| いまいくつかの語の意味どうしとこうかな〜って、整理してるところ。
まず、 No26949で見た、 [(独)Vorstellung]についてもう一度整理して見ると、
ネットで調べたのから、
(1)[(独)Vorstellung]を日訳すると、 紹介; 面接; 上演, 興行; イメージ, 心像; 想像; 考え, 観念; 〔哲・心〕表象; ([複]) (雅)非難, 抗議.
(2)「(日)表象」を独訳すると、 Reprasentation(aの上の・・は省略)/Darstellung/Symbol/ sich vorstellen/Versinnbildlichen/Idee/Emblem/Symbolisieren/ Bild/Abbildungen ってあった。
(2)には[(独)Vorstellung]は出てきてない。 (1)に、〔哲〕表象、ってあるから、 [(独)Vorstellung]は哲学的には日本語では「表象」ってなるのかな。
No26793の中島さんのから、 表象(Vorstellung)⇒「私が私の前に何ものかを立てる」 ってして、これわたし能動的な雰囲気の意味と見た。
(2)の(独)Reprasentation(aの上の・・は省略)は、英語のrepresentationに似てるけど、 No26949でカントが使ってるのはVorstellungの方だから、〔私が私の前に何ものかを立てる(能動的)〕というような意味で使ってるんだと見たよ。 もっと言っちゃうと、〈思考が思考の前に何ものかを立てる〉っていうようなVorstellung(表象)。 これだと、やっぱ「表象」の意味は思考の領域に限られてくる感じ。
一般的には「表象」っていうのどういう意味で使われてるのかな、って思って、 コトバンクのを見て見たら、 ・・・・・・・・・・・ 日本大百科全書(ニッポニカ)「表象」の解説 一般に心または意識に現前するものを意味する。通常は、representation(英語)、représentation(フランス語)、Vorstellung(ドイツ語)の訳語として使われる。英語、フランス語の語源であるラテン語repraesentatioは「ふたたび(re-)現前せしめること(praesentatio)」を意味することからも明らかなように、「表象」の語は、少なくとも近世以後の用法においては、人間の「意識」の対象定立作用、反省作用に相関する対象の側面を指示する用語として使われる。 ・・・・・・・・・・・ ってあった。 ここに、〔ラテン語repraesentatioは「ふたたび(re-)現前せしめること(praesentatio)」を意味する〕っていうことから、わたしのばあい、 「表象」⇒再び提出される(する) っていう意味としとくことにしたよ。 ほら、これだと、感性の領域にも思考の領域にも「表象」っていう語は使えるっていう、自由さがでてくる感じがするのね。
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