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■31709 / inTopicNo.37)  女性トイレに男性が入ってもいいの?
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/11(Tue) 18:02:25)
    トイレ制限 松野氏「適切に対応」 - Yahoo!ニュース
    を見たら、
    最高裁の人が、「女性トイレで男性が用をたしても合法だ」って言った見たよ。
    どうしてか、っていうのは書いてなかったみたいだけど。
    この裁判官、やめてもらった方がいいんじゃない?
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■31685 / inTopicNo.38)  Re[54]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/07/10(Mon) 09:46:08)
引用返信/返信 削除キー/
■31674 / inTopicNo.39)  Re[53]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 19:36:32)
    あれ、もう、また重複しちゃったみたい。
    こんどは、まちがえないように、

    わたしの、ここまでのを少し整理して見ると、

    (a)自身の顔は直接見ることはできない。自身の鏡像などを見て、はじめて自身の顔を見ることができる。

    (b)〈体自〉ちゃんにとって「外界(外諸存在)」は「他(者)」。

    (c)生後8-9ヵ月ころの〈体自〉ちゃん
    (c)-1〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈他(者)〉になっている。「外界(外諸存在)」――〈体自〉ちゃんにとっては「他(者)」――を〈体自〉ちゃんは見てるんだけど、「それ」見ている当の〈自〉の存在には気づいていないし、「それ」が「他(者)」とも思われていない――〈自〉も〈他〉も存在していない、自他の区別がない状態――自他融合の状態
    (c)-2〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈体〉があることもまだ知らない。
    このような状態にある〈体自〉ちゃんが鏡を見たとき、まだその鏡像が「自‐体」(〈体自〉ちゃんの〈体〉)だとは思われてないから、「これ、なあに?」。

    (d)18ヵ月ころの〈体自〉ちゃん
    〈体自〉ちゃんが鏡を見る。その鏡像が〈自-体〉(自の体)だと気づく。そのとき〈自〉は〈体〉があることに気づく。
    「あれ!これ、わたし?」って。(――わたし、ここで「わたし」っていう語を使わざるをえなかった。)
    No****の〔A〕に書かれてある
    〔自分自身の統一像があることを学び〕
    〔自己の同一性が得られる〕
    〔自分の身体を意識し、自己を同定している〕
    〔自己の全体像をつくりあげる〕
    っていうのは、こういうことをいってるんじゃないかな、って。

    (e)自身の鏡像――〈体自〉ちゃんの〈体〉が“外に”映し出され、それを〈体自〉ちゃんが見る。〈体自〉ちゃんは〈体自〉ちゃんが客観化(外に置いて見る)されたことになる。でも、その〈自-体〉の鏡像は「他(者)」。

    (f)生後6〜18ヵ月の〈体自〉ちゃんは自他融合の状態だとしたとき、そしてこのような状態で18ヵ月ころになって、その鏡像が〈自-体〉(体自ちゃんの体)って気づいたとき、でもその〈自-体〉の鏡像は「他(者)」である、にもかかわらず、「それ」を〈体自〉ちゃんは〔体自ちゃん自身〕だと思ってしまう。こういうことから、〔虚構的・想像的自我〕、〔自己疎外〕みたいなのが考えられたのかな?



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■31673 / inTopicNo.40)  Re[52]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 19:24:21)
    なんか同じの送っっちゃ見たい。ま、いいか。
    きょうはもうちょっと

