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■27289 / inTopicNo.37)  B92-94
  
□投稿者/ pipit -(2022/11/02(Wed) 12:10:01)
    2022/11/02(Wed) 12:19:25 編集(投稿者)
    2022/11/02(Wed) 12:17:28 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちはー

    No27213
    > 「純粋理性批判」第二版 B89ー116
    > 第一部 超越論的分析論
    > @(分析論としての序文)
    > 第I篇 概念の分析論
    > A(概念の分析論としての序文)
    > 第一章 すべての純粋悟性概念を発見するための超越的な手がかりについて
    > B第一章(手がかり)の序論
    > C第一章(手がかり)の第一節 論理的悟性使用一般について。
    > D第一章の第二節 判断における悟性の論理的機能について。
    > E第一章の第三節 純粋悟性概念、あるいはカテゴリーについて。<

    今日は、B92-94

    > C第一章(手がかり)の第一節 論理的悟性使用一般について。<
    田村一郎先生訳では、
    『第一節 論理的悟性使用一般について』(以文社、上、p131)

    です!

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap35


    (pipit的まとめ)
    ★前提
    人間の認識を
    【直観】と(概念)の二つに分ける。

    ★判断とは?
    【対象の表象】についての(表象)、あるいは、
    (表象)についての(表象)が、判断であると、カントは言う。

    ★判断の抽象的な例(記号化はpipitが考えたものです)
    @すべての(A)は(B)である。
    A(C)は(A)である。

    @Aが成立するとき、(B)によって(C)は間接的に思い浮かべること(関連づけ)が可能

    ※(C)→(A)→(B)

    表象についての表象が判断だが、この場合、間接的にであれ様々な表象が(B)に統一されている。
    (B)は、(C)や(A)より高次の表象となる。

    知性(the understanding )とは判断を下す能力としたとき、
    判断(表象についての表象)において統一する機能を完全に列挙できれば、知性のすべての機能を発見することができる。

    このことが十分可能であることは次節を見れば明らかだ、と、カント自身は言ってます。
    @(・●・)@


引用返信/返信 削除キー/
■27276 / inTopicNo.38)   B91-92
□投稿者/ pipit -(2022/10/31(Mon) 23:05:44)
    みなさまこんばんは☆彡
    今日はBのB91-92です。

    No27213
    > 「純粋理性批判」第二版 B89ー116
    > 第一部 超越論的分析論
    > @(分析論としての序文)
    > 第I篇 概念の分析論
    > A(概念の分析論としての序文)
    > 第一章 すべての純粋悟性概念を発見するための超越的な手がかりについて
    > B第一章(手がかり)の序論
    > C第一章(手がかり)の第一節 論理的悟性使用一般について。
    > D第一章の第二節 判断における悟性の論理的機能について。
    > E第一章の第三節 純粋悟性概念、あるいはカテゴリーについて。<

    --------------------------------

    > 第一章 すべての純粋悟性概念を発見するための超越的な手がかりについて
    > B第一章(手がかり)の序論 <

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap33

    田村一郎先生訳は、
    『第一章 すべての純粋悟性概念を見いだすための手引きについて』

    (pipit感想的まとめ) 
    純粋悟性概念を体系的に完全に漏れなく列挙しようとするなら、発生元である悟性の原理を分析することで、すべての純粋概念を列挙することが可能となる、とカントは見てるのかな?と思いました。


    (後半Meiklejohnさん英訳)
    Transcendental philosophy has the advantage, and moreover the duty, of searching for its conceptions according to a principle; because these conceptions spring pure and unmixed out of the understanding as an absolute unity, and therefore must be connected with each other according to one conception or idea. A connection of this kind, however, furnishes us with a ready prepared rule, by which its proper place may be assigned to every pure conception of the understanding, and the completeness of the system of all be determined &#224; priori&#8212;both which would otherwise have been dependent on mere choice or chance.

