| まず、ハイデガーの『存在と時間』のなかの「現象という概念」っていうところ。前にタイピングしたのがあるからそれを。 字数の問題で、2回にわけて貼り付けます。
(資料1) ************************** A 現象という概念
p72ギリシア語ファイノメノンは、「現象」という述語の語源であるのだが、それは動詞ファイネスタイに由来し、この動詞の意味は、おのれを示すということである。だからファイノメノンとは、おのれを示す当のもの、自己示現するもの、あらわなものということである。ファイネスタイ自身は、白日にさらす、明るみに出すという意味のファイノーの中動相(1)である。ファイノーは、ファという語幹に属しているのであって、その点では、光、明るさ、言いかえれば、或るものがそのうちであらわになりおのれ自身に即して看取されるようになりうるものを意味するところのフォースが、このファという語幹に属しているのと同様である。だから、「現象」という表現の意義として堅持されなければならないのは、おのれをおのれ自身に即して示すもの、つまり、あらわなものということである。そうだとすれば、「諸現象」のギリシア語ファイノメナは、白日のもとにあるもの、ないしは明るみに出されうるものの総体であって、このようなものをギリシア人はときとして単純にタ・オンタ(存在者)と同一視した。ところで存在者は、それへと近づく通路も様式に応じて、さまざまな仕方でおのれをおのれ自身のほうから示すことができる。それどころか、存在者が、おのれ自身に即してそれでない当のものとして、おのれを示すという可能性すら成り立つのである。こうした自己示現において存在者は「何々であるように見える」。そうした自己示現をわれわれは仮象すると名づける。そこでギリシア語においても、現象を言いあらわすファイノメノンという表現は、そのように見えるもの、「見せかけのもの」、「仮象」という意義をもっている。ファイノメノン・アガトンとは、善のように見えはするが――しかし「現実には」それが言明しているとおりの善なるものではないという意味である。現象概念をさらにいっそう了解するためには、ファイノメノンの二つの意義として名ざされたもの(自己示現するものとしての「現象」と、仮象としての「現象」)が、その構造からみて、いかにたがいに連関しあっているのかを見てとることに、一切がかかっている。或るものが、総じてその意味から言って、おのれを示すと、言いかえれば。現象であると言い張るかぎりにおいてのみ、その或るものは、おのれがそれでない或るものとしておのれを示すこともありうるのであり、「何々であるように見えるにすぎない」こともありうるのである。ファイノメノン(「仮象」という意義のうちには、根源的な意義(現象、すなわち、あらわなもの)が、第二の仮象の意義を基礎づけるものとして、すでにいっしょに含まれている。われわれは、「現象」という名称を、術語的には、ファイノメノンの積極的で根源的な意義に割り当て、現象の欠性的変様としての仮象から現象を区別する。しかし、これら二つの術語が言いあらわすものは、「現われ」とか、それどころか「たんなる現われ」とかと名づけられているものとは、差しあたっては全然なんら関係もない。
P74それで、たとえば、「病気の現われ」といった言い方がなされる。そのさい指されているのは、肉体に生じた出来事のことであるのだが、このものは、おのれを示していながらも、こうした自己示現するものとして、おのれ自身を示さない或るものをその自己示現において「暗示している」。病気の現われといったような出来事の発生、つまり、そうしたものの自己示現は、なんらかの障害が実際に存在していることを伴っているのだが、その障害はそれ自身おのれを示さないのである。したがって、「或るもの」の現われとしての現われは、おのれ自身を示すということを意味するのではけっしてないのであって、むしろ、おのれを示さない或るものが、おのれを示す或るものをつうじて、おのれを告げるということを意味する。現れることは〔2〕おのれを示さないことなのである。だが、この「ない」は、仮象の構造を規定している欠性的な ない と混同されては、断じてない。現れるものという、まさにそうした仕方においておのれを示さないものは、仮象することもけっしてできない。すべての暗示、表示、症候、象徴は、たとえそれらがたがいにさらに異なっているにしても、現われるということの前述の形式的な根本構造をもっているのである。
〔1〕「中動相」というのはギリシア語において、能動相と受動相との中間的機能をもち形のうえでは受動相と多くの場合同じだが、能動的な意味をもち、働きが主語に返ってくる再帰的な意味をもった動詞のことである。
〔2〕著者の自家用本の欄外注記では、本文箇所の「現われることは」に続けて、「この場合には」の語句が補われている。
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つづく
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