| 哲学ってなあに?に連関して、このところ哲学に出てくる用語の意味をに関連していくつかしらべてきたんだけど、これまでのを、ここでちょっとまとめ。
あ、その前に、 No27147で、書き写したように、 メルポンは、 【現象学によれば、…‥もろもろの世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。】 【現象学は、……「生きられた」空間、世界についての報告でもある。それは、われわれの経験の心理学的な発生や、科学者、歴史家、もしくは社会学者が提供しうるような、その因果的な説明を願慮せずに、経験をあるがままに、直接、記述しようという試みである。】 って言ってる。
そこで、わたしつぎのように区別して見たのね。 (x)学者 (y)素朴的経験的私 に。 念のために、「学者」をネットでしらべたら、 〔学者(がくしゃ)とは、学問の研究や教授を専門職とする人、または、学問のある人、豊富な知識のある人。一般に博識な人や物知りな人物に対しても用いられる。研究者(けんきゅうしゃ)ともいう。学問の専門家。〕 ってあった。 「素朴的経験的私」っていうのは、わたしのような、上のような「学者」じゃない人のこと。世界と素朴に触れあう、みたいな意味の。あと、学者さんが語っていることを「学論」ってして見た。 学者さんだって幼い時は素朴的経験的私だったはず。
で、語の意味のまとめね。
(A)「イデア」−idea→「観念」■27074 学論一般的に、「観念」には、二つあって、 (a)感性的観念 (b)理性的知的観念(表象) もともとの意味は、 (c)idein=見ること、idea=見られたもの/姿/形 idea(観念)っていったら、だいたいが(b)みたい。
(B)「現象」■27153 (d)現象学における「現象」→「おのれを示す当のもの//あらわなもの」 (e)日本語で「現象」って言ったら→「あらわれ//あらわれているもの」
(C)「ロゴス」−logos■27370 (f)言葉(言語)→「言語学」 (g)内的な、知的な、思考的な(論理とか理性的な)→「論理学」 (h)「ロゴス」は 「語ること」。これは「見えるようにさせること」であって、それによって「見えるようにされ(し)たもの」。 学論一般的には、(f),(g)の意味で、わたしのはハイデガーに倣って(h)。
だいたいこんな感じになった。
わたしのような素朴的経験的私にとって分かりやすい言葉になってるのが、 (A)-(c) idein=見ること、idea=見られたもの/姿/形 (B)-(e) 日本語で「現象」は、「あらわれ//あらわれているもの」 (C)-(h) 「語ること」、これは「見えるようにさせること」であって、それによって「見えるようにされたもの」が発生する っていうこと。
|