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■27681 / inTopicNo.85)  日記・概念(あるいは言葉)は空(くう)
  
□投稿者/ pipit -(2022/11/27(Sun) 08:08:55)
    2022/11/27(Sun) 09:24:10 編集(投稿者)
    2022/11/27(Sun) 08:13:41 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちは。
    概念について思うことを書きます。

    以文社『純粋理性批判 上』宇都宮芳明先生監訳、p138より引用。
    『われわれの表象のあらゆる分析に先立って、まず表象が与えられていなければならず、どんな概念も内容という点では分析的に生ずることはできない。』
    (B103、田村一郎先生訳)

    カントは 【概念から内容が分析的に生ずることはない】とここでは言ってます。
    関連してpipitが思い出したのは、カント世界では有名なあの文言です。

    同本p114から引用。
    『内容を伴わない思考は空虚であり、概念を伴わない直観は盲目なのである。したがって対象にかかわる概念を感性化する(つまり概念に直観の対象をつけ加える)ことと、対象にかかわる直観を概念化する(つまり直観を概念のもとにもたらす)こととはともに不可欠である。(略)両者が一体になることでしか、認識は生まれないのである。』
    (B75.76、田村一郎先生訳)

    同様に思い出したのが、
    No27668の内容と、ニ進法と、コンピュータと、です。

    今のコンピュータの仕組みがどうなってるのかわかりませんが、pipitのイメージでは、ニ進法(0と1)で規則的に演算が行われ、コンピュータが制御されている。
    でも、このとき、0の内容と、1の内容は、結局、感性界の表現に結び付けられていると思ったんです。
    ものすごく単純に考えるなら、0は「電流がその場に無いこと」、1は「電流がその場に有ること」、とかね。

    上記B75の表現で言えば、概念だけでは内容が「空虚」だな、と。
    B103から言えば、概念から分析的に内容が生ずることはない、と。

    概念(人間が自発的に生み出した像)を直観(人間が感性を通して与えられた像)と結びつけることで、(学として耐え得る)認識が生じる。
    そうしてコンピュータは動いてるのかなあ?って、
    今朝そんなことを思いました。

    ♪ 休憩
    Qeiru - 儚い
    https://youtu.be/19SC59YG-uk
引用返信/返信 削除キー/
■27675 / inTopicNo.86)  Re[12]: 日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/26(Sat) 20:51:21)
    2022/11/26(Sat) 20:52:27 編集(投稿者)

    構想力でなんでもかんでも像を表象しちゃうけど(盲目的)、純粋悟性概念によって総合的統一された対象(ただし最端は感性的直観像であることが条件)のみが客観に妥当する対象となる、って感じかなぁ

    わたしにはカントの哲学は理解するのに時間いっぱいかかっちゃう気がするなぁ
    (;o;)

引用返信/返信 削除キー/
■27671 / inTopicNo.87)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/26(Sat) 19:50:43)
    No27669に返信(pipitさんの記事)
    > でもそうなると、構想力が、とても不思議な力になってしまう気がするなー
    >
    > 像を造る力 としての 構想力(想像力)

    なるほどー

    【一般的には総合は、魂の盲目だが欠くことのできない機能である構想力の働きにすぎない。B103】(田村一郎先生訳)

    盲目的に構想力が対象のボヤボヤ集合的素材を作り上げ(完全な感性でもなく完全な悟性でもなく、、、)、それに合わせて悟性が純粋悟性概念を生み出し、適応させ(人間にとっての)客体として概念化する、、、
    構想力がやっぱり、、、
    扱い方がすごく難しくなる気がするなぁ。
引用返信/返信 削除キー/
■27669 / inTopicNo.88)  Re[10]: B104抜粋引用
□投稿者/ pipit -(2022/11/26(Sat) 19:38:53)
    でもそうなると、構想力が、とても不思議な力になってしまう気がするなー

    像を造る力 としての 構想力(想像力)
引用返信/返信 削除キー/
■27668 / inTopicNo.89)  B104抜粋引用
□投稿者/ pipit -(2022/11/26(Sat) 19:35:20)
    みなさま、こんばんはー