    (英訳のDeepL日訳)
    超越論的哲学には、原理に従って概念を探すという利点があり、さらにその義務がある。なぜなら、これらの概念は、絶対的な統一体として理解から純粋かつ混じりけのない状態で湧き出ており、したがって、一つの概念または観念にしたがって互いに接続されなければならないからである。しかし、この種の接続は、私たちに用意された規則を提供する。この規則によって、理解のあらゆる純粋な概念にその適切な位置が割り当てられ、すべてのシステムの完全性がアプリオリに決定される-この両方がなければ、単なる選択または偶然に依存していたであろうものである。
引用返信/返信 削除キー/
■27255 / inTopicNo.39)   超越論的論理学 序論T−2
□投稿者/ うましか -(2022/10/29(Sat) 20:46:22)
    2022/10/29(Sat) 20:47:23 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    No.27253(pipitさん)

    >少し読み直して、p276
    >『、この触発には二つの側面がある。(略)それにたいして能動的な道で働くのは、感覚し、知覚する器官ではなく、知性である。この能力は能動的な営みとして、さまざまな像を比較し、結びつけ、分離して、一つの観念を作りだす。』
    >『触発に二つの道があるのだ』としてるところがおもしろく感じました。

    (◎Δ◎;)…?! うましかは「触発」について一つの側面(感性)しかとらえていませんでした! 目からウロコですm(__)m


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学

    序論 超越論的論理学の理念
     T. 論理学一般について〔Von der Logik ueberhaupt〕

    ◆ 私たちの認識は心の二つの根本源泉から発するが、その第一のものは、諸表象を受け取る能力(印象の受容性)であり、その第二のものは、これらの表象を通じて一つの対象を認識する能力(概念の自発性)である。
    前者〔印象の受容性〕によって、私たちに対象が与えられ=A後者〔概念の自発性〕によって、この対象が、(心の単なる規定としての)あの表象との関係において思考される=Bそれ故、直観と概念は、あらゆる私たちの認識の要素〔Elemente〕をなし、従って、何らかの仕方で己に対応する直観を欠く概念も、概念を欠く直観も、認識を与えることはできない。
    両者〔直観と概念〕とも、純粋〔rein〕であるか、経験的〔empirisch〕であるかのいずれかである。経験的〔Empirisch〕≠ナあるのは、感覚〔Empfindung〕(これは対象が現実的に現在していることを前提とする)がその内に含まれている〔darin enthalten〕ときであるが、純粋〔rein〕≠ナあるのは、その表象にいかなる感覚も混入していないときである。この感覚は感性的な認識〔sinnlichen Erkenntnis〕の実質〔Materie〕と名付けられ得る。
    だから、純粋な直観〔reine Anschauung〕は、もっぱら或るものがそのもとで直観される形式を含み、また純粋な概念〔reiner Begriff〕は対象一般〔Gegenstandes ueberhaupt〕の思考の形式〔Form des Denkens〕を含む。ただ純粋な直観ないし純粋な概念だけがア・プリオリにのみ可能であり、経験的な直観ないしは経験的な概念はア・ポステリオリにのみ可能であるに過ぎない。

    --- No.27245 からの続き ---

    ◇私たちの心の受容性〔Rezeptivitaet〕≠ヘ、私たちの心が何らかの仕方で触発される限りにおいて、諸表象を受け取る〔empfangen〕であるが、私たちがこの受容性を感性〔Sinnlichkeit〕≠ニ名づけるとすれば、これに対して、諸表象を自ら産み出す能力、或いは認識の自発性〔spontaneitaet〕≠ヘ、悟性〔Verstand〕≠ナある。

    ◇私たちの自然的本性〔Natur〕は、当然、直観〔Anschauung〕≠ェ感性的〔sinnlich〕∴ネ外では決してあり得ないように、換言すれば、私たちが対象によって触発される様式だけを含むように、なっている。これに反して、感性的な直観の対象を思考する〔denken〕#\力は、悟性≠ナある。

    ◇これら両者〔感性と悟性〕の固有性のいずれもが他に勝っているとされることはできない。感性が無ければいかなる対象も与えられないだろうし、また悟性が無ければいかなる対象も思考されないであろう。内容を欠く思想〔Gedanken〕は空虚であり、概念を欠く直観は盲目なのである。

    ◇だから、対象の概念は感性的足しめる(換言すれば、その概念に直観における対象を付加する)ことが必要であるのと同様、対象の直観を悟性的足らしめる(換言すれば、その直観を概念の下へともたらす)ことも必要である。

    ◇これら二つの能力、或いは性能は、その機能を交換することはできない。悟性は何ものをも直観し得ず、感官〔Sinne〕は何ものをも思考し得ない。両者が合一することからのみ、認識は生じ得る。

