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Re[5]: 143n 像についての意識★
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□投稿者/ pipit -(2022/03/21(Mon) 17:38:33)
| みなさま、こんにちは。 No21707の続きです。
Our Consciousness of the one, when we speak of the manifold, is always distinguishable from our consciousness of the other; and it is only respecting the synthesis of this (possible) consciousness that we here treat.
↓DeepL訳 私たちが多様なものについて語るとき、一方についての私たちの意識は、他方についての私たちの意識と常に区別される。
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when we speak of the manifold, 今問題にされているのは、感性による多様であり、
多様において Our Consciousness of the one 『一』 という意識は
is always distinguishable from our consciousness of the other; 『一以外の他』という意識 から常に区分け可能であり、
and it is only respecting ここでは以下の事柄についてのみ取り扱う
the synthesis of this (possible) consciousness この(可能な)意識の総合 のみについて。
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うーん、難しい!わからん!
自信ないけど、とりあえず以下のように捉えます。
【結合とは、多様なものが総合的に統一された像なのであるが、、、
この段落においては、各像が 統一像と同一的なものなのかについては考えない。
この段落で考えられてるのは、多様な像の結合ということであり、
多様な、という時、 一の意識は、一以外の意識と区別されるからこその多様なのであり、
この段落では、 その多様な可能的意識の総合についてを考察してるのである。】
全く外してるかものpipitのレゴ例え解釈
レゴのブロックでお城を作る。 このとき、お城の一階部分と二階部分が、全体の統一されたお城と同じ構成物なのか否かはこの段落では問題としない。
この段落では、総合【ブロックを結合させている】行為を問題としており、
多様なブロックというとき、一ブロックを手にするとき(意識に乗せる時)は、その他のブロックへの意識とは区別されてるわけであり、 この段落においては、 毎回違うブロックが結合されてお城ができていく、という働きについて考察してる。
にゃー!・:*+.(( °ω° ))/.:+
もう次に行くもんね!! (T ^ T)
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