| 田秋さん、ありがと
>生後10か月くらいまでは、外から聞こえてきた言葉を〈外から〉だとは区別しないのかも。。。どうだろう?< なるほど〜! ひょっとしたら、そうなのかも? でもね、まだ、わたし、そういうふうにしちゃえないでいる。
視覚(〈体自〉ちゃんの〈自〉に見えているもの)についてだけ見ていることに気づかされたよ。
【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のなかにあった、 『言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。』(p305) に倣って、みたいな? 0歳児の世界をできるだけ“そのうちで”見ようとしてる(想像になるんだと思うけどね)。
「言葉のざわめきの下の原初的な沈黙」っていったって、まったくの沈黙じゃないよね。クーイングとか喃語と呼ばれているものも発しってるし、一語文がたとえ1歳ぐらいになると、だとしても。
たしかに言葉を覚える――言葉とその意味を知り、言葉を発するようになる――ことについてはまだ見ようとしてなかった。
前に、失語症について見たときに、語とその意味、そしてそれを発語する、そのイメージを想像したんだけど(添付します)、 これといま見ようとしていることと結びつくかどうかはわかんないけど、そこにはたどりつけいないかな?
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