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■27135 / inTopicNo.85)  Re[16]: B87ー88
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/21(Fri) 20:39:10)
    ごめんね、pipitさま、初歩的な質問で、

    カントのいう「批判」って、どういう意味で使ってるのかしら?

引用返信/返信 削除キー/
■27134 / inTopicNo.86)  B87ー88
□投稿者/ pipit -(2022/10/21(Fri) 20:18:34)
    みなさま、こんばんは(^○^)

    No27088
    > まずは、B74ーB88の箇所となります。
    > 第2部-超越論的論理学
    > 序・超越論的論理学の理念
    > I.論理学一般について
    > II.超越論的論理学について
    > III.一般論理学の分析論と弁証論への分割について
    > IV.超越論的論理学の超越論的分析論と弁証論への分割について<


    『第2部-超越論的論理学
    序・超越論的論理学の理念
    IV.超越論的論理学の超越論的分析論と弁証論への分割について』

    B87ー88

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap30

    (pipit的まとめ)
    序(INTRODUCTION)の最後、第四節です!

    超越論的論理学は二部門に区分して著述するとカントは宣言します。
    @超越論的分析論
    A超越論的弁証論

    ※御子柴善之先生の解説本に載っている『構成マップ』(角川選書、p15)を参考にして、@Aに含まれる内容を簡易に書き出します。

    【超越論的論理学】
    @分析論→→→→(1)概念論(カテゴリーの導出/演繹)
          →→(2)原則論(図式論/原則の体系/他)

    A弁証論→→→→(1)弁証論的推理論(理想/二律背反/誤謬推理)
    →→(2)理念論

    この超越論的論理学では、わたしたちの認識のうちから、その起源が知性だけにある思考の部分を取り出してみよう、とのこと。
    その上で、

    第一部(分析論)では、純粋な知性の認識のさまざまな要素を提示し、対象を思考するために不可欠な原理を記述する。

    ※この時注意すべきは、
    「対象を思考するために不可欠な原理」の対象となる素材を与えることができるのは経験だけであり、純粋な知性概念は、感性的直観により与えられた素材にだけ適用できる。
    もし経験の領域を超えたところまで、純粋な知性の認識と原則を利用とするなら、純粋知性の濫用であり、純粋知性が〈弁証論的に〉利用されているのである。
    そのような弁証論的な仮象を批判するのが次の第二部である。

    第二部(弁証論)では、仮象を作り出す技術を論ずるのではなく、知性と理性の超自然的な利用を批判する学となる。
    この学の目的は、知性と理性による無根拠で超権的な仮象の暴露と、純粋な知性と理性がソフィスト的なまやかしに陥らないように保護することだけを目的とする。

    (pipit感想)
    序、終わった!

引用返信/返信 削除キー/
■27125 / inTopicNo.87)  B86
□投稿者/ pipit -(2022/10/20(Thu) 20:13:41)
    みなさまこんばんは。B86の田村一郎先生の訳を見てみました。
    『純粋理性批判 上』以文社、宇都宮芳明先生監訳、p120より引用。

    『このような教えは、どう考えても哲学の尊厳にはふさわしくない。その尊厳を守るためにはむしろ、弁証論というこの名を弁証論的仮象の批判として論理学の一部門に加える方がよいし、ここでもそのように理解させてもらうことにする。』

    とありました。
    カント先生、了解です!


    No27123に返信(pipitさんの記事)
    > No27104
    >
    > >・・・ですが、ややこしいことに、カントは最後に、こう述べます。文のはじめにでてくる(このような教え)とは、『弁証論』のことです。中山元先生の訳で[ ]は中山先生による挿入です。
    > >『このような教えは、いかなる意味でも哲学の品位にふさわしいものではない。
    > そこでわたしは[弁証論そのものではなく]弁証論的な仮象への批判を、弁証論と名づけて、この[超越論的な]論理学の一部に組み込んだのである。
    > 本書で弁証論というときには、そのような意味であることを了解されたい。』
    > 第二巻p36(B86)
    > >、、、いや、勝手なんちゃいます?
    > まあ、いいですけど
    > (ー ー;)<
    >
    > あ!と、再読してて思いました。
    >
    > もしかしたらカントは、『本物の(哲学学問としての)弁証論見せちゃるわ!』というココロで、超越論的弁証論と名づけたのかな、と。
    >
    > わかりませんけど(^^;)
引用返信/返信 削除キー/
■27123 / inTopicNo.88)  再読日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/20(Thu) 17:36:47)
    No27104