    No31666
    タイトル書くの忘れちゃったけど「言葉のざわめきの下」ね。
    の、つづきね。

    自身の鏡像を見たときのこと、を見ていくことにする。

    ラカンの資料、
    No30710のから抜きだして見ると、

    〔A〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (3)-B
    〔鏡とともに、幼児はまず、自分自身の視像があること、また、ひいては自分自身の統一像があることを学び、みずからが内受容性の側面だけではなく外面をも持っていることを知るようになる〕
    〔内受容的自我から可視的自我への移行〕
    (5)-A
    〔鏡の中の像を「自己」として認めることで自己の同一性が得られる〕
    (5)-D
    〔鏡像段階が、人間がはじめて自分が人間であるという経験をする原初の出来事であるとすると〕
    (6)
    〔幼児は、鏡に映る自己の姿を見ることにより、自分の身体を認識し、自己を同定していく〕
    (7)
    〔幼児は鏡像によって、初めて自己の全体像をつくりあげるようになる〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    簡単に見て、
    幼児は自身の鏡像を見ることによって自己の同一性が得られる、って見てるのかな?
    ってすると、鏡を見なかったら自己の同一性が得られない、っていうことになるのかしら?
    「自身の顔を直接見ることはできない」っていうことは確かなことだとわたし思ってるから、自身の顔を見ることができるのは鏡像によるなんだと思うけど…・ あ、これはひとまず横に置いといて。

    ほかに、

    〔B〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (1)-A
    〔1歳以下の乳児は鏡を見せられても,チンパンジーが初めて鏡に接したときと類似して,他者に対するようにふるまう。18か月以降になると,鏡に映った自己像を見て,自分の顔についた染料を触れるようになる。2歳を過ぎるころには,多くの子どもがこのルージュテストに通過することができるようになる。〕
    (2)
    〔生後6ヶ月から18ヶ月の時期を迎えた乳幼児は鏡に映った自分の姿を発見し歓喜に満ちた表情を見せる。・・・・・
    このような発達過程をフランスの精神分析医、ジャック・ラカンは鏡像段階と名付けた。〕
    (3)-A
    〔ラカンは、幼児が「ああそうか体験 Aha-Erlebnis」の際の輝くような表情とともに自分の姿をそれと認知するのだと言う。〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    っていうのもある。

    わたしがよくわかんないのは、
    (a)鏡に映った自己像を見て、これは自己像、って気づくのはいつごろ?
    (b)これは自己像、って“どのようにして”気づくのかしら?
    っていうこと。
    (b)は「鏡を見なかったら自己の同一性が得られないっていうこと?」につながるから後にするとして、
    (a)について、

    (1)-Aによると、〔18ヵ月以降〕ってある。しかも〔1歳以下の乳児は鏡を見せられても,チンパンジーが初めて鏡に接したときと類似して,他者に対するようにふるまう〕ってある。
    ラカンの鏡像段階っていうのが6ヵ月〜18ヵ月のころとしたとき、たとえば8-9ヵ月ごろ、自身が映っている鏡像を見て、それがどう見えているのかがはっきりしないのね。

    〔自分の姿を発見し歓喜に満ちた表情を見せる〕とか〔「ああそうか体験 Aha-Erlebnis」〕はいつごろなの?
    「ああそうか体験 Aha-Erlebnis」をネットで調べたら、
    アハ体験 - Wikipedia
    に、〔未知の物事に関する知覚関係を瞬間的に認識する事〕ってあった。
    この「アハ体験」っていうの、鏡に映った自己像を見て、〈これは自己の像〉、って気づいたとき、ともわたし見れるけど。

    わたしのを書くと、
    〈体自〉ちゃんが、「自-体」(自の体)の鏡像を見て、その鏡像は〈自〉の〈体〉のだ、って気づくのは、生後18ヵ月以降ってして、だから、ラカンのいう鏡像段階の8-9ヵ月ころの〈体自〉ちゃんは、「自-体」が映った鏡像を見ても、まだその鏡像が〈自〉の〈体〉だと気づいてないんじゃないかしら?――「これ、なあに?」――って。
    ってすると、
    〔A〕が起こるのは、〈体自〉ちゃんが、「自-体」の鏡像を見て、それが「自-体」の鏡像である、って気づいたとき以降だと思うから、ギリ生後18ヵ月ころ、っていうことになるじゃないかしら?