    ◇しかし、それだからといって、人は両者の持ち前を決して混同してはならず、むしろ、それぞれを他から慎重に分離し区別すべき大きな理由〔grosse Ursache〕を持っている。だから私たちは、感性一般の規則の学〔die Wissenschaft der Regeln der Sinnlichkeit ueberhaupt〕、換言すれば「感性論〔Aesthetik〕」を、悟性規則一般の学〔der Wissenschaft der Verstandesregeln ueberhaupt *1〕、換言すれば「論理学〔der Logik〕」から区別するのである。

    *1 中山元訳2,p.20では、「知性一般の規則の学」、石川文康訳上巻,p.110では「知性の規則一般に関する学問」と訳される。

    † 原佑訳上巻、p.191〜p.192参照。
    † その他に、中山元訳2、p.18〜p.20、石川文康訳上巻、p.110を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    T−1 No.27245、T−2 No.27255

    *******

    序論 No.27245,27255

引用返信/返信 削除キー/
■27254 / inTopicNo.40)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/29(Sat) 20:42:20)
    悪魔ちゃん、こんばんは!

    No27247に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No27239、pipitさま、ありがとございま〜す。
    >
    > >概念の中でも、純粋悟性概念をカテゴリーと呼んでるのかな、と思ったよ。<
    > 了解で〜す。
    > やっぱカントも「概念Begriff」と「カテゴリーKategorie」とは区別してる、っていうのが分かった。
    >
    > でね、
    > >『こうした概念をアリストテレスにならってカテゴリーと呼びたいのだが、』<
    > について、わたし思ったのを書かせてもらいま〜す。
    >
    > No27238の(B)にあるように、
    > 「カテゴリー」を、〔もはやそれ以上に分けることのできない、最も根本的、一般的な基本概念(属性、量、状態、関係等)。最高の類概念。〕ってして、
    > 『こうした概念』を「純粋悟性概念」ってして、
    > 「純粋」を「経験的ではない」ってしって、
    > 「悟性」を「理解力」ってして、
    > で見ると、次のようになりました。
    >
    > <「概念」のなかでも、reinen Verstandesbegriffen(経験的ではない理解力による概念)を〔もはやそれ以上に分けることのできない、最も根本的、一般的な基本概念(属性、量、状態、関係等)〕とか〔最高の類概念〕と呼びたいのだが、>
    >
    > ってなったよ。
    >
    > もっとも、『呼びたい』っていう希望的みたいなのだから、じゃないかもしれないけど。<

    わかりやすくなるね!
    超越論的分析論の第一篇が『概念の分析論』なの、その序文(B90.91)はすごく短いから引用してみるね。

    (田村一郎先生訳)『純粋理性批判 上』宇都宮芳明先生監訳、以文社、p129より引用
    (カントの文章の和訳)
    『 ここで概念の分析論とされているのは、概念の分析、つまり与えられた概念を内容に従って分解し、はっきりさせるという哲学的探求のふつうのやり方ではない。
    それはこれまでまだほとんどなされてこなかった悟性能力そのものの分析であるが、そうしたのはア・プリオリな概念をその出生地である悟性の中だけで探り出し、その純粋な使い方全体を分析することで、そのア・プリオリな概念の可能性を探求するためである。
    というのもこうしたことこそが超越論的哲学固有の仕事だからであり、その他のことは哲学全般の中での概念の論理的取り扱いにすぎないからである。
    したがって純粋な概念が、それらがあらかじめ用意されている人間悟性の最初の萌芽と資質に至るまで追い求められる。
    つまりそれらの概念が最終的には経験を契機として展開され、同じ悟性を用いて概念に付着している経験的条件から解き放たれ、それらが純粋な形で立ち現れるまで追求されるのである。』
    引用終了。

    書き込みありがとう!(*^◯^*)♪
引用返信/返信 削除キー/
■27253 / inTopicNo.41)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/29(Sat) 20:22:39)
    うましかさん、こんにちは!

    No 27245
    > さあカント論理沼、もぐっていこー(/・ω・)/

    やったー(*^ω^*) ♪

    No27246
    > > いまさらながら、中山元訳1、p.271〜「第一章 本章の課題−序論」を読んでいます。(´・ω・`)<

    あ!第一巻なのですね!?
    見てみました。
    はじめのはじめですね!

