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■27217 / inTopicNo.73)  Re[28]: 生きる
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/26(Wed) 19:12:19)
    「生きる」っていうこと、
    メルポンのいう「世界における(への)存在(être au monde)」っていうの、
    大前提にあるような気がするよね〜。
引用返信/返信 削除キー/
■27178 / inTopicNo.74)  Re[27]:
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/24(Mon) 19:47:57)
    「排弁者」

    なんかいい言表、思いついたから、書いとこっと。
引用返信/返信 削除キー/
■27164 / inTopicNo.75)  Re[26]: 日本語「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/23(Sun) 18:01:04)
    No27160のように見たとき、

    じゃ、「おのれを示す当のもの」(現象学における現象)って何?ってなるよね。

    おのれを示す当のものはつねにベールをまとい、あらわなものとして告げることはけっしてしない。
    そして、こういうなかで、現象学はそのベールをはぎとるのではなく、おのれ自身のほうから見えるようにさせること。

    【現象学は、おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせること。】だから。

    こういうふうなのが現象学なのかな〜?

    No27145で、ハイデガーが言ってる
    【現象学というこの名称はその研究の事象内容を性格づけているのでもない。現象学というこの語は、この学において論ぜられるべき当のものを、いかに提示し取り扱うかということに関して解明するだけである。】
    こういうのはそういうことなんかな〜?って。

    おのれ自身のほうから見えるようにさせるために、その方法をいかに提示し取り扱うかということに関して解明するのが現象学?

    こんなふうにもわたしには思われてる。

    ここらへんの確かさは現象学を捉えようとするときに、今後のわたしの課題になるかもだけど、

    やっぱ、むりやりはよくないよね。

引用返信/返信 削除キー/
■27160 / inTopicNo.76)  Re[25]: 日本語「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/23(Sun) 14:13:15)
    日本語の「現象」の意味、どうしておこうかな〜、っていうことで、わたしひとまず、
    (x)「あらわれ」「あらわれているもの」→「(日)現象」
    ってしたんだけど、
    No27153のつづきね

    「あらわれ」とか「あらわれてるもの」って、「〈何か〉のあらわれ」とか「〈何か〉あらわれてるもの」っていうことよね。だから、〈何か〉が「すでにそこに」あることになるのよね。言いかえると、「あらわれる」とか「あらわれてるもの」には〈何か〉っていうのが隠れた前提となってる、っていうこと。
    〈何か〉のあらわれ
    〈何か〉あらわれているもの
    ね。
    「自然現象」って言うときの、〈何か〉は「自然」っていうことになるのかな。

    で、わたし思ったんだけど、

    ハイデガーって、「あらわれているもの」を問題としてるんじゃないかって。
    この「わらわれているもの」が[(ギ)phainomenon]なのか? って。

    No27143で見たように、ハイデガーによると、
    [(ギ)phainomenon](「現象」)の意味は、
    ⇒おのれを示す当のもの
    ⇒自己示現するもの
    ⇒あわわなもの(露わなもの)
    ⇒おのれをおのれ自身に即して示すもの
    だった。
    いろんな言い方あるから、「現象学」で言う「現象」の意味を、「おのれを示す当のもの」とか「あらわなもの」をわたし選ぶね。

    ようするに、

    「あらわれているもの」が、「おのれを示す当のもの//あらわなもの」なの?

    って、ハイデガーは問うたんじゃじゃないかな、って。

    そして、「あらわれているもの」が、「おのれを示す当のもの//あらわなもの」じゃない場合もあるよね(隠蔽されていることもあるよね)、って。
    ここに「(独)Schein(仮象)」とか「(独)Erscheinung(現出)」っていうのが登場してくるんじゃないかしら。
    たしか、
    No27106で、
    〔現象と仮象という両概念は、哲学的にはカントの時代まで正確に区別されることはなかったが、それも当然である。なぜなら、ドイツ語における「現象」(Erscheinung)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていないからである。“Erscheinung”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。〕
    ってあったと思う。
    わたしが言う「あらわれ」は、「(ギ)phainomenon(現象)」も「(独)Erscheinung(現出)」も「(独)Schein(仮象)」もぜんぶ入れちゃってるのね。「現象」っていう語については、現象学における意味で使う場合、「現象学的意味での現象」ってわたし言うことにしてる。でもね、[(独)Erscheinung]も「現象」って日訳されてるみたいだからややこしくなっちゃうのよね〜。どこかで見たんだけど「単なる現象」っていう翻訳、この「現象」っていうのどういう意味なのかも分かんなくなっちゃう。