    >・・・ですが、ややこしいことに、カントは最後に、こう述べます。文のはじめにでてくる(このような教え)とは、『弁証論』のことです。中山元先生の訳で[ ]は中山先生による挿入です。
    >『このような教えは、いかなる意味でも哲学の品位にふさわしいものではない。
    そこでわたしは[弁証論そのものではなく]弁証論的な仮象への批判を、弁証論と名づけて、この[超越論的な]論理学の一部に組み込んだのである。
    本書で弁証論というときには、そのような意味であることを了解されたい。』
    第二巻p36(B86)
    >、、、いや、勝手なんちゃいます?
    まあ、いいですけど
    (ー ー;)<

    あ!と、再読してて思いました。

    もしかしたらカントは、『本物の(哲学学問としての)弁証論見せちゃるわ!』というココロで、超越論的弁証論と名づけたのかな、と。

    わかりませんけど(^^;)
引用返信/返信 削除キー/
■27109 / inTopicNo.89)  Re[12]: 対象日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/19(Wed) 20:48:20)
    悪魔ちゃんがおもしろくおもってくれてなんかうれしい
    (#^.^#)♪

    生き物不思議だねー
引用返信/返信 削除キー/
■27107 / inTopicNo.90)  Re[11]: 対象日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/19(Wed) 18:58:15)
    ■27105、pipitさま、
    https://youtube.com/shorts/gwVbznDifcs?feature=share
    うふ、ってウケました。

    ふきだしを作ってみました。

    大きいカエルさん「ぺろ!」
    小さいカエルさん「えっ!!」

    大きいカエルさんの視線、小さいカエルさんの視線、このやりとりが、おもしろかった〜。


引用返信/返信 削除キー/
■27105 / inTopicNo.91)  対象日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/19(Wed) 16:29:49)
    うーむ、小さいカエルさんは、大きいカエルさんを一匹の生き物と認識して、いろいろ考えての、この視線の方向なんだろうか。。。

    生き物ワンダーランドだわ。。。考えたら物質もワンダーランドかもだけど。。。

    https://youtube.com/shorts/gwVbznDifcs?feature=share
引用返信/返信 削除キー/
■27104 / inTopicNo.92)  B82ー86
□投稿者/ pipit -(2022/10/19(Wed) 12:49:41)
    No27088
    > まずは、B74ーB88の箇所となります。
    > 第2部-超越論的論理学
    > 序・超越論的論理学の理念
    > I.論理学一般について
    > II.超越論的論理学について
    > III.一般論理学の分析論と弁証論への分割について
    > IV.超越論的論理学の超越論的分析論と弁証論への分割について<

    みなさま、こんにちは!

    『III.一般論理学の分析論と弁証論への分割について』
    B82ー86 です(^ ^)

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap29

    (pipit的まとめ)
    真理とは、(認識がその対象と一致すること)と定義された場合、

    「個々の認識が真理であることを示す普遍的で確実な基準はなにか?」
    という問いは、問い自体が不適切(自己矛盾)である。

    「普遍的で確実な基準」は全ての認識に妥当するということ(基準においては認識のすべての内容が無視される)
    なのに、
    個別の認識の内容にそれぞれの差異があり、真理とは内容そのものにかかわる(※冒頭の真理の定義参照: 認識がその対象と一致すること)

    それゆえ、

    『認識の素材(認識の内容)という側面から、認識の真理の普遍的な特徴を要求することはできないし、それを要求することは自己矛盾となる。』B83(中山元先生訳)

    だから、真理の基準の可能性があるとすれば、それは『形式』の側面に求めるしかない。
    そして、認識する規則としての形式・・・思考にかんしてみずから定めた普遍的な規則・・・に矛盾した認識は、自己矛盾であり、虚偽となる。

    この、思考一般の規則という基準は、形式に妥当するか否かということのみの消極的条件(真理の必要条件)にとどまるものであり、ある認識が論理的な形式に完全に適合していて思考的に自己矛盾を含まないとしても、その対象に関しては矛盾することはありうる。

    (カントの時代の)一般論理学には、この消極的条件を超えることはできない。
    一般論理学には、形式にかかわる誤謬ではなく、内容にかかわる誤謬を発見できるような試金石は存在しない。

    ・・・
    以上の内容を踏まえまして、

    カントは学問世界にある一般論理学を、『分析論』と、『弁証論』に分けて区別します。

    『分析論』・・・知性と理性による認識の〈形式〉にかかわるすべての作業をさまざまな要素に分解し、人間認識の論理的な判断の原理として提示する、そのような一般論理学を、カントは『分析論』と呼びます。

    そして『分析論』としての一般論理学が示すように、この論理学は、本来内容には関わらない、判断を下すための〈基準〉カノンにすぎないのに、、、
    この分析的論理学を《道具》オルガノンとして扱い、なんらかの主張を作り出すために不正に利用されてきた過去と現在がある、と、カントは見ます。

