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■26957 / inTopicNo.25)  pipitさんへ
  
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/10/10(Mon) 13:34:25)
    pipitさん、こんにちは。
    今回のレスは、
    No26905
    >ふと、なんですが、ウィトゲンシュタインさんは、ふくろうさんにとって、どんな印象なんですか?と思いました。スピンオフ質問です( ^ω^ )

    に回答することに絡めて、現在のカント解釈についての私の印象を述べてみます。

    すごく大雑把に言うと、私はもともと、ウィトゲンシュタインはカントの創出した超越論的哲学の後継者というか、『論考』は『純理』を新しい自然科学観、新しい論理学観、新しい数学観によって、ブラッシュアップしたものという印象を持っていました。
    そのウィトゲンシュタイン的観点からみると、『純理』は古さが否めなく、そのため本来不必要な煩瑣な区別、議論があるように思えて、細かい議論についていくのは正直無駄な気がして、しんどかったんです。
    ところが、今回、少し横レスしてから、『純理』本文にあたって解釈ゲームに参加してみると、私がこれまで思ってた以上に、ウィトゲンシュタインが『純理』を意識していたんじゃないかという気がしてきて、カント自身の細かい議論が面白くなってきたんですよ。
    ただ、私にはウィトゲンシュタイン的観点から捉えることに伴うメリットもデメリットもあるんですね。
    カントの知りえなかった論理学観などを知っているということはある意味メリットではありますが、その知識は別の意味では偏見でもありますので、カントの議論に沿ってすなおに読むことがかえって困難というかバイアスがかかっちゃう傾向があると思います。
    その点、pipitさんのほうが、すなおにカントの議論についていこうとされていて、またいろんな先生の著書を勉強してらっしゃるので、論理学に関する知識の不足などハンデもありますが、今回の
    No26905で提示された解釈は、とてもよく考えられたものだと思います。
    これはpipitさんの責任ではもちろん全くないんですが、私は御子柴先生の考えが、pipitさんの引用してくださったものしか読んでいないためか、いまひとつ整合的に読めていないんです。
    でも、pipitさんのおかげで、
    No26892
    で示した理解を、さらに納得のいく形で深められる気がしてきました。
    ありがとうございます。


    それで、pipitさんの解釈ですが、もう少し具体的に詰めて書くことはできませんか?
    私なりに、pipitさんの考えに対する理解を少し具体的に提示することも可能ですが、
    今回の成功を鑑みると、ご本人にとりあえずやっていただいたほうがいいかなとも思います。
    いかがでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■26924 / inTopicNo.26)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/09(Sun) 07:24:16)
    ふくろうさん、おはようございまーす

    No26919
    みんなそろそろ動き始めてるんですね!
    高速SAも混んでいたとのこと、おつかれさまです。

    レスの遅い早いはお気になさらないでください。
    どうぞご無理なさらずゆっくり休んでくださいね
    (^○^)v

引用返信/返信 削除キー/
■26919 / inTopicNo.27)  pipitさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/10/08(Sat) 21:03:24)
    2022/10/08(Sat) 21:57:55 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんは。
    レスをありがとうございます。

    今、出先なので、レスはまた明日帰宅して以降になります。すみません。

    高速のSAは、まだ車がいっぱいです。
    三連休でみんなお出かけなんでしょうね!

    (追記)
    pipitさん

    あなたのレスを読んでいたら、なるほど、そう読めば良いのかもしれないと思えてきました。
    おくたがわさんや、御子柴先生の解釈に沿った理解に思われます。

    なんか御子柴先生の文ではスッキリしなかった点が、pipitさんのレスで解消された気がしてます。
    今まだSAのフードコートで、スマホで書いてるので、また改めてよく読んでかんがえます。
    しかし、なんか分が悪い気がしてきたな〜(笑)
    いずれにせよ、よく考えておられて、おみそれいたしましたm(_ _)m

    それでは、おやすみなさい!
引用返信/返信 削除キー/
■26917 / inTopicNo.28)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/10/08(Sat) 19:00:28)
    悪魔ちゃん、こんばんは。

    No26912に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No26896、ふくろうさん、ありがと。
    > でも、
    > No26874、なんかわたしのと違う感じ〜
    >
    > No16745の、Deeple翻訳だけに限ってだけど、
    > この文章を、「純粋な思考」と「経験的な思考」に分けて見ると、
    >
    > @純粋な思考
    > 対象物に対する純粋な思考は、知識の内容をすべて抽象化しない論理が存在することになる。なぜなら、ある対象を純粋に考えるための規則だけを含む論理は、経験的な内容をもつすべての認知を排除することになるからである。それはまた、対象に帰することができない限り、対象に関する知識の起源に行き着くだろう。
    >
    > A経験的な思考
    > ・一般論理は、これまで示したように、認識のすべての内容、すなわち対象とのすべての関係から抽象し、認識の相互の関係における論理形式、すなわち思考の形式一般のみを考慮するものである。
    > ・一般論理学は、このような知識の起源とは何の関係もなく、観念を、それがもともと我々自身の中に先験的に与えられたものであれ、経験的にのみ与えられたものであれ、単に、思考するときに、理解が相互の関係においてそれらを必要とする法則に従って考慮し、したがって、観念が他のどこから生じてきたとしても、そのために調達できる理解の形式だけを扱うのである。
    >
    > って、カントは言ってるようにわたしには見えたんだけど。
    >