    「あらわれてるもの」にはつぎのようなばあいがある。
    No27129から、
    @見せかけのもの----「(独)Schein(仮象)」
    A「おのれ自身を示さずに間接的に告げるもの」とか「おのを告げつつ隠れた他のものを暗示するもの」----「(独)Erscheinung(現出)」
    ってして見る。「見せかけ」をネットで調べて見たら「外見だけ、中身がないうわべだけのもの」ってあった。「(独)Schein(仮象)」っていうのが具体的にどんなのかはいまのところわかんない。たとえば蜃気楼みたいなの?

    たとえば、
    No27124のAの(2)に、
    〔「或(あ)るものの現れ」として、それが現れることによってそれ自身とは別のあるものを指示する。たとえば煙という
    現象は火を指示している。火の存在は「火の現れ」としての煙という現象を通して知ることができる。〕
    っていうのあるよね。こういうのってAのことを言ってるんじゃないかって。
    ここに「現象」っていう語を使っちゃってるからごちゃごちゃになっちゃうんだと思う。どういう意味で「現象」っていう
    のを使ってるの?って。この場合には「(独)Erscheinung(現出)」っていう意味で、って見たのね。
    (x)のような言葉で言いかえて見ると、
    〈遠くに煙が見える。この「煙」という「あらわれ(あらわれているもの)」は、「火」という「おのれ自身を示さずに間接的に告げるもの」となっている。〉
    ほら、分かりやすいでしょ。

    あと、
    No27096、No27097に、
    「示す」とか「告げる」って言うの出てくるよね。
    「告げるもの」を「あらわれているもの」って見て、この「告げるもの(あらわれているもの)」が、おのれ自身を「示すもの」であるのかどうなのか、って見ることもできるかな。

    ん〜ん、もっと簡単に、ハイデガーの(資料1)は、

    「あらわれてるもの」は、「あらわ−れているもの」なの?

    っていう問答なんだとわたしには見えた。

    そして、「現象学」は、
    「おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせる」こと。

    どうかしら、だいぶいい感じになったと思う。

引用返信/返信 削除キー/
■27153 / inTopicNo.77)  Re[24]: 日本語「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/23(Sun) 09:11:42)
    ハイデガーのを中心に、現象学における「現象」や「現象学」の意味を、
    No27143
    No27145
    No27146
    No27147
    に、簡単にまとめて見ました。そして、わたし現象学における「現象」の意味をそうしとくことにした。
    でもこれはあくまでも“現象学における”っていうこと。

    (資料1〜5)のを見てきたなかで、これからのお話しは、わたしのような素朴的経験的私に見えた、日本語で「現象」の意味を、わたしに分かりやすい言葉で、わたしに見えるようにしたいと思ってま〜す。

    「(日)現象」を「あらわれ」とか「あらわれてるもの」、ってしてしたらどうかしら?って。 
    ん? 違う。 逆。
    「あらわれ」とか「あらわれてるもの」、こういうのを、「現象」と言うことがある、っていう感じで、

    (x)「あらわれ」「あらわれているもの」→「(日)現象」

    って、して見たらどうかしら、って。

    No27097に、
    【「諸現象」は、現象、仮象、現われ、たんなる現われといった名称で呼ばれているのだが、そうした「諸現象」の混乱した多様性がその混乱からまぬがれうるのは、現象という概念が、おのれをおのれ自身に即して示すもののことだと、初めから解されているときだけなのである。】ってある。
    これを、わたし、
    「いろんな-あらわれているもの」は、「現象」「仮象」「現れ」「たんなる現れ」といった名で呼ばれる。「あらわれ」とか「あらわれているもの」が、こういういろんな名で呼ばれてから混乱しちゃうのね、って見たんね。

