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■31591 / inTopicNo.49)  Re[44]: 言葉のざわめきの下
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/07(Fri) 19:06:58)
    みのりさん、
    お邪魔してくれて、ありがと。
    わたしあまり体が丈夫な方じゃないみたいだから早く寝ちゃうのね。ここニークラにわたしが思ったことを好き勝手に打ち込んでから寝ちゃうみたいな。だから朝起きてからここ見て、返信は次の日になっちゃう。

    で、
    >深い人間考察をするにはどうしたらいいかをメルロポンティは考えてるみたい。<
    ちょっと意味わかんない、ごめん。
    「深い人間の考察」?あるいは「深く人間を考察する」?

    メルポンの、
    『言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。』
    っていうのに関心もってもらってわたし嬉しい。
    ここのところ、もう少し書いてあるのを、
    No27553に書いたけど、気が向いたら見て。

    わたしのばあい、そのまま見ちゃうのね。「言葉のざわめきの下の沈黙」は、沈黙してるのは、まだお喋りできない赤ちゃんのこと、って。だから、0歳児のことかな?って。で、「この沈黙をやぶる身振り」っていうのは1歳ぐらいかな。このころの私はどうなってるんだろうかな?って。ラカンの鏡像段階(ここで話題としてるのは生後6〜18ヵ月のころの私よね)っていうのとからめて、そういうんでいまのテーマは「言葉のざわめきの下」。

    アプリオリを、
    《より後なるものから、の意》中世スコラ哲学では、因果系列の結果あるいは帰結から原因や原理へ向かう認識方法をいい、近代認識論では、経験に基づくことをさす。
    プステリオリを、
    《より先なるものから、の意》中世スコラ哲学では、因果系列の原因あるいは原理から始める認識方法をいい、カント以後の近代認識論では、経験に依存せず、それに先立っていることをさす。
    ってしたとき、
    わたしのばあい
    アプリオリ、っていうのを、経験しなくても(誰かに教わらなくても)できちゃうこと、ってしてる。

    大人にわかるような発音?言葉?で喋れるようになること、ってアプリオリじゃない?もしアプリオリなものを探究?するんだったら、0〜1歳児を探究するのがいいんじゃない?みたいな感じ。

    メルポンのはわたしのような人にもわかりやすく書いてあるから好きなのね。
    たとえばね、前にも書いたのを、
    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】は第一部〜第三部ってあって、最後の第三部の始めに次のように言ってる。
    *********
    私はデカルトのコギトに想いを馳せている。私はこの著作を終えたいと思う。私は手の下の紙の新鮮さを感ずる。私は窓から大通りの並木を見る。私の生はたえず超越的な事物に向って突進し、全くおのれの外部で経過している。コギトとは、三世紀以前にデカルトの精神のなかで形成されたあの思想であるか、それとも彼がわれわれに残したさまざまなテキストの意味であるか、あるいはまた、それらを貫いて現れる永遠の真理であるか、いずれにせよ、私の思惟が捉えようとするとうよりも、むしろ、なじみ深い環境において私の身体がもろもろの事物のさなかにあって、これらの事物をはっきりと表象するまでもなく、おのずと方向をとって進んでゆくのと同じように、私の思惟が向かってゆくところの、一個の文化的存在なのである。書きかけのこの書物はもろもろの観念のある集まりではない。それは私にとって、一つの開かれた状況を構成しており、私はこの状況を言い表す複雑な定式を提供することはできないだろう。それは、もろもろの思想と語とがあたかも奇蹟によるかのようにおのずと組織されるに至るまで、私がそこで盲目的にもがき続けるところの状況なのである。まして私をとりまく感性的存在、私の手の下の紙、眼前の樹木は、私におのれの秘密を手渡すはずがない。私の意識が自己を脱し、それらにおいて、自己を忘れるのである。実在論が世界と諸観念の事実的な超越性とそれ自体における存在とを主張することによって、説明しようとした発端の状況は、以上の通りである。
    *********

    哲学者の書いた本ってなんか難しいいじゃん?ほら、pipitさまやうましかさんも“カント沼”っていってるように。
    でもね、メルポンのはわたしにとってそうじゃないのね。
    同書に。
    『世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。』
    って言ってる。ん〜ん、メルポンはわたしを哲学者にしてくれるのよ。

    デカルトは、わたし悪魔ちゃんを欺瞞者と言ってるみたい。ニーチェはどうかしら?善は悪から生まれたみたいな?だとしたら、善悪の起源は悪になるんだと思うけど、でもその彼岸は善も悪も存在しない状態、ん〜んわたしが見ようとしている自も他も存在しない状態と似てない?