    あらそうですか。
    確かに全然違うね。

引用返信/返信 削除キー/
■26913 / inTopicNo.29)  Re[21]: 訂正
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/08(Sat) 14:55:10)
    ■26912、確認したら、No16745って間違って書いちゃいました。ごめんなさい。
    おくたがわさんが紹介してくれた、
    No26745のところのです。


引用返信/返信 削除キー/
■26912 / inTopicNo.30)  Re[20]: ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/08(Sat) 14:40:42)
    No26896、ふくろうさん、ありがと。
    でも、
    No26874、なんかわたしのと違う感じ〜

    No16745の、Deeple翻訳だけに限ってだけど、
    この文章を、「純粋な思考」と「経験的な思考」に分けて見ると、

    @純粋な思考
    対象物に対する純粋な思考は、知識の内容をすべて抽象化しない論理が存在することになる。なぜなら、ある対象を純粋に考えるための規則だけを含む論理は、経験的な内容をもつすべての認知を排除することになるからである。それはまた、対象に帰することができない限り、対象に関する知識の起源に行き着くだろう。

    A経験的な思考
    ・一般論理は、これまで示したように、認識のすべての内容、すなわち対象とのすべての関係から抽象し、認識の相互の関係における論理形式、すなわち思考の形式一般のみを考慮するものである。
    ・一般論理学は、このような知識の起源とは何の関係もなく、観念を、それがもともと我々自身の中に先験的に与えられたものであれ、経験的にのみ与えられたものであれ、単に、思考するときに、理解が相互の関係においてそれらを必要とする法則に従って考慮し、したがって、観念が他のどこから生じてきたとしても、そのために調達できる理解の形式だけを扱うのである。

    って、カントは言ってるようにわたしには見えたんだけど。



引用返信/返信 削除キー/
■26905 / inTopicNo.31)  別パターンの読解
□投稿者/ pipit -(2022/10/08(Sat) 09:36:29)
    ザビビのふくろうさん、おはようございます(^_^)

    No26889
    >そこで提案ですが、とりあえず、そのpipitさんの「別パターンの考え」を、提示してみてはいかがでしょうか?
    そしたら、もう少しはっきりわかるかもしれませんし。
    なので、なるべくぼんやりした書き方ではなく、明確に――できれば具体的に――書いていただければ助かります。
    よろしくお願いします。<

    まだぼんやりで全く具体的でなく申し訳ないけど、
    とりあえずの別パターン解釈を書いてみました。(自分に満足したものが書けてから、と、思うと投稿できないですのでm(_ _)m)
    これだめ、あれだめ、これ書け、あれ書け、これどうなってるんや等、お気軽におっしゃってください
    (嫌味じゃないですよー(^ ^))

    ふと、なんですが、ウィトゲンシュタインさんは、ふくろうさんにとって、どんな印象なんですか?と思いました。スピンオフ質問です( ^ω^ )

    では、別パターン投稿しまーす。
    ====================
    No26832の一部分の
    (pipitの今日の読解)

    一般論理学は認識のすべての内容を捨て去る。

    もし、一般論理学が捨て去る内容の内に、経験的認識の内容と純粋な認識の内容の区別がある場合、

    一般論理学が区別なく捨てた内容を捨て去らない論理学も成り立つだろう。


    対象についての純粋な思考の規則のみを含む論理学は
    全ての経験的な内容を排除するから論理学として成り立ち、
    しかも内容全般を切り捨てる一般論理学と区別される内容を切り捨てない超越論的論理学が成り立つだろう。

    ----------------------------------------

    上記の(pipitの今日の読解)を、
    No26832
    の田村一郎先生の訳に当てはめてみます。
    まず

    >(田村一郎先生訳)
    『これまで述べてきたように、一般論理学は認識のすべての内容、つまり認識と客観との関係のすべてを捨て去り、認識の相互関係の中での論理的形式、つまり思考一般の形式だけを考察する。<

    pipit(一般論理学は認識のすべての内容を捨て去る。)

    >ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には純粋なものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる純粋な思考と経験的思考との間にも区別を見出すことができよう。<

    pipit(もし、一般論理学が捨て去る内容の内に、経験的認識の内容と純粋な認識の内容の区別がある場合、)