    No27657に返信(pipitさんの記事)
    > また後で当該箇所を読んで考えてみまーす。
    >

    田村一郎先生の訳文を引用させていただきます。
    以文社『純粋理性批判 上』宇都宮芳明先生監修、p139、B104
    『ところで一般的にみると純粋な総合は、純粋悟性概念を生み出す。
    しかし私がこの純粋総合という言葉で考えているのは、ア・プリオリな総合的統一の根拠に基づく総合である。
    したがってわれわれが行う計算(ことに大きな数字になるとよりはっきりするが)は、概念による一つの総合である。
    なぜなら計算は、単位という共通の根拠(例えば十進法の)に従ってなされるからである。
    したがってこうした概念のもとではじめて、多様を総合する統一は必然的となるのである。』
    引用終了。

    算術の例で考えると、7+5で、7+5が含む内容をわちゃわちゃ総合して、その総合は、ある概念に基づき統一されたもので(例えば十進法なら12)、って感じかなぁ。
    そういう働き方のように、
    純粋な感性的直観形式が持つ多様を、構想力が純粋総合し、その純粋総合を悟性が概念化する。
    この最後の悟性の働きが純粋悟性概念を生み出す現場ということかな。



引用返信/返信 削除キー/
■27657 / inTopicNo.90)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/26(Sat) 07:25:01)
    わぁ、色が変わっててびっくり!
    諸行無常♪

    No27648
    >むむむむ、これでは、もう出てくるのは枠られてる認識ではないですか....
    ヽ( ̄д ̄;)ノ<

    カントはこの箇所に算術を例に出してたけど、
    例えば、
    5+7=12
    は、
    直観 を 総合 して 概念把握 する。
    としたら、
    概念把握の根元に、十進法という概念が認識(12)の根拠に置かれてくると思うんですけど、
    そういうかんじで、対象認識の根拠として純粋悟性概念を持ってくるのかな、と。

    今日仕事なので、取り急ぎ思いついたことを!
    また後で当該箇所を読んで考えてみまーす。

引用返信/返信 削除キー/
■27648 / inTopicNo.91)  B102-103
□投稿者/ pipit -(2022/11/25(Fri) 21:04:26)
    2022/11/25(Fri) 21:05:49 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは(^○^)

    No27213
    > 「純粋理性批判」第二版 B89ー116
    > 第一部 超越論的分析論
    いよいよ、
    > E第一章の第三節 純粋悟性概念、あるいはカテゴリーについて。<
    B102-116です。

    まずは、B102-103
    ・アプリオリな純粋直観の多様が、純粋悟性概念の素材となる。純粋直観を欠いては、純粋悟性概念はまるで内容を持たず、空虚なものとなる。

    ・空間・時間はアプリオリな純粋直観の多様を含むが、にもかかわらず心の持つ受容性という条件の下にある。

    ・こうした条件はいつも対象の概念に影響せざるを得ない。

    ・しかしながら思考の自発性は、認識を生み出すために、こうした多様を総合する操作を求める。(総合が認識の条件となる)

    【一般的には総合は、魂の盲目だが欠くことのできない機能である構想力の働きにすぎない。B103】(田村一郎先生訳)

    ・この総合を概念に高めるのが悟性の持つ機能であり、悟性は総合を行うことによってはじめて本来の意味での認識を与えてくれる。

    ・一般的にみると純粋な総合は、純粋悟性概念を生み出す。

    ※※※※※※※※
    (pipit感想)
    ふむー、純粋悟性概念の素材は感性的純粋直観...
    純粋直観を純粋総合すると純粋悟性概念になるということなんだろうか
    (・・?)
    パターンとして、経験的で思考してみると、
    経験的直観を総合すると経験的概念を悟性が生み出す...

    その動き方を、純粋なフィールドで行って、悟性が概念を純粋に生み出す....

    むむむむ、これでは、もう出てくるのは枠られてる認識ではないですか....
    ヽ( ̄д ̄;)ノ

    ※誤読してる可能性ありますので、続きを読んでみます。

引用返信/返信 削除キー/
■27629 / inTopicNo.92)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/24(Thu) 00:24:23)
    ワールドカップ見て、遅くなっちゃったって、洗濯物干して、宇宙見上げたら、流れ星見た!!
    (*^ω^*)v

    おやすみなさーい ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■27609 / inTopicNo.93)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/23(Wed) 08:59:43)
    2022/11/23(Wed) 09:02:42 編集(投稿者)

    今朝、カントの文章が頭に(心に?)浮かびました。

    『論理学のねらいはもつれされることでなく解きほぐすことである。伏せたままにしておくことではなくて、明るみにもち出すことである。』
    (理想社、カント全集第二巻、山下正男先生訳、p96(『三段論法に四つの格をもうけるのはくわしすぎのあやまちを犯すものであるということの証明』より)