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■31672 / inTopicNo.41)  Re[51]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 19:20:14)
    日記っていうのもいいかも。

    わたし、
    マイナンバーカードを作らせる人、作った人に殺される。
引用返信/返信 削除キー/
■31671 / inTopicNo.42)  Re[51]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 19:18:37)
    日記っていうのもいいかも。

    わたし、、
    マイナンバーカードを作らせる人、作った人に殺される。
引用返信/返信 削除キー/
■31670 / inTopicNo.43)  Re[50]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 19:03:48)
    No31666
    あ、タイトル書くの忘れちゃったけど「言葉のざわめきの下」ね。
    の、つづきね。

    自身の鏡像を見たときのこと、を見ていくことにする。

    ラカンの資料、
    No30710のから抜きだして見ると、

    〔A〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (3)-B
    〔鏡とともに、幼児はまず、自分自身の視像があること、また、ひいては自分自身の統一像があることを学び、みずからが内受容性の側面だけではなく外面をも持っていることを知るようになる〕
    〔内受容的自我から可視的自我への移行〕
    (5)-A
    〔鏡の中の像を「自己」として認めることで自己の同一性が得られる〕
    (5)-D
    〔鏡像段階が、人間がはじめて自分が人間であるという経験をする原初の出来事であるとすると〕
    (6)
    〔幼児は、鏡に映る自己の姿を見ることにより、自分の身体を認識し、自己を同定していく〕
    (7)
    〔幼児は鏡像によって、初めて自己の全体像をつくりあげるようになる〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    簡単に見て、
    幼児は自身の鏡像を見ることによって自己の同一性が得られる、って見てるのかな?
    ってすると、鏡を見なかったら自己の同一性が得られない、っていうことになるのかしら?
    「自身の顔を直接見ることはできない」っていうことは確かなことだとわたし思ってるから、自身の顔を見ることができるのは鏡像によるなんだと思うけど…・ あ、これはひとまず横に置いといて。

    ほかに、

    〔B〕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (1)-A
    〔1歳以下の乳児は鏡を見せられても,チンパンジーが初めて鏡に接したときと類似して,他者に対するようにふるまう。18か月以降になると,鏡に映った自己像を見て,自分の顔についた染料を触れるようになる。2歳を過ぎるころには,多くの子どもがこのルージュテストに通過することができるようになる。〕
    (2)
    〔生後6ヶ月から18ヶ月の時期を迎えた乳幼児は鏡に映った自分の姿を発見し歓喜に満ちた表情を見せる。・・・・・
    このような発達過程をフランスの精神分析医、ジャック・ラカンは鏡像段階と名付けた。〕
    (3)-A
    〔ラカンは、幼児が「ああそうか体験 Aha-Erlebnis」の際の輝くような表情とともに自分の姿をそれと認知するのだと言う。〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    っていうのもある。

    わたしがよくわかんないのは、
    (a)鏡に映った自己像を見て、これは自己像、って気づくのはいつごろ?
    (b)これは自己像、って“どのようにして”気づくのかしら?
    っていうこと。
    (b)は「鏡を見なかったら自己の同一性が得られないっていうこと?」につながるから後にするとして、
    (a)について、

    (1)-Aによると、〔18ヵ月以降〕ってある。しかも〔1歳以下の乳児は鏡を見せられても,チンパンジーが初めて鏡に接したときと類似して,他者に対するようにふるまう〕ってある。
    ラカンの鏡像段階っていうのが6ヵ月〜18ヵ月のころとしたとき、たとえば8-9ヵ月ごろ、自身が映っている鏡像を見て、それがどう見えているのかがはっきりしないのね。

    〔自分の姿を発見し歓喜に満ちた表情を見せる〕とか〔「ああそうか体験 Aha-Erlebnis」〕はいつごろなの?
    「ああそうか体験 Aha-Erlebnis」をネットで調べたら、
    アハ体験 - Wikipedia
    に、〔未知の物事に関する知覚関係を瞬間的に認識する事〕ってあった。
    この「アハ体験」っていうの、鏡に映った自己像を見て、〈これは自己の像〉、って気づいたとき、ともわたし見れるけど。