    そしてハイデガーは、[(ギ)phainomenon]から出発して、その意味を「おのれを示す当のもの」「あらわなもの」ってして、
    【われわれは、「現象」という名称を、術語的には、ファイノメノンの積極的で根源的な意義に割り当て、現象の欠性的変様としての仮象から現象を区別する。しかし、これら二つの術語が言いあらわすものは、「現われ」とか、それどころか「たんなる現われ」とかと名づけられているものとは、差しあたっては全然なんら関係もない。】ってしたのね。


    わたしのばあい、ハイデガーのように[(ギ)phainomenon](現象)の意味から出発して仮象を見ようとしてないのね。「現われ」っていう語も出てくるけど、彼のいってるのと違うかもしれなから、「現われ」ってしないで「あらわれ」ってしたのね。
    わたしのような素朴的経験的私から見ると、「あらわれ」とか「あらわれているもの」っていう全体のがあって、そのなかで「現象」「仮象」「現出」「たんなる現れ」っていうのが区別されてるんじゃないかしら、って見たのね。

    No27124のA-(1)に、
    「自然現象」「社会現象」「心理現象」など、「現象」っていう語が使わてるけど、(x)ので言うと、
    「自然のあらわれ(にあらわれているもの)」「社会のあらわれ(にあらわれているもの)」「心理のあらわれ(にあらわれているもの)」ってなるんだけど、おかしくはないよね。

    No27096のp74のところに、
    【たとえば、「病気の現われ」といった言い方がなされる。そのさい指されているのは、肉体に生じた出来事のことであるのだが、】っていうのあるんだけど、
    「現われ」を「出来事」ってしてもいいかも、とも。
    「あらわれているもの」→「出来事」みたいに。

    ここではひとまず(x)にしとく。
    こういうんで考えていって見るよ。

    つづく

    またNo間違ってないか確認しながらにしなくっちゃ。
引用返信/返信 削除キー/
■27152 / inTopicNo.78)  Re[23]: 哲学ってなあに?「現象学」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/23(Sun) 09:07:08)
    No27147
    ごめん、またNo間違っちゃいました。「No00000」って書いちゃったところ、
    No27146の間違いで〜す。
    原初に遡ってそこから始める、っていうの。

    今日はどんどん書いてくつもり。

引用返信/返信 削除キー/
■27147 / inTopicNo.79)  Re[22]: 哲学ってなあに?「現象学」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/22(Sat) 20:17:03)
    メルポンの『知覚の現象学』の序に次のようなことが書かれてある。

    *****************

    【現象学によれば、あらゆる問題は、もろもろの本質、例えば知覚の本質、意識の本質などを定義することによって解決されるはずである。しかし現象学とは、また、本質を実存のなかに戻し、人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある。それは自然的態度から生ずるさまざまな主張を理解するために、かえってこれらの主張を保留する超越論的な哲学ではあるが、しかしまた、世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。】

    【現象学は、「厳密学」たろうとする哲学の野心であるが、またそれと同時に、「生きられた」空間、世界についての報告でもある。それは、われわれの経験の心理学的な発生や、科学者、歴史家、もしくは社会学者が提供しうるような、その因果的な説明を願慮せずに、経験をあるがままに、直接、記述しようという試みである。】

    ******************

    【素朴】をネットで調べたら、
    1自然のままに近く、あまり手の加えられていないこと。単純で発達していないこと。また、そのさま。
    2 人の性質・言動などが、素直で飾り気がないこと。また、そのさま。
    「素朴」って、〈野生の〉っても見れる。

    反省(反省哲学)に先だつ世界と素朴に触れ合う――このような人を、わたし「素朴的経験的私」とか「個別的個人的経験的私」って呼ぶことにした。学者、哲学者、科学者みたいないわゆる知識人呼ばれる人たちと区別するために。わたし思うんだけど、学者さんだって初めは素朴的経験的私だったはずでしょ?

    メルポンは、わたしのような素朴的経験的私に哲学的資格を与える、って言ってるんだとわたし見たのね。
    ってしたとき、素朴的経験的私が、「生きられた」空間、世界についての報告すること、これって素朴的経験的私の言葉で報告すること、でなきゃ“そのうちで”“そのうちから”にはならない気がするんね。

    で、そのようなわたしにおいて、哲学書に出てくる語をわたしに分かりやすい言葉で言い表すこと、これいまわたしがしてること。
    たとえば、
    No27074で、
    「idea」についての、わたしに分かりやすい言葉やその意味を、
    「idein」⇒「見ること」、「idea」⇒「見られたもの」
    ってしたのも、こういうことからね。ほら、分かりやすいでしょ。あと、こういうのって、
    No00000からのもあるよ。
    そして、こういうのから出発して、「idea(観念)」には、「感性的観念」や「思考的観念」がある、って見たのね。

    ま、簡単にいっちゃうと、哲学者の物語りを、原初から、小学生でもわかりやすい言葉で、っていうことになるのかな?