    上記本を開くと、
    『論理学がなにごとももっとも単純に考えることを本来の目的としているにもかかわらず』(同本p97)という文言もありました。
    カントの論理学に対する姿勢(捉え方)を表明したものだと思いました。

    『引き算(捨てる)』という概念を思いました。
    御子柴善之先生の解説で、関連するものがあったように思ったので、みてみたら、ありました。引用します。

    『、カントは認識におけるア・プリオリな原理を探求する際に、経験からの捨象という手法を採ります。哲学には、さまざまな経験から共通する要素を抽象するという手法(帰納法)もありますが、カントは捨象という手法を用いるのです。』
    (角川選書『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、p91より引用)
引用返信/返信 削除キー/
■27580 / inTopicNo.94)  B100-101
□投稿者/ pipit -(2022/11/20(Sun) 15:30:35)
    2022/11/20(Sun) 15:51:17 編集(投稿者)
    2022/11/20(Sun) 15:45:58 編集(投稿者)
    2022/11/20(Sun) 15:43:34 編集(投稿者)
    2022/11/20(Sun) 15:42:32 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちはー

    No27213
    B100-101です!

    カントは一般論理学の【判断表】に注目することで、人間に使用可能なアプリオリな概念の探索(しかも体系的なコンプリート(完全)を目論んで)に試みます。

    今読んでる
    > D第一章の第二節 判断における悟性の論理的機能について。<
    B95-101

    は、その既存の【判断表】についての記述です。純粋悟性概念(カテゴリー)表作成のための下準備の箇所ですね。

    今日読むのは、判断表の第四「判断の様相(様態)」についての補足です。

    判断一般の形式において、思考の機能という点に注目すると、大きく分けて四つに分類されるとカントは分析します。

    判断の量
    判断の性質
    判断の関係
    判断の様相

    ですね。
    「機能」という言葉が出ていますが、カントは、
    『さまざまな表象を一つの共通の表象のもとに秩序づける働きの統一性と考えている。』
    (以文社、上、p132、田村一郎先生訳)
    とのこと。

    感性的直観象、あるいは思われた象、様々な象を秩序づけることが判断とカントは考えていることかな、と。
    例えば、(=^x^=) を 「ネコ」と判断する。

    『(=^x^=) は「ネコ」です』・・・肯定判断(性質)であり、断言判断(関係)であり、単称判断(量)、かな?

    この場合は、(=^x^=)象を、「ネコ」象のもとに秩序づけることを『判断』とカントは言ってるのかとpipitは思いました。

    この秩序づけが思考の機能で、四項目で秩序づけが行使される。
    昨日まで見てきたのが、量、性質、関係について、で、今日が最後の項目「様相」です。

    この「様相」は先の「量、性質、関係」と異なった『判断の特殊な機能』とカントは言います。
    先の三項目が判断の内容に関わるものなのに、この「様相」は
    『思考全般に対してもつ繋辞(コプラ)の価値にかかわるにすぎない』(田村先生訳、p136)
    とのこと。

    カントは思考の機能を四項目に分けましたが、それぞれの項目は三つの要素からなる、としてます。
    この「様相」の三要素は、
    @蓋然的
    A実然的
    B確然的
    です。

    例えば、「(=^x^=)はネコである。」の【である】について
    蓋然的と判断するのか
    実然的と判断するのか
    確然的と判断するのか、
    ということなのかな??

    カントの言をみてみます。_φ(・_・
    (田村一郎先生訳文を抜粋引用させていただきます。p136)

    @『蓋然的判断は、肯定や否定をたんに可能的(任意的)として想定する。』

    A『実然的判断では、肯定や否定は現実的(真)と考えられる。』

    B『確然的判断では、肯定や否定が必然的とみなされる。』

    ふむふむ、ここから少し(pipitには)興味深くなります。↓

    @『蓋然的な命題は、(客観的ではなく)たんに論理的可能性だけを表すのであり、この命題を妥当とするかどうかの自由な選択、つまりこの命題を悟性の中に受け入れるかどうかの恣意性を表すにすぎない。』 

    A『実然的命題は、論理的な現実性あるいは真理性について語るものである。
    たとえば仮言的理性推理では、前件は大前提においては蓋然的に現れるが、小前提では実然的に現れ、命題が悟性の法則に従ってすでに悟性と結びつけられていることを示している。』

    B『確然的命題は、実然的命題を悟性自体のこうした法則によって定められたもの、したがってア・プリオリに主張するものと考え、こうした仕方で論理的必然性を表現するのである。』


