| 2023/02/02(Thu) 09:23:33 編集(投稿者) 2023/02/02(Thu) 09:06:53 編集(投稿者) 2023/02/02(Thu) 08:59:56 編集(投稿者)
pipitさんの純理トピで話題になってた『二辺から なる直線図形』。
図形として閉じられていてかつ角を持つ図形を作るためには最低でも三辺が必要なので、幾何学図形として、二辺だけではそのような図形は作図できない、ってことですよね。 しかし、『二辺から なる直線図形』なるものを「思考してみること」は可能であると。 (それともカントは、それさえも不可能だと言っているということなのかな?)
そんなことを考えていたら、ウィトゲンシュタインについての以前の自分の投稿を思い出しました。
pipitさんのトピだとご迷惑だと思うので、ここで書いてみます。 話題をお借りするみたいですみません。 おもしろそうで書いてみたくなりました。 話題に出て来ていた皆様のお話とはまったく的外れな内容かもしれませんが。。。 それと、カントの言いたいこととウィトゲンシュタインのここで言っていることとの関連性もまったくないのかもしれませんが。。。 あくまで私の中で何か共通するものを感じたのです。
■No27770に返信(みのりさんの記事) > シリーズ世界の思想『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』古田徹也 著 > を読みます。 > 本日はp81〜。 > > 前回は、思考と論理像についてでした。 > > ====== > 三・〇二 思考は、思考されうる状況が可能であることを含んでいる。 > 思考しうることは可能なことである。 > > 三・〇三 我々は非論理的なことを思考できない。 > というのも、仮にそれができるすれば、その場合我々は非論理的に > 思考しなければならないからである。 > ===== > p79の『論考』からのを引用させていただいておきます。 > > > 三・〇二で言われている「可能」というのは、あくまで論理的に可能であることを意味する。 > 前回、私が例として考えて提示した「天の川の上にオムライスが乗っている」というのもそれに当たります。 > 蓋然性が低くても論理的には可能ということ。 > > 一方、三・〇三で言われているのは。 > 非論理的なことについてです。 > > 例えば、「@,@,そPDに5かU」のようなランダムな文字列は、何も描き出していないし像ではない。 > 非論理的な命題を語ることはできないし、思考もできない。 > > こうした文字列は、論理空間にも入らない、でいいんだよね、と思い・・・。 > 復習として前に戻り、p48に・・・ > ===== > 論理空間は論理的に可能な事態をすべて含んでいる。 > ===== > とあり。 やはりでした。
『二辺から なる直線図形』というのは、非論理的ではないですよね。 作図可能か否かは別として、それについて語ったり考えてみることは論理的に可能です。 考えてみた上で、二角を持つ閉じられた図形としての『二辺から なる直線図形』は作図できない、と解るけれど。
|