    「現象学」についてはこんな感じでやめとくね。

引用返信/返信 削除キー/
■27146 / inTopicNo.80)  Re[21]: 哲学ってなあに?「現象学」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/22(Sat) 20:15:13)
    「現象学」については、あまり興味がない人が多そうだから、さらっさらって書いとくことにする。

    ハイデガーはギリシア語の「ファイノメノンphainomenon」という語の意味から調べていって、そこから「現象学」における「現象」の意味を考えていった。これって、原初に遡って、っていうことだとわたし見てる。

    たしかニーチェは古典文献学から始めた、っていうのどこかで見たような?こういのって、現象学のように〈原初に遡ってそこから始めていく〉っていうの共通してると思う。

    メルポンは、

    【現象学は、完全な哲学的自覚に到達する以前から、手法あるいは様式として、すでに実行され、認められ、動きとして現存していたのだ、と。現象学はずっと以前から、その道を歩みつつあったのである。その信奉者たちはいたるところに、ヘーゲルやキルケゴールはもちろん、マルクス、ニーチェ、フロイトにもまた、現象学を見出すのである。だが原典を文献学的に註釈したところで、大した成果は得られないであろう。われわれは原典のなかに、われわれがみずからそこに投入したものしか見出さないからである。そしておよそ歴史というものがわれわれの解釈を呼び招いたことありとするならば、まさに哲学の歴史こそ然りであろう。われわれが現象学の統一性とそのほんとうの意味を見出すのは、ほかならぬわれわれ自身のうちにおいてである。大切なことは、典拠を数多くならべることではなくて、われわれにとっての現象学を定着し、客観化することでる。われわれと同時代の読者の多くは、フッサールやハイデガーを読んだ際に、新しい哲学に出会ったとういう感じよりよりは、自分たちが持ち望んでいたものをそこに認めたという感じを抱いたのであるが、こういう感じを抱かせたものこそ、あの、われわれに知られている現象学の諸テーマを、それらが生のなかでおのずと互に結びついていたように、意識的に改めて結びつけてみよう。そうすると恐らく、なぜ、現象学がながい間、初歩的な状態にとどまり、問題性と願望の域をでなかったかが、理解されるであろう。】(『知覚の現象学』)

    こんなこと言ってたのを想いだした。

引用返信/返信 削除キー/
■27145 / inTopicNo.81)  Re[20]: 哲学ってなあに?「現象学」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/22(Sat) 19:52:14)
    ちょっと「現象学」についてになちゃうんだけど、

    ハイデガーは、
    No27096のような「(ギ)phainomenon(現象)」の意味から、つづいて、
    「現象学」の意味についても『存在と時間』のなかの「現象学の予備知識」に書いてる。一部書き写しておきます。

    ****************
    p87「現象」と「学」とについて学的解釈において明らかにされたことを具体的に思い浮かべてみるとき、これら二つの名称でもって指されているものの間の或る内的関連が、はっきりとする。現象学という表現をギリシア語で言い表せば、レゲイン・タ・ファイノメナとなるわけだが、しかし、レゲインとはアポファイネスタイのことなのである。そうだとすれば現象学は、アポファイネスタイ・タ・ファイノメナ、すなわち、おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせるということにほかならない。これが、現象学とみずから称する研究の形式的な意味なのである。だが、そのように言い表されているのは、さきに「事象そのものへ!」と定式化された格率以外の何ものでもない。
    P88したがって、現象学という名称は、その意味に関しては、神学その他の表示法とは異なる。神学その他の表示法は、当該の学の対象をそれぞれお事象内容において名指している。「現象学」はその研究の対象を名指しているのでもなければ、また、現象学というこの名称はその研究の事象内容を性格づけているのでもない。現象学というこの語は、この学において論ぜられるべき当のものを、いかに提示し取り扱うかということに関して解明するだけである。
    ********************