    わたし、「現象学」って、方法論なんだと思ってる。なにかその人に〈本当はどうなってるんだろう?〉っていう問いが発生したとき、その人にとってなにがしらの答えを導き出すための手助けみたいな?それを提示する、みたいな?
    「○○はこうあるべきだ」みたいな箴言?格言?じゃないと、わたし見てる。だから、その状況の私が私で考えなくちゃならないのね。誰かの言うことを鵜呑みにして私の判断を決めるみたいなんじゃなくて。

    あ〜、ごめん、ちょっとメルポンののことになるとお喋りが止まらなくて。
    これはあくまでもわたしの、だからね。どうでもいいこと。

    ちなみに、わたし、フッサールの現象学よりメルポンの現象学の方が好き。

    みのりさん、捨て置いて、ただこういの言いたかっただけだから。


引用返信/返信 削除キー/
■31582 / inTopicNo.50)  Re[43]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ みのり -(2023/07/07(Fri) 08:17:22)
    2023/07/07(Fri) 08:33:43 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、お邪魔しちゃうよ♪ ← パクってみた(;^_^A

    No31569に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > 【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のなかにあった、
    > 『言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。』

    メルロポンティのこの文章、なにかいいなと思って。
    何が言いたいのだろう?と気になります。

    自分なりに考えてみたのを書かせてね。


    まず深い人間考察をするにはどうしたらいいかをメルロポンティは考えてるみたい。
    人間は会話したりスピーチしたり文章で書いたりと、言葉を用いて何かを伝えようとする。

    そして、その伝えたいものが言葉として表れてくる下というか元には、その言葉がそのように表れてくるまでの様々な要因が隠されている。
    この部分が、「言葉のざわめきの下の原初的な沈黙」の意味するものなのかな、って考えたのね。 思っただけだから多分違うけど(笑)

    それで、言葉として表れない部分は、意外と身振りなんかには表れてたり。
    例えば・・緊張したり自分をガードしたい時、腕組みしながら話す人とかいる。
    落ち着いた話しぶりであっても、その他、表情がこわばってたり目の動きなんかでも、その人の心の動きは伝わってきたりする。

    だから、言葉だけでなく、人の身振りなども人間考察には大切って話なのかな、って考えたの。
    赤ちゃんだったら話せない分、表情や手足の動き、顔色の変化とかで親にいろんなことを伝えてくるのね。


    悪魔ちゃんの考察と関係ない話かもしれないし、そんときはスルーしてね。^^


引用返信/返信 削除キー/
■31569 / inTopicNo.51)  Re[42]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/06(Thu) 17:58:25)
    田秋さん、ありがと

    >生後10か月くらいまでは、外から聞こえてきた言葉を〈外から〉だとは区別しないのかも。。。どうだろう?<
    なるほど〜! ひょっとしたら、そうなのかも?
    でもね、まだ、わたし、そういうふうにしちゃえないでいる。

    視覚(〈体自〉ちゃんの〈自〉に見えているもの)についてだけ見ていることに気づかされたよ。

    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のなかにあった、
    『言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。』(p305)
    に倣って、みたいな?
    0歳児の世界をできるだけ“そのうちで”見ようとしてる(想像になるんだと思うけどね)。

    「言葉のざわめきの下の原初的な沈黙」っていったって、まったくの沈黙じゃないよね。クーイングとか喃語と呼ばれているものも発しってるし、一語文がたとえ1歳ぐらいになると、だとしても。

    たしかに言葉を覚える――言葉とその意味を知り、言葉を発するようになる――ことについてはまだ見ようとしてなかった。

    前に、失語症について見たときに、語とその意味、そしてそれを発語する、そのイメージを想像したんだけど(添付します)、
    これといま見ようとしていることと結びつくかどうかはわかんないけど、そこにはたどりつけいないかな?

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引用返信/返信 削除キー/
■31555 / inTopicNo.52)  訂正
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/06(Thu) 03:38:30)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    直前のボクの書き込み、下から3行目に
    「国語」とあるのは「母語」の誤りです。
    スマソ。m(__)m
引用返信/返信 削除キー/
■31552 / inTopicNo.53)  Re[40]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/05(Wed) 22:45:36)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    改めて、復活(帰宅?出戻り?)、心からお喜びします。今回の件で悪魔ちゃんの人気が如何に絶大であるかがよくわかりました^^

    ===
    悪魔ちゃんの考察には関係ないことかも知れませんが・・・

    語学耳は生後10か月〜12か月でほぼ決まるのだそうです。それまでによく耳にした言葉は国語に成り得るそうで、それ以後だと、習得に苦労する(強く同意します!)。

    生後10か月くらいまでは、外から聞こえてきた言葉を〈外から〉だとは区別しないのかも。。。どうだろう?
引用返信/返信 削除キー/
■31543 / inTopicNo.54)  Re[39]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/05(Wed) 18:50:52)
    ラカンの鏡像段階のと現象学のとわたしの物語り、どこまで話しできたか振り返って見て、
    え〜っと、―――〈体自〉ちゃんの物語りね。 わたしの勝手なの、つづけま〜す。

    No31044のつづき
    生後6ヵ月以降、外界(外諸存在)=他(者)との関係づくりが始った〈体自〉ちゃん。
    ラカンの鏡像段階は生後6ヵ月〜18ヵ月のころみたいだから、8-9ヵ月ころの〈体自〉ちゃんを見てく。

    ラカンの鏡像段階では、このころの〈体自〉ちゃんは、自(主)と他(客)の区別がなくて、自他融合の状態になってる、って言ってるのかな?