    そうかぁ、序論と序文は、純理のエッセンスがギュッとつまってそうですよね。

    少し読み直して、p276
    (中山元先生の解説文章)
    『、この触発には二つの側面がある。(略)それにたいして能動的な道で働くのは、感覚し、知覚する器官ではなく、知性である。この能力は能動的な営みとして、さまざまな像を比較し、結びつけ、分離して、一つの観念を作りだす。』

    『触発に二つの道があるのだ』としてるところがおもしろく感じました。

    超越論的論理学、ちょっと楽しみです!
    @(・●・)@ ヌマ?

引用返信/返信 削除キー/
■27247 / inTopicNo.42)  Re[7]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/29(Sat) 18:15:30)
    No27239、pipitさま、ありがとございま〜す。

    >概念の中でも、純粋悟性概念をカテゴリーと呼んでるのかな、と思ったよ。<
    了解で〜す。
    やっぱカントも「概念Begriff」と「カテゴリーKategorie」とは区別してる、っていうのが分かった。

    でね、
    >『こうした概念をアリストテレスにならってカテゴリーと呼びたいのだが、』<
    について、わたし思ったのを書かせてもらいま〜す。

    No27238の(B)にあるように、
    「カテゴリー」を、〔もはやそれ以上に分けることのできない、最も根本的、一般的な基本概念(属性、量、状態、関係等)。最高の類概念。〕ってして、
    『こうした概念』を「純粋悟性概念」ってして、
    「純粋」を「経験的ではない」ってしって、
    「悟性」を「理解力」ってして、
    で見ると、次のようになりました。

    <「概念」のなかでも、reinen Verstandesbegriffen(経験的ではない理解力による概念)を〔もはやそれ以上に分けることのできない、最も根本的、一般的な基本概念(属性、量、状態、関係等)〕とか〔最高の類概念〕と呼びたいのだが、>

    ってなったよ。

    もっとも、『呼びたい』っていう希望的みたいなのだから、じゃないかもしれないけど。

引用返信/返信 削除キー/
■27246 / inTopicNo.43)  中山元訳1メモ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/10/29(Sat) 12:32:46)
    いまさらながら、中山元訳1、p.271〜「第一章 本章の課題−序論」を読んでいます。(´・ω・`)

    p.275〜「経験の概念について」。

    ・中山は、カントの使用する「経験」という語は、「経験を積む」とか「無経験な」といった日本語の文脈では理解しないよう注意する。
    ・中山によれば、上の例のような「経験」とは「体験」の意味であり、カントの語る「経験」とは区別する必要がある。カントの場合、「ぼくたちが意識しているかぎり、あるいは無意識においても、たえず行っている行為である」(中山,p.276)。

    p.277〜278のロック経験論批判を意識したカント「経験」論(;´・ω・)

    >「時間的にみて」という制約をつけなければ、カントは経験に先立つものが「ある」と考えているのである。< (中山,p.277)



引用返信/返信 削除キー/
■27245 / inTopicNo.44)  超越論的論理学 序論T−1
□投稿者/ うましか -(2022/10/29(Sat) 12:04:29)
    2022/10/29(Sat) 12:07:11 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    さあカント論理沼、もぐっていこー(/・ω・)/

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学〔Die Transzendenrale Logik〕

    序論 超越論的論理学の理念〔IDEE EINER TRANSZENDENTALEN LOGIK〕
     T. 論理学一般について〔Von der Logik ueberhaupt〕

    ◇私たちの認識〔Erkenntnis〕は心〔Gemuets〕の二つの根本源泉〔Grundquellen〕から発するが、その第一のものは、諸表象〔Vorstellungen〕を受け取る能力(印象の受容性〔die Rezeptivitaet der Eindruecke〕)であり、その第二のものは、これらの表象を通じて〔durch〕一つの対象を認識する能力(概念の自発性〔Spontaneitaet der Begriff〕)である。

    ◇前者〔表象を受け取る能力〕によって私たちに対象が与えられ〔gegeben〕=A後者〔受け取られた表象を通じて対象を認識する能力〕によってこの対象があの表象(心の単なる規定としての)との関係において思考される〔gedacht〕=Bそれ故、直観と概念〔Anschauung und Begriff〕は、あらゆる私たちの認識の要素〔Elemente〕をなし、従って、何らかの仕方で己に対応する直観を欠く概念も、概念を欠く直観も、認識を与えることはできない。