    そのように、学問の道具オルガノンと思い込まれた一般論理学を、カントは『弁証論』と呼びます。

    古代のソフィストたちが、自らの意見を真理としてゴリ押しするために、内容には関わらない消極的な条件としての論理学を、まやかしで、内容への真理を保証するための論理学として不正に利用する、そのための論理学を『弁証論』→→→【仮象の論理学】とカントは呼びます。


    ・・・ですが、ややこしいことに、カントは最後に、こう述べます。文のはじめにでてくる(このような教え)とは、『弁証論』のことです。中山元先生の訳で[ ]は中山先生による挿入です。

    『このような教えは、いかなる意味でも哲学の品位にふさわしいものではない。
    そこでわたしは[弁証論そのものではなく]弁証論的な仮象への批判を、弁証論と名づけて、この[超越論的な]論理学の一部に組み込んだのである。
    本書で弁証論というときには、そのような意味であることを了解されたい。』
    第二巻p36(B86)

    、、、いや、勝手なんちゃいます?
    まあ、いいですけど
    (ー ー;)

    ということで、
    > III.一般論理学の分析論と弁証論への分割について<
    の読書、終わります!
引用返信/返信 削除キー/
■27100 / inTopicNo.93)  B80ー82
□投稿者/ pipit -(2022/10/18(Tue) 23:34:08)
    2022/10/19(Wed) 08:28:55 編集(投稿者)
    2022/10/18(Tue) 23:39:40 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは!

    No27088
    『第2部-超越論的論理学
    序・超越論的論理学の理念
    II.超越論的論理学について』
    B80ー82

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap28

    (pipit的まとめ)
    超越論的な認識とは→→→あるアプリオリな表象(直観あるいは概念)がまったく経験から生まれたものではないという認識と、それにもかかわらずこうした表象が、経験の対象とアプリオリにかかわることができるという可能性だけを、超越論的な認識と呼べる。

    ※※※※※※※※参考(定義の一つとして)
    『超越論的』という用語を、カント自身が第二版序論のB26では、
    『私は、対象にかかわるのではなく、対象についてのわれわれの認識の仕方に、しかもこの認識の仕方がア・プリオリに可能である限りにおいてかかわるすべての認識を、超越論的と名づける。』(宇都宮芳明先生訳)と定義してます。 
    また、この箇所(B80)を解説した御子柴善之先生『カント純粋理性批判』角川選書、p113の解説文を引用します。
    『三角形の内角の総和が二直角であることも、7+5が12であることも、ア・プリオリな認識ですが、これらは超越論的認識とは呼ばれません。超越論的認識とは、そうしたア・プリオリな認識が可能であること、またいかにして可能であるかを認識させるような、ア・プリオリな認識なのです。したがって、超越論的という形容詞が用いられるのは、認識の対象についてではなく、私たちのこころの表象についてなのです。』
    引用終了※※※※※※※※

    カントは宣言します。
    対象とアプリオリにかかわる、純粋な知性と純粋な理性認識の学の理念を、ここに前もって構築することにしたい、と。
    (そのような学を構築できたなら、対象を完全にアプリオリに思考することができるだろう、と。)
    知性と理性の法則だけについて、それがアプリオリに対象に関係するかぎりで考察するのだから、そのような学は『超越論的論理学』と呼ばなくてはならない、とのこと。

    (pipit感想)
    この箇所の御子柴善之先生の解説がpipitにはわかりやすかったです。
    引用します。
    『@超越論的論理学には一つの期待が込められています。それは、ア・プリオリに対象に関係できる概念があるのではないかという期待です。対象との直接的な関係は「直観」と呼ばれますが、それとは異なる仕方で対象と関係できる、ア・プリオリな概念の存在を期待するのです。
    Aそうした概念を用いて私たちが「対象を完全にア・プリオリに考える」学問として、私たちは純粋悟性認識や純粋理性認識の学問を構想します。ここで「純粋理性認識」という言葉が入ってきましたが、それは、論理学には悟性のみならず、推論の能力でもある理性もかかわるからです。
    Bそうした学問は超越論的論理学と名づけられるべきであり、この学問によって純粋悟性認識や純粋理性認識における「認識の源泉、範囲、客観的妥当性」が明確に定められます。
    C「超越論的論理学」という名称を選ぶのが適切なのは、この学問が、悟性や理性という思考能力の法則(形式)にかかわりつつも、一般論理学のように対象との関係をすべて捨象するのではなく、そうした法則の対象とのア・プリオリな関係を問題にするからです。』
    (同本p115より引用)

    御子柴先生の解説を読んで、なるほど、だから弁証論も超越論的論理学に入ってくるのか、と思いました。
    弁証論は純粋理性認識に関わるのかな、と、今の段階では推測してます。
    超越論的弁証論は、二律背反や誤謬推理も出てくる箇所ですね。