    >そうなると、認識のすべての内容を捨て去るわけではないような一つの論理学が成り立つことになろう。<

    pipit(一般論理学が区別なく捨てた内容を捨て去らない論理学も成り立つだろう。)

    >なぜなら対象についての純粋な思考の規則だけを含むような論理学は、経験的な内容にかかわるすべての認識を排除するだろうからである。<

    pipit(対象についての純粋な思考の規則のみを含む論理学は
    全ての経験的な内容を排除するから論理学として成り立ち、
    しかも内容全般を切り捨てる一般論理学と区別される内容を切り捨てない超越論的論理学が成り立つだろう。)

    >このような論理学は、その源泉が対象に属することはできないような、われわれの対象認識の源泉もめざすことになろう。<



引用返信/返信 削除キー/
■26900 / inTopicNo.32)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/08(Sat) 00:16:43)
    ちょっと今ぼんやりしたいので日記とさせてください
    ( ^ω^ )ボンヤリ

    悪魔ちゃんが最近リクエストくれた箇所が頭に浮かびます

    カントの純理B377

    『知覚は、主観の状態の変様としてもっぱら主観に関係する場合、感覚(sensatio)であり、客観的知覚は、認識(cognitio)である。
    認識は、直観か概念のいずれか(intuitus vel conceptus)である。
    直観は直接に対象に関係し、個別的であるが、概念は、いくつかの事物に共通でありうる徴表を介して、間接的に対象に関係する。
    概念は、経験的概念か純粋概念のいずれかである。
    そして純粋概念は、それがもっぱら悟性のうちにその源泉を有するかぎり(感性の純粋形象のうちにではなく)、悟性概念[Notio]と呼ばれる。
    悟性概念から生じ、経験の可能性を超える概念が、理念もしくは理性概念である。』
    (宇都宮芳明先生監修、以文社『純粋理性批判 上』鈴木恒夫先生訳、p403より引用)


    みなさまおやすみなさーい ☆彡


引用返信/返信 削除キー/
■26899 / inTopicNo.33)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/08(Sat) 00:11:12)
    ふくろうさん、こんばんはー

    No26897
    >ってことは、御子柴先生の解釈は、pipitさん的には割としっくりくるということですか?<

    はい、pipit的にはしっくりきます。
引用返信/返信 削除キー/
■26897 / inTopicNo.34)  Re[22]: 御子柴先生の解釈について
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/10/07(Fri) 23:25:12)
    pipitさん、こんばんは。

    No26895に返信(pipitさんの記事)
    > 2022/10/07(Fri) 21:23:47 編集(投稿者)
    >
    > ふくろうさん、こんばんは!pipitの別パターン読解を書く前に
    >
    > ■No26892
    > に返信します。
    >
    > 経験的概念と純粋概念の区別の解説を御子柴先生は『カント 純粋理性批判』角川選書、p109で述べられてますので、御子柴先生の考え方のご参考になるかなと引用します。
    > 引用開始
    > 『私たちの認識にはこのような直観と概念が必要ですが、「超越論的感性論」で私たちは直観に経験的直観と純粋直観があることを認識しました。
    > 前者には感覚に由来するものが含まれていますが、後者には含まれていません。
    > では、概念についても私たちは純粋概念を見出し、それを経験的概念から区別できるでしょうか。
    > 先に猫の概念を挙げましたが、この概念を私たちがもっているのは、私たちの経験や私たちが受けた教育に由来します。
    > したがって、猫の概念は経験的概念です。
    > たいていの概念はそうした経験的概念です。
    > ここで私たちは思い出しましょう。
    > 直観において経験的直観ならざる純粋直観を見出すとき、私たちは「直観の形式」に注目しました。
    > 同様に、概念において純粋概念を見出すには「思考一般の形式」に注目すればよいのではないでしょうか。
    > 思考一般の形式とは、どんな対象について考えるにせよ、つねにその思考が従っている〈かたち〉のことです。』
    > 引用終了
    >
    >
    >>【ふくろうの理解】
    >>思考には
    >>(1)対象(客観)に関わる思考と、
    >>(2)対象(認識内容)に関わらない思考
    >>とがある。<
    >
    >>一般論理学は、このうちの後者、すなわち(2)認識内容の一切を捨象した思考についての論理学であり、その意味で対象に関わらない論理学=非対象的論理学である。
    >>
    >>また、(1)対象、すなわち認識内容に関わる思考について、
    >>(1-1) 純粋思考と
    >>(1-2) 経験的思考
    >>とが考えられるが、この(1-1)純粋思考についての論理学が超越論的論理学である。
    >>すなわち、超越論的論理学とは、対象に関わり、かつ純粋な思考(対象的思考の形式)についての論理学である。
    >>その意味で、超越論的論理学とは、純粋対象的論理学である。
    >>
    >>**********************
    >>読み込みすぎかもしれませんが、ここまで言ったほうが、よりくっきりはっきりわかりやすい気がします。
    >>しかし、ともかくもしこの理解が妥当だとした場合は、やはり、ふくろう的にはちょっと違うんじゃないかという気がします。
    >>とりあえず。<
    >
    >
    > (pipitの私見)
    >
    > 『超越論的』という用語を、カント自身が第二版序論のB26で
    > 『私は、対象にかかわるのではなく、対象についてのわれわれの認識の仕方に、しかもこの認識の仕方がア・プリオリに可能である限りにおいてかかわるすべての認識を、超越論的と名づける。』(宇都宮芳明先生訳)と定義してます。
    >
    > 認識の対象が、純粋概念によってアプリオリに認識される(認識の条件の一部となっている)、その概念の学(思考形式の学)なので、
    >
    > (1-1)が、超越論的論理学と名づけられるのかな、と、思いました。
    >