    ◇両者とも、純粋〔rein〕であるか、経験的〔empirisch〕であるかのいずれかである。

    ◇経験的〔Empirisch〕≠ナあるのは、感覚〔Empfindung〕(これは対象が現実的に現在していることを前提とする)がその内に含まれている〔darin enthalten〕ときであるが、純粋〔rein〕≠ナあるのは、その表象にいかなる感覚も混入していないときである。この感覚は感性的認識の実質〔Materie der sinnlichen Erkenntnis〕と名付けられ得る。

    ◇だから〔Daher〕、純粋直観〔reine Anschauung〕は、もっぱら或るものがそのもとで直観される形式を含み、また純粋概念〔reiner Begriff〕は対象一般〔Gegenstandes ueberhaupt〕の思考の形式〔Form des Denkens〕を含む。ただ純粋直観ないし純粋概念だけがア・プリオリにのみ可能であり、経験的〔empirische〕直観ないしは経験的概念はア・ポステリオリにのみ可能であるに過ぎない。


    † 原佑訳上巻、p.190〜p.191参照。
    † その他に、中山元訳2、p.17〜p.18、石川文康訳上巻、p.109〜p.110を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    T−1 No.27245

    *******

    序論 No.27245



引用返信/返信 削除キー/
■27239 / inTopicNo.45)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/29(Sat) 00:05:09)
    2022/10/29(Sat) 00:14:47 編集(投稿者)
    2022/10/29(Sat) 00:08:13 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは(*^▽^*)

    No27238

    > 「概念」、「カテゴリー」は両方、日本語。ドイツ語ではそれぞれ「Begriff」、「Kategorie」になるのかな?
    > もしそうだとしたら、カントの原文、翻訳者はどちらの語をどちらの日本語にしてるのか、っていうのわたし気になるのよね。
    > もっとも両方とも“同じ意味”なら問題はないんだけど。
    > でも、「語」、ちがうし。<

    (ドイツ語原文)
    『3. Abschnitt. Von den reinen Verstandesbegriffen oder Kategorien. 』

    https://korpora.zim.uni-duisburg-essen.de/Kant/aa03/

    という箇所があるんだよ。

    田村一郎先生日訳は、
    『第三節 §10 純粋悟性概念つまりカテゴリーについて』

    このタイトルを見ると、カントは

    Verstandesbegriffen

    oder

    Kategorien

    と書いてるね。


    悪魔ちゃんの言うように

    > 「概念」、「カテゴリー」は両方、日本語。ドイツ語ではそれぞれ「Begriff」、「Kategorie」になるのかな?<

    になるとpipitは思ったよ。

    『oder』をコトバンクで検索すると、
    『[オーダー] [接] 並列
    @ ([英] or)…か〔または〕…, …あるいは….
    A(命令文で) さもないと.
    Bつまり, 言い換えれば.
    C(話 )違うかい, そうだろ.』
    とあったよ。

    > > もしそうだとしたら、カントの原文、翻訳者はどちらの語をどちらの日本語にしてるのか、っていうのわたし気になるのよね。
    > もっとも両方とも“同じ意味”なら問題はないんだけど。
    > でも、「語」、ちがうし。<

    ↓この箇所を見つけたよ。
    『こうした概念をアリストテレスにならってカテゴリーと呼びたいのだが、』
    B105 田村一郎先生訳 (以文社、上、p140)

    概念の中でも、純粋悟性概念をカテゴリーと呼んでるのかな、と思ったよ。

引用返信/返信 削除キー/
■27238 / inTopicNo.46)  Re[11]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/28(Fri) 19:43:50)
    お邪魔しま〜す。

    わたし前から語の意味を調べてるんだけど、てっとり早いのがネット。
    でね、わたしも「概念」とか「カテゴリー」をコトバンクのを調べたことあるのね。「事典」って、ある「語」の関しての、いろんな人によるいろいろな解説よね。で、それを読んだ人がどのような意味を選択するのはその人それぞれよね。
    でね、わたしが選択したところを書いちゃうね。