    『ここでは、すべてが順に悟性に組み入れられる。まず、あることが蓋然的に判断される。次に、それが実然的にも真と受け止められ、最後に悟性としっかり結びつけられたものとして、つまり必然的で確然的に主張される。だから様相のこうした三つの機能は、思考一般の三つの要素とも呼べるのである。

    ※となると思考は、第一の場合には悟性の機能であり、第二の場合には判断力の機能、第三の場合には理性の機能であるように見える。このことの説明は、後に回したい。』
    (以文社、上、p137、田村一郎先生訳)

    以上で、
    > D第一章の第二節 判断における悟性の論理的機能について。<
    終わります!

    次は、
    > E第一章の第三節 純粋悟性概念、あるいはカテゴリーについて。<
    B102-116

    Σ(・□・;)カテゴリ

    休憩です♪
    「それがあなたの幸せとしても」を歌ってみた
    kkさん

    https://youtu.be/qJFNzI8VT4I
引用返信/返信 削除キー/
■27577 / inTopicNo.95)  B98-99
□投稿者/ pipit -(2022/11/19(Sat) 21:46:01)
    2022/11/19(Sat) 21:48:29 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは(^^)

    No27532
    >Dの残り部分全部B98-B100まで。
    いけるかな??!<

    ふぁいとぉ|( ̄3 ̄)|

    とりあえずB98-99まで!
    【仮言判断と選言判断の特性(判断表・第三の「判断の関係」についての補足)について】

    判断における思考の〈関係〉は3タイプ。

    @主語と述語の関係。・・・二つの概念が考察される。→→判断の量と、判断の性質に関連した判断にかかわる。(全称判断、特称判断、単称判断)例:すべてのAはBである。

    A原因と結果の関係。・・・二つの判断が考察される。例:「完全な正義というものがあるならば、悪事をなしつづける人は罰せられる」前文、後文が単独でそれぞれに真か否かはここでは決定されずに、判断と判断の関係が考察されている。

    B個々の分割された認識に含められるすべての選言的な認識のあいだの相互的な関係。・・・互いに対立した関係にある複数の判断が考察される。→→多くの命題が互いに関連づけられるが、問題となるのは(原因と結果の関係)ではない。選言判断においては、認識の相互的な関係が含まれているのであり、これは互いに他の認識を排除しながらも、それぞれが集まって一つの全体を構成する。例:AはBであるかCである。
     
    (pipit感想)
    ある表象 と、ある表象 を結ぶ(関係という概念)を、この三つの判断
    @断言判断
    A仮言判断
    B選言判断
    から見出すのかな、と思いました。

    この判断は
    @概念と概念の関係
    A判断と判断が原因と結果の関係
    B判断と判断が並列的に集まって全体を形成している関係

    Bの「選言」の意味を調べてみました。
    コトバンクさんより引用
    『せん‐げん【選言】
    &#12312;名&#12313; (disjunction の訳語) 伝統的形式論理学で、「あるいは」という接続詞で結びつけられた二つ以上の述語が、一つの主語に結びつけられた文の形式。たとえば「A君は長男か、あるいは次男である」の類。現代論理学では、二つの命題のうち、少なくとも一つが正しいことを主張する命題を、前二者の選言という。
    ※論理学(1916)〈速水滉〉一「選言(或は離接)(Disjunctive)甲は乙なるか丙なるかなり」』

    「離接」という言葉がおもしろいなと、再びコトバンクさんで検索しました。
    『り‐せつ【離接】
    &#12312;名&#12313; 二つの命題を「または」ないしはこれと同義の接続詞「もしくは」「あるいは」などで結んで得られる合成命題。二つの命題のうち少なくとも一方が真のときにこの合成命題は真とされる。論理和。→合接。
    ※論理学(1916)〈速水滉〉一「選言(或は離接)(Disjunctive)甲は乙なるか丙なるかなり」』

    ふむー、勉強なります_φ(・_・
引用返信/返信 削除キー/
■27536 / inTopicNo.96)  うましかさんへ (*^ω^*)
□投稿者/ pipit -(2022/11/16(Wed) 09:28:51)
    うましかさん、おはようございます!

    大変そうななか、書き込みくださり感謝です。

    またうましかさんの哲学書き込みも読めたら超嬉しいです、が、

    日々気がつくと用事だらけだったりしますよね
    ( ̄◇ ̄;)

    上手く物事が進みますように p(^_^)q
引用返信/返信 削除キー/

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