    今日の読書終わります!
    みなさまおつかれさまです。
    おやすみなさい (^_^) ☆彡


引用返信/返信 削除キー/
■27091 / inTopicNo.94)  B74ー79
□投稿者/ pipit -(2022/10/17(Mon) 23:53:28)
    2022/10/18(Tue) 07:10:56 編集(投稿者)
    2022/10/18(Tue) 00:02:23 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんは。

    No27088
    > B74ーB88の箇所となります。
    > 第2部-超越論的論理学
    > 序・超越論的論理学の理念
    > I.論理学一般について
    > II.超越論的論理学について
    > III.一般論理学の分析論と弁証論への分割について
    > IV.超越論的論理学の超越論的分析論と弁証法への分割について<


    『第2部-超越論的論理学
    序・超越論的論理学の理念
    I.論理学一般について』
    B74-79

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap27

    (pipitまとめ)
    認識は心の二つの源泉(直観と概念)・・・直観により対象が与えられ、その対象を思考すること(みずから表象(概念)を生み出す能力、認識の自発性)・・・から生まれる。

    アプリオリに可能であるのは純粋な直観か純粋な概念だけ。
    経験的な直観や経験的な概念は、アポステリオリにだけ可能。

    論理学は知性一般の規則の学である。
    この学は@一般論理学とA特殊な論理学に分別される。
    (中山元先生訳本第二巻巻末解説p258.259参考)
    @一般的な知性の利用に関する基本的な論理学(一般論理学)→対象には関わらない、理性と知性の使用に関するアプリオリな原則を考察するものであり、
    A特殊な論理学→特殊な知性の利用に関わり、特定の種類の対象を正しく思考するための知性利用の規則(個別の学にとっての思考の道具(オルガノン)としての論理学)※数学など。

    さらに、@は、純粋論理学と応用論理学に分けられる。純粋論理学はアプリオリな原理だけを問題とするのであり、理性と知性の基準(カノン)となる論理学である。理性や知性を利用する際の形式にだけかかわる。認識の内容はまったく考察しない。

    (pipit感想)
    この部分は、とりあえずは、カントの時代に既存であった〈一般論理学〉についての説明が主みたいですね。

引用返信/返信 削除キー/
■27088 / inTopicNo.95)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/17(Mon) 20:00:17)
    2022/10/18(Tue) 19:28:37 編集(投稿者)

    きぇーψ(`∇´)ψ

    超越論的演繹論が出てくる『超越論的論理学』の箇所を、とにかく一回通読を目標に最初から読んでみます。
    いろいろ評価は分かれてそうですが、pipitが普段読んでいる中山元先生訳のものを中心に読み進めていこうと思います。
    中山先生訳本の第二巻の巻頭からです。

    読み進めの目安のために、 J. M. D. Meiklejohnさんの英訳の目次をコピペさせていただきます。
    まずは、B74ーB88の箇所となります。
    中山元先生独自番号081ー097の箇所です。

    Second Part TRANSCENDENTAL LOGIC
    Introduction. Idea of a Transcendental Logic
    I. Of Logic in General
    II. Of Transcendental Logic
    III. Of the Division of General Logic into Analytic and Dialectic
    IV. Of the Division of Transcendental Logic into Transcendental Analytic and Dialectic

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap25

    第2部-超越論的論理学
    序・超越論的論理学の理念
    I.論理学一般について
    II.超越論的論理学について
    III.一般論理学の分析論と弁証論への分割について
    IV.超越論的論理学の超越論的分析論と弁証論への分割について

    let's go (o^^o)♪ (こころで泣いてる!?)
引用返信/返信 削除キー/
■27081 / inTopicNo.96)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/16(Sun) 13:01:56)
    2022/10/16(Sun) 13:03:32 編集(投稿者)

    カントの勉強の続きどうしようかなぁ
    無謀なんだろうけど、なんかどうしても演繹論のとこ、理解したいんだよなぁ。。。
    わからないなりに、とにかく通読してみようかな、と、思ってたら

    悪魔ちゃんの記事の小牧先生の引用で
    No27080
    > 思考形式が、それとはまったく無関係に、時・空の形式によってまとめられた感覚素材にどうして適合するか。それが、カントをもっとも苦しめた問題であった。<

    ってのを目にして、なんか
    ( ;∀;)

    この箇所について記述されたのが超越論的演繹論だとpipitは思ってます。
    無謀で間違いだらけの読解になるかもだけど、
    やっぱり途中で止まってた演繹論読解に再チャレンジしてみたい、と、思いました。

    しかし、この演繹論を理解するためには、前章のカテゴリーの箇所を理解しとかんなあかん気がする(というかぁ、must、だよねぇ(;ω;))

    迷沼 @(・●・)@

引用返信/返信 削除キー/

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