□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/03/28(Mon) 00:10:55)
| エフニさん
■No21795に返信(エフニさんの記事) > ■No21774に返信(ザビビのふくろうさんの記事) >>エフニさん >>レスをありがとうございます。 >> >>■No21770に返信(エフニさんの記事) > >>■No21758に返信(ザビビのふくろうさんの記事) >>>>■No21753に返信(エフニさんの記事) > >>>>論考で使われている論理は「命題論理」のみである。 > >>>> > >>>>なぜか「述語論理」は使われていない。 > >>>> > >>>>「命題論理」の生みの親フレーゲは、「述語論理」とのセットで「一階述語論理」を構築した。 > >>>> > >>>>何故、片手落ちの「命題論理」だけで、世界を解明できると思ったのだろう。 >>>> >>>>いきなりの口出し、失礼します。 >>>> >>>>見落とされているようです。 >>>>『論考』は成功しているかどうかは措いて、述語論理を扱っています。 >>>>例えば、T:5.52番台をご覧になればよろしいかと。 > >> > >> > >>私の言い方だとラフになってしまいますので、他者の言をもって正確を期しますね。 > >> > >>「現代論理学の基礎的部分は「命題論理」と「述語論理」の二部門からなる。ウィトゲンシュタインの「真理関数の理論」は、ほぼこの命題論理の体系に相当する。」(野家啓一) > >> > >>「「論考」は論理語を否定詞および接続詞に限定している。これは現代論理学の観点から言えば「命題論理」と呼ばれる体系の道具立てにとどまっている。」(野矢茂樹) >>******************* >>確かに、それら引用文だけ見ると、誤解されるのも無理はないかと思います。 >>でも、それはあくまで野矢先生が書いているように、「現代論理学の観点から言えば」そうなるというだけですね。 >>『論考』では、量化命題を含むすべての命題は、要素命題にOperator Nを有限回適用することによって構成可能な真理関数であるとみなされます( T:6、T:6.001)。 >>だからこそ「命題の一般形式」と書いているわけです。 >>ですから、誤解を恐れずラフに言えば、ウィトゲンシュタインは、述語論理は命題論理(真理関数理論)に還元可能と考えたってことです。 >>これが、あなたが「謎」とおっしゃっている問題の、単純な答えです。 >>この解釈について、専門家の間では、ほぼ争いはないと言ってよいと思います。 >>ただ、残念ながら、ウィトゲンシュタインのその目論見は失敗した、というのが解釈上の定説でもありますが。 >> >>以上の私の説明が不十分であれば(だと思いますが(笑))、 >>こういった点について、あなたが引用されている野矢先生の「『論理哲学論考』を読む」の9章や、飯田隆『言語哲学大全U』に、テクニカルな面にも触れて少し詳しい説明がありますので、お読みになるといいと思います。 >> > > > 野矢の9章を読んで誤解されるかも知れませんが、野矢は実無限を否定し、可能無限だけを肯定する、現代の数学・論理学の中では圧倒的な少数派です。 > > なぜならば実無限を否定すると、数学の集合論を全て否定することになるからです。 > > 実無限をアプリオリの前提としている現代数学・論理学では、実無限の存在量子化が含まれない「論考」は、述語論理の構成要件に欠けます。 > > 命題論理に還元されるというのは、あくまでも野矢の頭の中での「新・論考」の操作によってです。 > > ウィトゲンシュタインの「論考」によってではありません。 > > 実無限の否定は、ゲーデルの不完全性定理も否定してしまうので、野矢の主張に与する人はほとんどいません。 > > ウィトゲンシュタインは、5・521で、「私はすべてという概念を真理関数から切り離す。」と述べています。 ********************** あらら、私はべつに、野矢先生のおっしゃることを真に受けて言ってるわけじゃないんですが、まあ、いいでしょう。
私の意図は、エフニさんがNo21753で「謎」とおっしゃったことは謎でもなんでもないということを、いわば情報として提供することでした。 ですが、もちろん、それを受け取らないのはエフニさんの自由です。
まあ、余計なお世話だったようですので、私としてはこのあたりで引っ込むことにします。 失礼しました。
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