| おはようございます、floraさん
西遊記の作者は数字に異様な執着を見せています。作者についてここでは詳しくは論じませんが、中野美代子氏は集団制作の可能性を示唆しています。一人リーダーがいてその人が設計図を書き、パーツ(個々の物語)を手分けをして作製したのではないかという仮説で、ボクもこの説を支持しています。このリーダーが数字に対して異様な執着を持っていたのだと考えています。
さてリアルの玄奘三蔵が長安を密かに出立したのは貞観元〜3年頃です。密出国だったので確かな記録がありません。一方、西遊記の三蔵法師の取経の旅の出立は貞観13年です。西遊記は創作ですから、作者の思い通りに出立させることも出来た訳で、ということは貞観13年を選んだのには必ず理由があるということになります。
五行大義という本があります。隋 の蕭吉(しょう きつ)によって撰述されたとされる 五行 に関する古今の説を集大成したものです。 下図はそこに載っている河図図と「干支の数を論ず」という章に載っている干支に数を当てたものです。その下は田秋作製十干十二支円環図です。
河図図は五行思想によって数を各方位に当てたもの、右の図は十干十二支に数を当てたものです。河図図の西をみると(右が西)黒丸が4,白丸が9で合計13で、13というのは西を示していることがわかります。 だから取経の出立を西を暗示する貞観13年にしたのかと一応納得はできます。しかし実はそれだけではないのです。貞観13年の干支は己亥です。下の干支に数字を当てたものをみると己は9,亥は4で河図図通りの足し算で13になります。西遊記の貞観13年の干支は己巳でこれも己が9、巳が4で河図図通りで西を指し示しています。 西遊記上での貞観13年が己巳といういのは作者の創作ですが、リアル世界での貞観13年が己亥であることは歴史的事実で、作者の操作ではありません。西遊記の作者は貞観13年が己亥であり強く西を示唆していることに気づいたに違いありません。まさに天の啓示だったのではないでしょうか。
さて己亥と己巳の関係ですが十干十二支円環図からわかるように、丁度対極にあります。以下はボクの西遊記直交軸構造説になるのですが、そのさわりだけを述べるなら、己亥の亥は猪八戒を示し、己巳の巳は沙悟浄を表わしている、となります。
以上は自分の為に書いている部分もあるので訳のわからないところも沢山あると思います。どうぞスルーして下さい。
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