    わたしのを書くと、
    〈体自〉ちゃんが、「自-体」(自の体)の鏡像を見て、その鏡像は〈自〉の〈体〉のだ、って気づくのは、生後18ヵ月以降ってして、だから、ラカンのいう鏡像段階の8-9ヵ月ころの〈体自〉ちゃんは、「自-体」が映った鏡像を見ても、まだその鏡像が〈自〉の〈体〉だと気づいてないんじゃないかしら?――「これ、なあに?」――って。
    ってすると、
    〔A〕が起こるのは、〈体自〉ちゃんが、「自-体」の鏡像を見て、それが「自-体」の鏡像である、って気づいたとき以降だと思うから、ギリ生後18ヵ月ころっていうことになるじゃないかしら?

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■31666 / inTopicNo.44)  Re[49]:
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 18:21:21)
    No31655 のつづき、
    生後8-9ヵ月の〈体自〉ちゃん。
    ひとまず、
    (1)〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈他(者)〉になっていて、当の〈自〉そのものの存在には気づいていない。
    〈自〉も〈他〉も存在していない、〈自〉と〈他〉の区別がない状態。――自他融合状態
    (2)〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈体〉があることをまだ知らない。
    ってして見て、――こういう状態の〈体自〉ちゃんが鏡を見るのね。

    自身の顔は直接見ることはできない。ここで初めて〈体自〉ちゃんは「自-体」(自の体)の顔の鏡像を見ることになるんだけど、このとき、〈自〉は〈自-体〉になっている、っていうことになるのかな?

    やっぱこれも最初は「これ、なあに?」ってなってるんじゃないかしら?

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■31665 / inTopicNo.45)  Re[48]: 語学耳 補足
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 17:55:33)
    田秋さん、ありがとございます。

    ><体自>ちゃんの聴覚体験が脳のどこかに刻まれてたりして<
    うん、わたしもそうなんじゃないかな〜、って。

    一般的に、3歳は大人とふつうに会話できるじゃん。
    その大人もね、かつては3歳児だったのね。

    「語学耳」っていうより〈体自〉ちゃんには「語覚耳」の方があってるかも?
引用返信/返信 削除キー/
■31657 / inTopicNo.46)  語学耳 補足
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/09(Sun) 11:22:15)
    こんにちは、悪魔ちゃん

    先日、語学耳のことを書きました。そこで「言葉」という単語を使いましたが、正確には「発音」のことを指しています。日本人が不得意な「r」と「l」の区別、ドイツ語に出てくるuやoの上に点々がついている「uウムラウト」や「oウムラウト」の発音、中国語やフランス語特有の発音などを生後10か月くらいまでに日常的に聞いて育つと、母語のように発音できるようになる、そういう意味の「語学耳」です。

    聴覚はまだお母さんのおなかの中にいる頃(半年くらい?)から機能し始めているそうです。<体自>ちゃんの聴覚体験が脳のどこかに刻まれてたりして・・・因みにボクにそういう記憶が蘇ることはありません、今のところは。。。


引用返信/返信 削除キー/
■31655 / inTopicNo.47)  Re[46]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/09(Sun) 10:17:44)
    今回の物語りは「ラカンの鏡像段階のと現象学のとわたしの」になってるのかな?
    わたしが「〈体自〉ちゃん」ってして、「それ」をわたしから見て(客観的に見て)、になってるんかもしれないけど、できるだけ〈体自〉ちゃんになったつもりで見ようとしているだけど、これってとっても難しい。しかもそれを言葉で表現するには、ね。
    でも、そこをなんとか、みたいな。

