□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/12(Fri) 17:11:20)
| 時さん
議論の終了後、議論をつらつら振り返りながら思い浮かんだことをいくつか、順不同で補遺として書きます。 なので、コメントはけっこうです。もし、読まれて、ご面倒でなかったら、読んだ旨だけレスいただければ嬉しいです。
***************************** No18682 >後は、私自身が著書を読むのなら読んでの理解ですね。まずは読めよという突っ込みもなく(笑)
これね、正直、時さんは読む必要ないんじゃないかと(笑) というのも、これ、ウルトラ私訳、スーパー意訳ですけど、『論考』の意図っていうのは、要するに、二値言語(科学言語・哲学言語)の分際を弁えさせることで、この言語で表現できることはこれだけわずかしかないんだ、そして真に重要な人生の意味、倫理・芸術・宗教についてはこの言語で表現できる外側なんだから、これらに口出しせず黙っとけ、ってことなんです(笑) で、ウィトゲンシュタイン本人はその外側の人間だからってことで、『論考』を書いた後、すっぱり一度哲学をやめちゃうんです。つまり、『論考』は、二値言語が重要と考える人たちに分際を弁えさせるために、その根拠を示そうとした書物なのです。 とは言え皮肉なことに、『論考』を最も高く評価した論理実証主義者たちはほとんど科学主義者だったので、意図に関してはある意味真逆の解釈をしちゃったんです。二値言語で語れないことは無意味で科学じゃないんだから、それ以外は学問であるかのような顔をするな、って感じです。 実際書かれた内容である論理的考察に関しては、彼らの解釈は大きく間違ってはいないと、私は思うんですけどね。
というわけで、別に時さんは、読まなくてかまわないんじゃないかと思うんです(笑) それでも、もし読む気になられたとしたら、私としては丘沢訳より野矢訳をすすめます。 ******************* あと、これはメビリンでSumioBabaさんにも理解してもらえなかった問題です。
>ここでご説明していただいている論理的真理としての「世界は存在する」というのが何を根拠にして論理的真理としているのかが理解できないのですね。
こういった論理的真理が、 (1) キーパーだけはボールを手に持ってよい(サッカーのルール) (2) 独身者は未婚である (3) 日曜日の次の日は月曜日である (4) 1mは100pである などといった文と同じく、何か世界の事実を根拠にした真理ではない、公理と同じくゲーム成立のための前提だ、ということを理解されたのであれば、なぜ上のような疑問を抱かれるのが、どうもわからない、というのが正直なところでした。 しかし、ふと思ったのですが、時さんが私の考えている以上に哲学的な方であれば、一応哲学的には、もう少しきちんとしたというか、詰めた答え方はあるんです。的外れかもしれませんが(笑) それを念のために書きます。 少なくとも二通りの答え方があると思います。 @ 規約による真理 A 意味による真理
これ、どちらも説明要らないくらいかもしれませんが、一応します。 @については、上の(1)を見れば明らかですが、これが正しいのは、「そのように取り決めたから」という答えです。 (2)〜(3)も定義とみなせますので、要は規約によって正しいと決められたから真だ、ってことです。 Aは、実質@と同じように思われるかもしれませんけど、分けたほうがいいんです。 まあ(2)が一番わかりやすいかもしれませんが、「独身者」という概念の意味に、「未婚」という意味が含まれている、ってことです。他の場合も、同様にとらえるわけです。
この@の「規約による真理」というのは、何度か出ている論理実証主義が『論考』の影響を受けて、数学的真理、および論理学的真理を、科学の経験的真理と区別してそのように特徴づけたものです。 これ、実は、後にクワインという哲学者によって批判され、間違いってことになってます。 で、Aの考え方は、むしろカントなんかのより古い考え方で、私自身は、『論考』のウィトゲンシュタインの考えはこっちじゃないかと思っています。本人は、はっきりとは言ってないと思いますが。前のレスで、恒真命題を、意味の論理計算に基づいて真理が確定する命題、みたいに説明したと思うんですが、あれです。
********************** とりあえず以上です。
では。
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