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■27028 / inTopicNo.1)  ふくろうさんへ・純理のB93-
  
□投稿者/ pipit -(2022/10/14(Fri) 22:21:33)
    あ、あと、一応の情報提供なのですが、

    B93-
    概念の分析論の第一章第一節が、
    「知性一般の論理的な利用について」という箇所が、ふくろうさんにはもしかしたらおもしろいかも??と思いました。(おもしろくなかったらすみません)

    知性の認識は、概念による認識であり、推論的な認識である。とか、
    知性とはそもそも判断を下す能力、とか書かれてあります。

    pipitもいつかはこの部分をきちんと理解したいと思ってるのですが
    ( ̄▽ ̄;)

    ふくろうさんならよくわかるかも?とご紹介だけさせていただきますね
    m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■27027 / inTopicNo.2)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/14(Fri) 22:10:44)
    ふくろうさん、こんばんは!

    No27024
    おぉ、ふくろうさん、pipitの考えてることわかっててくれたのかも?!と思えました
    (*^ω^*)

    わかってくれない気がしてたもので( ̄^ ̄)

    とてもおもしろかったです、ありがとうございます(*^◯^*)

    >そろそろ投稿を一旦休止したいと考えていますが、もし、何か今の内に言っておきたいことがあれば、
    遠慮なく言ってください。<

    ふくろうさん、ウィトゲンシュタインさんは超越論哲学の進化版後継者みたいな感じのことおっしゃってたでしょう?
    ふくろうさんにとっての「超越論的」の意味合いを教えていただいてもいいですか?

引用返信/返信 削除キー/
■27024 / inTopicNo.3)  pipitさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/10/14(Fri) 21:43:16)
    No27012,27018,27020

    pipitさん,こんばんは。
    返信ありがとうございます。

    >ふくろうさんの解釈と、pipitの解釈は違うようです。
    >pipitは、「あれはタヌキだ。」というアポステリオリな判断の内にさえも、純粋と経験的の要素の両方含まれている、という解釈です

    なるほど。
    そういうことかなと思っていました。
    例えば,経験的判断であっても,カテゴリー(純粋な要素)の適用がなされているから,それを経験的内容と区別できるだろうということですかね。
    分かりやすい具体例で言えば,
    >「雨が降ったから車が濡れた」
    のような経験的判断にも,因果律(カテゴリー)の適用があると。
    もし,pipitさんが,こんなふうに考えてらっしゃるのであれば,
    実は私もそうかもしれないとも思います。
    そして,さらに言えば,これらは同じことなのかも,と思ったりしています。

    >カント哲学においては
    >カントの純粋悟性概念って、純粋な思考だと思われますか???

    今回のこの質問が的を射てると思ってすごく面白く感じているんですが,
    カテゴリー=純粋悟性概念を「思考」と言ってよいのか?という疑問が浮かびますよね。
    カテゴリーって,辞書的意味としてはむしろ「思考(判断)の形式」じゃないの?…みたいな。

    > >>(B80カントの文章/田村一郎先生訳)
    >>ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には純粋なものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる純粋な思考と経験的思考との間にも区別を見出すことができよう。<

    ですから、一応現在は,ここの文脈では、いわば字義通り解釈を作業仮説として採用している感じです。
    つまり、上の引用文における「思考」を「判断」に置き換えた感じですね。

    >>ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には純粋なものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる純粋な判断と経験的判断との間にも区別を見出すことができよう。<

    あと、「思考」を「概念」に置換できるかとかね。
    でもまあ、上に述べたように、確信があるわけではないので、これは私の解釈する上での作業仮説ということで、pipitさんはご自身の考えで解釈していって、整合的に読めるかどうかを確かめていかれればいいと思います。
    もちろん、私も作業仮説(2)みたいに頭にはおいておきます。
    私としては、「思考」「認識」や「判断」、「対象」について、pipitさんと少し詰めて話し合えたことで満足です。
    「対象」に関しても、「基体」か「物自体」か、などいろいろまだ考えるべきことはあると思いますが、ある程度、はっきりイメージをもって読みすすめられればよいと思います。
    結論は出ないにせよ、ある程度詰めて話し合ったので、解像度は上がったのではないでしょうか?