    ひとまずそういう状態だとして見て、自他融合の状態っていうのがどんなのかを想像して見た。

    たとえば、〈体自〉ちゃんの志向的「対象物」を「リンゴ」にして描いて見たのを、添付しま〜す。

    まだこのころの〈体自〉ちゃんは「それ」を「リンゴ」って言うことはできなくて、何かあるものX――fremdなのね。

    〈体自〉ちゃんは「リンゴ」を見て、「これ、なあに?」ってなってるんだと思うけど、このとき、〈体自〉ちゃんの〈自〉に現れてるのは〈リンゴ〉よね。でもこれは〈他(者)〉っていうことになるよね。〈自〉は〈他(者)〉で占められてる。こういう状態を〈リンゴ〉(=他者)と〈自〉の融合(とけあって一体となっている)状態――こういうのを自他融合の状態って言うんだとして見た。
    極端に言うと、〈自〉は〈他(者)〉(リンゴ)になっている、みたいな?
    こういう状態の〈体自〉ちゃんは、「それ」を見ている当の〈自〉の存在には気づかれないでいるし、「それ」が「他(者)」である、とも思われてないのね。こういうふうにして、〈自〉も〈他〉も存在しないから、自と他の区別もなくて、そんな状態としてあるんかも。
    「リンゴ」にかぎらず、このころの〈体自〉ちゃんの〈自〉はいろんなものになってる。

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引用返信/返信 削除キー/
■31542 / inTopicNo.55)  Re[38]: うれしい
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/05(Wed) 18:42:04)
    なんか、出戻りみたいで、恥ずかしいけど、ありがと。

    わたし、思ったことを書いちゃうけど、それって“言っちゃいけないこと”の場合があるみたい、っていうことに気づいた。
    そういうの、よくわかんないのね。もしそういうのがあったらまた言ってね。あ、削除してもらってもいいし。
    …自己嫌悪…・

    after Dさんやくろうさんからは、わたし自身では気づかれないでいることを見せてもらった気がしたよ。

    話しは変わるけど、
    堤未果さんのようにいう人がいてほんの少しだけ不安が少なくなってる。

引用返信/返信 削除キー/
■31527 / inTopicNo.56)  よかった!
□投稿者/ みのり -(2023/07/04(Tue) 21:12:42)
    おかえり♪
引用返信/返信 削除キー/
■31524 / inTopicNo.57)  オー!
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/04(Tue) 20:16:40)
    お帰り、悪魔ちゃん!





引用返信/返信 削除キー/
■31523 / inTopicNo.58)  おかえりなさい、悪魔ちゃん
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/04(Tue) 20:12:17)
    No31519に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > また、ニークラに書込みしちゃうよ〜。


    了解!

    わしも反省した。

    これからもよろしく!^^

引用返信/返信 削除キー/
■31521 / inTopicNo.59)  Re[36]: 反省への問い
□投稿者/ エフニ -(2023/07/04(Tue) 19:43:57)
    キャー、帰って来た〜ゥ

    嬉しい〜

    アメリカ独立記念日よりもめでたい。

    これからも宜しくね
引用返信/返信 削除キー/
■31520 / inTopicNo.60)  Re[36]: なぜ人を殺してはいけないのか?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/04(Tue) 19:42:45)
    「なぜ人を殺してはいけないのか?」
    って言う問いは、
    「なぜ人を殺してよいのか?」
    の否定形に見えるんね。
    ほら、軍人さんたちの殺し合いは、なんか肯定されてるみたいじゃん?

    「人を殺してよい」の否定は「人を殺してよい、ではない」じゃん。
    あ、ここで言う「人」っていうのは、「私人」と「他人」の両方を指す語ね。
    だから「自殺」も含まれるよ。
    だから「人を殺してはいけない」は「自殺してはいけない」と同じ意味になるのね、わたしのばあい。

    どうして?のばあい、

    じゃ、どうして「人(他・自)を殺すの?」っていう問いになってくるのね。

    飢餓状態で、食べるものが人肉しかなかった、っていうんだったら、わたしのばあいOKしちゃうけど。


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