    (A)コトバンク、「概念」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    最新 心理学事典「概念」の解説
    本質的特徴により区別された事物の類,また類別する思考様式。本質的特徴とその連関を概念の内包connotation,intension,内包を共有する事物の集合を概念の外延denotationとよぶ。たとえば「少年」は,「年少」(おおむね5〜6歳から11〜12歳),「男性」という内包をもち,その外延は隣接する概念,「青年」などとを区切る境界をなす。概念は判断・推理と並ぶ古典論理学の基本機能であり,思考作用はこの階層をなす三次元に沿って進行するとされたため,思考心理学でも基本概念となった(矢田部達郎『思考心理学1概念と意味,2関係と推理』1948〜49)。多様な経験をなんらかの基準により抽象化して類別し整序する機能を概念作用conceptionとよぶ。概念作用は分類,理解,予測,推論などの役割をもち(Eysenck,M.W.,1990),安定し秩序だった認知形成を可能にする。しかし,矢田部は,概念・判断・推理は相互循環的に規定し合うことから,古典論理学的な概念の定義は現実の多様な思考様式には必ずしも適合しないことを指摘した。心理学的には概念は過去経験の圧縮された表象に過ぎないとする見解もある。また,ウィトゲンシュタインWittgennstein,L.(1953)は,ゲームや椅子のような日常的概念も本質的属性によって定義するのは困難であることを示した。このような情勢を受けて,概念という硬い用語に対しより柔軟な「カテゴリー」がしだいに多用されるに至っている。

    【概念とカテゴリー】 概念とその表象は,依然として認知科学における究極の問題の一つといってよいが,一般的には概念はカテゴリーとの関係で考えられている。カテゴリーcategoryは「類似したモノや事象の集まり」あるいは「なんらかの目的,有用性のためのモノや事象の集まり」と定義することができる。また,認知科学では「概念」をより広義にとらえ,「知識knowledge」とほぼ同義に使う場合も多い。例えば「幼児の生物概念」は「幼児のもつ生物についての知識」と同じ意味であり,カテゴリーよりもさらに広い。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (B)コトバンク、「カテゴリー」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    精選版 日本国語大辞典
    @ 哲学で、アリストテレス以来の用語。事物を分類する際、もはやそれ以上に分けることのできない、最も根本的、一般的な基本概念(属性、量、状態、関係等)。最高の類概念。範疇(はんちゅう)。
    A 一般に、同じ性質のものが属すべき範囲、部門。範疇。〔新しき用語の泉(1921)〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    わたしのばあい、だいたいここんとこ選択したのね(ちょっと納得いかないとこあるけど)。
    で、わたし「概念」と「カテゴリー」、なんか違う意味あいを感じてる。それぞれの違い、ここではわたしのはどうでもいいことだからやめるね。
    でね、
    pipitさまのばあい、カントの、を問題としてるんよね?pipitさまにおける「概念」や「カテゴリー」の意味について、じゃなくて。
    ってしたとき、
    「概念」、「カテゴリー」は両方、日本語。ドイツ語ではそれぞれ「Begriff」、「Kategorie」になるのかな?
    もしそうだとしたら、カントの原文、翻訳者はどちらの語をどちらの日本語にしてるのか、っていうのわたし気になるのよね。
    もっとも両方とも“同じ意味”なら問題はないんだけど。
    でも、「語」、ちがうし。

引用返信/返信 削除キー/
■27235 / inTopicNo.47)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/27(Thu) 23:33:15)
    コトバンクさんの『カテゴリー』より※記号省略

    『原語であるギリシア語のkategoriaは,動詞kategorein(kata〜に対して,+agoreuein公の場で語る<agoraギリシア都市の公共広場)すなわち,糾弾する,告訴するに由来し,元来日常用語としては〈訴訟〉を意味した。』

    pipitのカテゴリーのイメージって、公共の場で共有できる対象認識、なんだよね。

    カテ(に対して) アゴラ(公共の広場)