    ってことは、御子柴先生の解釈は、pipitさん的には割としっくりくるということですか?
引用返信/返信 削除キー/
■26896 / inTopicNo.35)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/10/07(Fri) 23:23:05)
    悪魔ちゃん、こんばんは。

    No26893に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > わりこんじゃって、ごめんだけど、
    >
    > ザビビのふくろうさん、
    >
    > No26745のおくたがわさんが紹介してくれた”カントの”どう見ます?
    >
    私の解釈は、
    No26874
    に書いてあります。

引用返信/返信 削除キー/
■26895 / inTopicNo.36)  Re[21]: 御子柴先生の解釈について
□投稿者/ pipit -(2022/10/07(Fri) 20:45:47)
    2022/10/07(Fri) 21:23:47 編集(投稿者)

    ふくろうさん、こんばんは!pipitの別パターン読解を書く前に

    No26892
    に返信します。

    経験的概念と純粋概念の区別の解説を御子柴先生は『カント 純粋理性批判』角川選書、p109で述べられてますので、御子柴先生の考え方のご参考になるかなと引用します。
    引用開始
    『私たちの認識にはこのような直観と概念が必要ですが、「超越論的感性論」で私たちは直観に経験的直観と純粋直観があることを認識しました。
    前者には感覚に由来するものが含まれていますが、後者には含まれていません。
    では、概念についても私たちは純粋概念を見出し、それを経験的概念から区別できるでしょうか。
    先に猫の概念を挙げましたが、この概念を私たちがもっているのは、私たちの経験や私たちが受けた教育に由来します。
    したがって、猫の概念は経験的概念です。
    たいていの概念はそうした経験的概念です。
    ここで私たちは思い出しましょう。
    直観において経験的直観ならざる純粋直観を見出すとき、私たちは「直観の形式」に注目しました。
    同様に、概念において純粋概念を見出すには「思考一般の形式」に注目すればよいのではないでしょうか。
    思考一般の形式とは、どんな対象について考えるにせよ、つねにその思考が従っている〈かたち〉のことです。』
    引用終了


    > 【ふくろうの理解】
    > 思考には
    > (1)対象(客観)に関わる思考と、
    > (2)対象(認識内容)に関わらない思考
    > とがある。<

    > 一般論理学は、このうちの後者、すなわち(2)認識内容の一切を捨象した思考についての論理学であり、その意味で対象に関わらない論理学=非対象的論理学である。
    >
    > また、(1)対象、すなわち認識内容に関わる思考について、
    > (1-1) 純粋思考と
    > (1-2) 経験的思考
    > とが考えられるが、この(1-1)純粋思考についての論理学が超越論的論理学である。
    > すなわち、超越論的論理学とは、対象に関わり、かつ純粋な思考(対象的思考の形式)についての論理学である。
    > その意味で、超越論的論理学とは、純粋対象的論理学である。
    >
    > **********************
    > 読み込みすぎかもしれませんが、ここまで言ったほうが、よりくっきりはっきりわかりやすい気がします。
    > しかし、ともかくもしこの理解が妥当だとした場合は、やはり、ふくろう的にはちょっと違うんじゃないかという気がします。
    > とりあえず。<


    (pipitの私見)

    『超越論的』という用語を、カント自身が第二版序論のB26で
    『私は、対象にかかわるのではなく、対象についてのわれわれの認識の仕方に、しかもこの認識の仕方がア・プリオリに可能である限りにおいてかかわるすべての認識を、超越論的と名づける。』(宇都宮芳明先生訳)と定義してます。

    認識の対象が、純粋概念によってアプリオリに認識される(認識の条件の一部となっている)、その概念の学(思考形式の学)なので、

    (1-1)が、超越論的論理学と名づけられるのかな、と、思いました。

引用返信/返信 削除キー/

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