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No22789 の記事


■22789 / )  感覚の帝国に皇帝はいるか(;´・ω・)
□投稿者/ エイプリル うましか -(2022/04/23(Sat) 07:40:01)
    pipitさん、おはようございますー

    >>・「五蘊」は、人間の心身の機構を羅列的に挙げ、それによって人間の生存およびその環境の全てを表そうとしたものである。<
    >
    > お!うましかさんにその存在を教えていただいたユクスキュルさんや、アフォードという言葉をなんか思い出しましたー
    > (的外れな思い出しだったらすみません!


    (/・ω・)/わーい沼! 思い出していただき、ありがとうございましたー
    大丈夫です! 私も思い出しなので(;´Д`A ```



    >>■色蘊(しきうん) - いろ、形あるもの。認識の対象となる物質的存在の総称。
    >>
    >> 一定の空間を占めて他の存在と相容れないが、絶えず変化し、やがて消滅するもの。
    >>
    >>●受蘊(じゅうん) - 感受作用。肉体的、生理的な感覚。
    >>
    >> 苦・楽・不苦不楽などの印象、感覚。
    >>
    >>●想蘊(そううん) - 表象作用。概念的な事柄の認識。
    >>
    >> 事物の形象を心の中に思い浮かべること。対象のあり方を心の中に把握すること、表象すること。
    >>
    >>●行蘊(ぎょううん) - 意識を生じる意志作用。意志形成力。
    >>
    >> 心がある方向に働くこと。
    >>
    >>●識蘊(しきうん) - 認識作用。
    >>
    >> 対象を得て、区別して知るもの。知り分けること。
    >>
    >>*******
    >>
    >>五蘊というのは、いわゆる心身二元論的な考えなのかなあ?精神(受想行識蘊)と物質(色蘊)としてもいいのかなあ?<
    >
    > pipitは今のところそのように捉えています。
    >
    >
    > >でも身体が物質だとしても、受想行識蘊はその身体の認知機能ともおもえます (;´・ω・)<
    >
    > 私見書きます。
    > 例えば、今画面の文字見てますが、純粋な物質と、それを認知する非物質的な働きが、文字による意見交換を成り立たせている。
    >
    > 物質がある時、非物質的な働きも生じる。
    > 非物質的な働きがある時、物質を使っての非物質的な働きも生じる。
    >
    > など、複数のパターンは思考できるとpipitは考えています。


    (-ω-;)ウーン

    pipitさんの私見からズレますけど、、、

    身体は物質でもあり、その物質自体が認知機能を有するとすれば、精神と物質と分ける考え方はちょっとどうなのかなー?っておもいました。

    でも同じく物質でも、例えば、石やうどんがそれ自体、認知機能を有するとはおもえません。この場合は精神と物質の二元論になるのかなー(・・?

    ※物理学的な話しは度外視してくださーい(・ω・)ノ


    >>ところで五蘊の説明を読むと、自己意識あるいは精神、心身二元の「心」に相当するものが無いような… 四つの蘊の束が「私」?飛躍してるような(;´・ω・)
    >>
    >> 
    >>(-ω-;)ウーン
    >>(-ω-;)ウーン     
    >>(-ω-;)ウーン
    >>(-ω-;)ウーン
    >
    > 四蘊さん♪(^_^)
    >
    > 一応、識蘊が「知る」塊とすれば、
    > 「知る」という働きは、感じる、概念、衝動が、含まれる?
    > うーん、確かに、不思議な区別、、、
    >
    > ちょっとwiki見てみます。
    > ↓
    > wikiからのwiki『識』より抜粋引用
    > 『人間の構成要素を五蘊(ごうん)と分析する際には、識蘊(しきうん, vijnana skandha)としてその一つに数えられる。この識は、色・受・想・行の四つの構成要素の作用を統一する意識作用をいい、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって、六境(色・声・香・味・触・法)を認識する働きを総称する[5]。事物を了知・識別する人間の意識に属する。例えば、桜を見てそれが「桜」だと認識すること[6]。
    > また古い経典には、識住(vijnanasthiti)と言われて、「色受想行」の四識住が識の働くよりどころであるとする。この場合、分別意識が、色にかかわり、受にかかわり、想にかかわり、行にかかわりながら、分別的煩悩の生活を人間は展開しているとする。
    > しかしながらいずれも、人間は「五蘊仮和合」といわれるように、物質的肉体的なものと精神的なものが、仮に和合し結合して形成されたものだと考えられており、固定的に人間という存在がある、とは考えられていない。』
    > 抜粋引用終了
    >
    > 『この識は、色・受・想・行の四つの構成要素の作用を統一する意識作用をいい』
    >
    > やゃ、統覚???Σ(・□・;)チガウノー?
    >


    (゚д゚)!ウーン?!!!

    >この識は、色・受・想・行の四つの構成要素の作用を統一する意識作用をいい、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって、六境(色・声・香・味・触・法)を認識する働きを総称する[5]。事物を了知・識別する人間の意識に属する。

    おお! 識蘊様が感覚の帝国の皇帝陛下ってわけですね!

    しかし、色蘊は、認識の対象となる物質的存在、、、これをも統一する意識(識蘊様)とは何者なのかなー(;´・ω・)


    統覚、、、識蘊様をそう考えるとすると、統覚とは「私」の謂いなのか?



    (/・ω・)/ア―レ―


    >>そういえば、pipitさんから教えていただいた『カントと無限判断の世界』、どこ置いたっけ?(´;ω;`)ウッ…
    >
    > わたくし、まだ3ページ目くらい(;ω;)ウゥ

    うましかはまだスタートすらできておりません(´;ω;`)ウゥゥ

    では〜


    【追記】

    タイトルの「感覚の帝国」は、大昔観た、故大島渚監督の"L'Empire des sens"を思い出したものです。兵隊の行進とそれに主人公が一人逆行するシーンが印象に残っています。
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