    で、あれこれみんなでお互いに検証し合えるイメージ。

    客観に妥当するホニャララの量・質・関係・様相

    あと勉強になったのが、同じくコトバンクさん
    『範疇&#8232;はんちゅう&#8232;category 英語&#8232;Kategorie ドイツ語&#8232;(略)
    最高類を意味する。ギリシア語のカテゴレインkategoreinに由来するカテゴリーの訳語。もとは裁判上訴訟を意味していて、特殊な事件を一般的法律に照らして判決を下すことであるが、一つの概念をより普遍的概念の下に包摂することを意味するようになり、しだいに、他を包摂するのみで、けっして自己は他によって包摂されない最普遍的概念を示す語となった。
     ただしその性格、内容は、哲学史上多岐にわたり一義的に定めることはできない。アリストテレスによると、範疇を最初に示したのはピタゴラスの徒で、有限と無限、奇と偶、一と多、右と左、男と女、静と動、直と曲、明と暗、善と悪、正方形と長方形、の十対(つい)をあげた。さらにプラトンが、有とか同とかいくつかの概念をあげたが、やがて当のアリストテレスが詳しく範疇論を展開する。すなわち、その著『オルガノン』のなかで、実体の概念と、分量、性質、関係、場所、時間、位置、状態、能動、受動、の九つの最普遍的術語概念をあげ、これらが、あらゆる存在者がその下に包摂される最高の類であると規定した。のちストア学派がこれを四つに縮小したが、近代以前における範疇概念は、基本的にはアリストテレスのそれに基づいていたといってよい。
     近代に入って、これをまったく新しい観点からとらえ直したのはカントであった。彼は経験的世界について、本有(ほんゆう)観念によらずに普遍的認識が成立すると確信し、これを基礎づけるために、主観が対象を構成するという、いわゆる認識論的主観主義の立場をとった。そのために、主観のうちに、思惟(しい)および直観の先天的形式を措定(そてい)したのである。直観の先天的形式が空間と時間であり、悟性の先天的形式がすなわち範疇である。それゆえ、アリストテレスも含めて、それまでの範疇概念が、いずれも存在論的な意味を強く有していたのに対し、カントのそれは、完全に論理学的――ただし先験的な――概念となった。さらに、アリストテレスの範疇はみな偶然的に集められたものである、といい、形式論理学における判断表に基づいて、4種12目の範疇を次のように決めた。〔1〕分量(単一性、数多性、総体性)、〔2〕性質(実在性、否定性、制限性)、〔3〕関係(内属性と自存性、原因性と依存性、相互性)、〔4〕様相(可能性―不可能性、現存在―非存在、必然性―偶然性)。
     しかしカントの考え方にもまた異論が多く、フィヒテからヘーゲルに至るドイツ観念論の人たちは、範疇をふたたび形而上(けいじじょう)学的な存在形式の概念に戻していく。新カント学派は、それをまたもや先験的哲学における概念として復権させ、諸科学の先天的基礎としての意味を与えた。
    [武村泰男]
    出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)none日本大百科全書(ニッポニカ)について』
引用返信/返信 削除キー/
■27231 / inTopicNo.48)  B90-91
□投稿者/ pipit -(2022/10/27(Thu) 19:49:37)
    みなさま、こんばんは(*^ω^*)

    No27213
    > 「純粋理性批判」第二版 B89ー116
    > 第一部 超越論的分析論
    > @(分析論としての序文)
    > 第I篇 概念の分析論
    > A(概念の分析論としての序文)
    > 第一章 すべての純粋悟性概念を発見するための超越的な手がかりについて
    > B第一章(手がかり)の序論
    > C第一章(手がかり)の第一節 論理的悟性使用一般について。
    > D第一章の第二節 判断における悟性の論理的機能について。
    > E第一章の第三節 純粋悟性概念、あるいはカテゴリーについて。<

    今日は、
    > > 第I篇 概念の分析論
    > A(概念の分析論としての序文)<
    B90-91です。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap32

    (pipit的まとめ)
    「概念の分析論」・・・概念を分析する、というのではなく、【悟性能力そのものの分析】となる。

    アプリオリな概念の可能性を探求するのが目的なので、概念の源泉を悟性(知性)にのみ求め、その純粋な使用全体を分析するので、【悟性能力そのものの分析】となる。

    この分析論では、アプリオリな概念が、純粋な形で立ち現れるまで追求される。

    (田村一郎先生の解説文章)
    『純粋理性批判 上』宇都宮芳明先生監訳、以文社、p130より引用
    『【「序」の注解】
       ふつう概念の分析とは、与えられた概念が含んでいる内容を明らかにすることとされてきた。
    しかしここでめざされているのは、悟性能力そのものの分析である。
    カントは、悟性だけがそうしたア・プリオリな概念を持ち、カテゴリーというそれらの純粋概念を駆使することで、すべてのア・プリオリな認識を可能にしていると考える。
    カントはこれこそが、みずからが築こうとしている「超越論的哲学」の最大の課題とみなすのである。
    以下なぜ悟性がそのような根源性を持つのかが、カテゴリーの導出と演繹を軸に追求される。』
    引用終了

    (pipit感想)
    で、次の『概念の分析論 第一章 すべての純粋悟性概念を見いだすための手引きについて』(田村一郎先生訳)に入っていくんだね。
    @(・●・)@ ...カテゴリ....

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