    ハイデガーの「現象学」の意味は、
    ⇒〔おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせる〕ということ。

    No27129の(資料4)のなかにも、
    〔現象学とは、「己れを示すものを、それが己れを己れ自身から示すとおりに、己れ自身のほうから見させる」ことである〕
    って書いてある。

    ひとまず、ハイデガーにおける「現象」や「現象学」の意味については、ひとまずこれでいいかな。

    あと、このような「(ギ)phainomenon(現象)」と「(独)Schein(仮象)」や「(独)Erscheinung(現出)」などの関連性も見なくっちゃならないけど、これはまたあとで。

引用返信/返信 削除キー/
■27143 / inTopicNo.82)  Re[19]: 哲学ってなあに?語の意味「現象」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/22(Sat) 15:40:12)
    さ〜てと、わたしのどうしとかっかな〜て。

    まず、ハイデガーの、「現象学」における「現象」の意味、を見ていって見ようと思いま〜す。

    ハイデガーは、[(ギ)phainomenonファイノメノン]の意味から始めている。

    No27096に、
    【ギリシア語ファイノメノンは、「現象」という述語の語源であるのだが、それは動詞ファイネスタイに由来し、この動詞の意味は、おのれを示すということである。だからファイノメノンとは、おのれを示す当のもの、自己示現するもの、あらわなものということである。ファイネスタイ自身は、白日にさらす、明るみに出すという意味のファイノーの中動相(1)である。ファイノーは、ファという語幹に属しているのであって、その点では、光、明るさ、言いかえれば、或るものがそのうちであらわになりおのれ自身に即して看取されるようになりうるものを意味するところのフォースが、このファという語幹に属しているのと同様である。だから、「現象」という表現の意義として堅持されなければならないのは、おのれをおのれ自身に即して示すもの、つまり、あらわなものということである。】
    No27097に、
    【現象――おのれをおのれ自身に即して示すこと】

    そして、
    【われわれは、「現象」という名称を、術語的には、ファイノメノンの積極的で根源的な意義に割り当て、現象の欠性的変様としての仮象から現象を区別する。しかし、これら二つの術語が言いあらわすものは、「現われ」とか、それどころか「たんなる現われ」とかと名づけられているものとは、差しあたっては全然なんら関係もない。】
    ってしてる。

    No27124(コトバンク)
    〔(6)現象学における現象。ハイデッガーはギリシア語phainomenonに立ち返り、現象を「自己をそれ自身に即して示すもの」とした。〕

    No27129の資料4(現象学事典)
    〔現象概念をさらに展開したのはハイデガーである。それによると、現象学的意味での現象とは「己れを己れ自身に即して示すもの、露わなもの」という意味をもち、〕


    資料から抜きだして見ました。これらから、まとめると、

    [(ギ)phainomenon]の意味は、
    ⇒おのれを示す当のもの
    ⇒自己示現するもの
    ⇒あわわなもの(露わなもの)
    ⇒おのれをおのれ自身に即して示すもの

    ひとまず、わたしのばあい、「現象学」における「現象」の意味をこんな感じのにしとくことにした。
    でもこれはあくまで、「現象学」における意味としてね。

    でもさ〜ふつう、本語で「現象」っていう語を使うばあい、こういう意味では使わないんじゃないかしら。

    たとえば日本語で、「自然現象」って言うとき、「自然-おのれを示す当のもの」「自然-あらわなもの」とか「自然-おのれをおのれ自身に即して示すもの」なんていう意味で見ないよね。

引用返信/返信 削除キー/
■27133 / inTopicNo.83)  Re[18]: もじばけ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/21(Fri) 20:14:37)
    ■27132、
    やっぱダメね。
引用返信/返信 削除キー/
■27132 / inTopicNo.84)  Re[17]: もじばけ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/21(Fri) 20:13:26)
    ■27131、
    「↔」「⟺」「⟸」は変換の不能で、
    「⇔」「⊂」は能ある、っていうこね。
    じゃ、次の語はどうかしら?

    No27129に実は書いてあった、
    [(独)Phänomen]
    [(仏)phénomène]
    どうかしら?

引用返信/返信 削除キー/

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