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Re[15]: 「私」と言語
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□投稿者/ knowing itself -(2021/10/16(Sat) 19:21:21)
| パニチェさん こんばんは。
> 「ウィトゲンシュタインはこう考えた」のP.391「(2)「私」と言語の源」以降に書かれている内容については(例えウィトゲンシュタインがそのように考えていたとしても)パニチェは全く同意できません。 > > そもそも『それは「私」と言語がともにそこに生まれる場としての「私」と言語の等根源なのである。(ウィトゲンシュタインはこう考えたP.396)』を前提としていることが大間違いだと思う。言語学習する主体〈私〉なくして何故普遍文法も含めた言語習得が可能となるのかは答えられないだろうし、鬼界氏がここで言うところの「私」は言語習得とともに物心がついた万人に共通する「私」であって、ウィトゲンシュタインや永井氏が探究していた〈私〉ではありえないということです。
鬼界氏は「私」と〈私〉を区別する用語法を使わないので、永井氏とどこまで親和性があり、どこまで違うのか、個人的にはまだよくわからないですね。探求中です。
> 「私」の階層が違うし、語りえない〈私〉をスルーしたままである。
鬼界氏も「私」そのものは語りえないとしていると解せませんか?
> おそらくここは鬼界氏のウィトゲンシュタインの独我論や語りえぬ「私」に関する鬼界氏自身としての置き換えができていないため、言語的に形成された「私」と〈私〉を混同しているための解釈であると想像します。
鬼界氏は「私」を言語的に形成されたものとはしていないと思います。例えば最終ページのp417です。
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