませ(´;ω;`)ウゥゥ
全然、大丈夫ですし、むしろ補足の機会をいただきましたので以下に返信させてもらいます。
■No22888に返信(エイプリル うましかさんの記事) > ところで、
> >生まれたばかりで飢え死にする子、監禁され輪姦されたあげくに惨殺された少女 > >不慮の事故で命を落とした人たち、戦争や紛争の犠牲者などなど
> これらの例(事実)をあげ「彼らの人生に意味や価値などない」とする主張を目にするとき、私にはその主張の奥に、彼らの生をそうした状況に貶めたものに対するのと共に、彼らのそうした状況にすら意味や価値を付与しようとするものに対する、或る種の「憎悪」を感じてしまうのです。
> それはもしかしたら、あたえられた事実に、より高次の意味付けや価値付けをしようとするものに対する懐疑が根底にあるのではないか、ところでその懐疑はなにゆえ行われるのか、、、 > うましかはそんなことをおもうのでした(;´・ω・)底だとおもったら未だだった沼
彼らの人生に意味や価値がなかったというのは少し先の投稿とは論旨が違います。 よく耳にする「人生で起きること全てに意味や価値がある」という私からすれば綺麗ごと(十悪の綺語)は「当人にとって当人の人生で起きること全てにプラスの意味や価値がある」という意味で用いられています。
この文脈で「生まれたばかりで飢え死にする子は飢え死にした子にとってその出来事には意味や価値がない」ということであり、同様に当人にとって「監禁され輪姦されたあげくに惨殺されたこと」や「不慮の事故」「戦争や紛争で犠牲となったこと」にプラスの意味や価値などないということであって、彼らの人生に意味や価値がないということではありません。
乳幼児はともかく、彼らの人生に意味や価値を見出しているかどうかは当人たちの問題であり、私たちがラベリングできるものではないと思います。
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