    No31543のつづき
    自他融合の状態――〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈他(者)〉になっていて、当の〈自〉の存在には気づいていない。〈自〉も〈他〉も存在していない、〈自〉と〈他〉の区別がない状態。――っていうわたしのイメージできたところで、
    生後8-9ヵ月ころの〈体自〉ちゃん。

    このころは、聴・視・嗅・味の感覚が完成し、ハイハイしたり、つかまり立ち、エンコして両手に物を握ったりできるころみたい。
    そして、ひとまず、このころは上のような自他融合の状態ってして見てるんだけど。

    ラカンの鏡像段階で、思ったんだけど、
    ひょっとしたら、まだこのころの〈体自〉ちゃんの〈自〉は、〈体〉があることも知らないんじゃないかしら?って。

    No30939の(9)に、
    生後8ヵ月ころ、〔自分の身体を注視して見つめる〕
    ってある。
    〈体自〉ちゃんの〈自〉は〈体〉があることをまだ知らないから、自分の身体にふと志向して、「これ、なあに?」って不思議がってる、みたいな?
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■31617 / inTopicNo.48)  Re[45]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ みのり -(2023/07/08(Sat) 08:04:41)
    悪魔ちゃん、レスありがとうございます。

    No31591に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > メルポンの、
    > 『言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。』
    > っていうのに関心もってもらってわたし嬉しい。
    > ここのところ、もう少し書いてあるのを、
    > No27553に書いたけど、気が向いたら見て。
    >
    > わたしのばあい、そのまま見ちゃうのね。「言葉のざわめきの下の沈黙」は、沈黙してるのは、まだお喋りできない赤ちゃんのこと、って。だから、0歳児のことかな?って。で、「この沈黙をやぶる身振り」っていうのは1歳ぐらいかな。このころの私はどうなってるんだろうかな?って。ラカンの鏡像段階(ここで話題としてるのは生後6〜18ヵ月のころの私よね)っていうのとからめて、そういうんでいまのテーマは「言葉のざわめきの下」。

    うん、なんとなくそういう感じというのは伝わってきてました。

    たくさん書いてくださってたのも目を通させてもらったよ。^^
    難しいね。。ほとんどわからなかった。。
    悪魔ちゃん、すごいなぁ。


    紹介いただいたNo27553から。

    ===
    P305われわれは言葉が制定されて(instituee)いる世界のなかに生きている。日常的なあらゆる言葉に対して、われわれ自身のうちに出来合いの意義が用意されている。これらの言葉はわれわれの心に二次的な思想しか呼びおこさない。この思想はこの思想でまた別の言葉に言い直される。そしてこの別の言葉とは、われわれから真の表現の努力といえるものを少しも要求せず、聞き手がそれを了解するためにも何ら努力を必要としないような言葉である。こういうわけで言語活動と言語理解とは、当たりまえのことのように思われる。言語的世界、相互主観的世界は、われわれにとってもはや驚くべきことではない。われわれはこの世界をもはや世界そのものから区別しない。そしてわれわれが反省するのも、すでに語られまた語りつつある世界の内部においてである。話すことを学ぶ幼児の場合にせよ、あることがらを初めて語り考える著述家の場合にせよ、要するにある沈黙を言葉に変えるすべてのひとびとの表現や意思伝達のなかに存する偶然なものにわれわれはもはや気づかなくなっている。しかし日常生活において使用される既成の言語は、明らかに表現の決定的な段階がすでに踏み越えられたこと前提にしている。われわれがこの起源に遡り、言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるであろう。言語は身振りであり、その意義は一つの世界なのである。
    ===

    読んで思ったのは・・。
    思うこと、感じることは一人一人微妙に違うはずなのだけれど、言語という一般化されたもので表現されることによって、その微妙な違いが無効化されてしまうというようなことなのかな、って。

    私が読み取ったのはこんな感じなんだけど、メルロポンティ知らないからあくまで、限定的なここから読み取っただけのものってことで。。

    たくさん書いてくださってありがとうございました。^^
    ではねっ♪
引用返信/返信 削除キー/

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