    ********************
    参考書についてですが、私も同じで、全部ちゃんと理解できたと言い切れるものなんてありません( ;∀;)
    ただ、これはあくまで私の印象ですが、pipitさんはかなりよく考えていらっしゃるのに、なんかそのわりに解像度が低い気がするんですよ。
    つまり、思考の深さと解像度が釣り合わない感じというか(笑)
    論理学の知識の不足などは、必要な程度は参考書がカバーしてくれると思いますし、術語や概念の説明もありますし、カント辞典も持っていらっしゃるから、そのへん注意して、何度も確認されれば解像度が上がるんじゃないかと思います
    (私としては“「 」”のような我流の表現はおススメしません)。

    なんかエラそうに言っていますが、今回pipitさんと話しながら『純理』を読んで、
    ほんの一部分とは言え、おかげで結構いい読解・解釈の経験ができたと感謝しています。
    「カント、おもしれ―!」と思うようになりました(笑)
    ありがとうございますm(__)m

    そろそろ投稿を一旦休止したいと考えていますが、もし、何か今の内に言っておきたいことがあれば、
    遠慮なく言ってください。

    また、うましかさんにご登場願いたいですね!


引用返信/返信 削除キー/
■27020 / inTopicNo.4)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/14(Fri) 17:43:45)
    2022/10/14(Fri) 19:13:03 編集(投稿者)

    こんばんは!
    ご意見聞かせていただいていいでしょうか?

    カント哲学においては
    カントの純粋悟性概念って、純粋な思考だと思われますか???

引用返信/返信 削除キー/
■27018 / inTopicNo.5)  ザビビのふくろうさんへNo27010への返信A
□投稿者/ pipit -(2022/10/14(Fri) 16:32:32)
    ふくろうさん、こんにちは!
    No27010への返信の続きです。

    > > ここで、言われているのは、一般論理学が捨象してしまう認識内容を捨て去らない思考、
    > つまり、これは「A=B」「SはPである」というように形式化しない普通の判断(命題)、すなわち、たとえば、
    >
    > >「雨が降ったから車が濡れた」
    > >「あれはタヌキかハクビシンかどちらかだ」(No26855)
    > >「三角形の内角の和は180度である」
    > >「直線は、二つの点を結ぶ最短距離である」
    > >「5プラス7は12である」
    >
    > といった判断(命題)の表している思考に、「純粋な思考」であるか「経験的思考」であるかの区別をつけられるだろうということだと思います。
    > そして、先取りして言えば、
    > 雨判断、タヌキ判断、がアポステリオリな判断、すなわち経験的思考、
    > 幾何学的判断、算術的判断はアプリオリな判断、すなわち純粋思考を表しているということだと思います。<

    ふくろうさんの解釈と、pipitの解釈は違うようです。
    pipitは、「あれはタヌキだ。」というアポステリオリな判断の内にさえも、純粋と経験的の要素の両方含まれている、という解釈です。

    > > 黒崎政男『純粋理性批判入門』
    > って、もってましたよね。
    > この本では、黒崎先生がさしあたり術語をどう理解しておけばよいかをざっくり説明してくれていますので、参考になると思います。
    > あと、
    > 石川文康『カント入門』(ちくま新書)
    > って読みましたか?
    > この本は御子柴先生もすすめておられた本ですが、持ってらっしゃいますかね。
    > けっこう詳しくて、読み応えありますね。
    > まだ読みこなせていませんが、私は参考にしています。<

    両方持っていますが、理解はしきれてないです。

    > 『純理』の大きな目的が、合理論と経験論の総合だということはお読みになったことがあると思います。
    > これが、具体的にどのようなことなのか、ということをこういった参考書などで把握されると、いいんじゃないかと思います。<

    意識するようにしてみたいと思いました。

    > > [補足]
    >  二等辺三角形は三角形である
    > という判断が分析判断であるということの説明は、通常、参考書などでは、
    > 主語の意味のなかに述語の意味が含まれている、というふうに説明されると思います。
    > 独身男に妻はいない
    > とかね。
    > まあ、こちらのほうが普通にわかりやすいでしょう。
    > でも、前の説明の流れでは、対象の内容に関係なく、ということがポイントだったので、
    > 混乱のないようにあえて形式化して説明したんです。<

    pipitに知識がないせいでご迷惑、お世話かけます

    No27010への返信は以上です。m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■27012 / inTopicNo.6)  ザビビのふくろうさんへNo27010への返信@
□投稿者/ pipit -(2022/10/14(Fri) 06:31:03)
    ザビビのふくろうさん、返信ありがとうございます。

    No27010
    > > pipitさんは、『純理』の参考書を何冊かお持ちだと思うのですが、
    > それらは一応全部を通しで読了されていますか?
    > つまり、なんとなくであっても、『純理』の全体像についてイメージは持っていらっしゃいますかね。
    > なにせカントの議論が細かいので、それが今何をやっているのかを全体の中で把握しておかないと、道に迷っちゃう気がするので、私としては常に意識しているんですが、pipitさんはどうかなと思って質問してます。
    > それと、少し心配なのは、術語というか、カントの用いる特殊な概念について、少し把握があいまいな気がするんですね。
    > これはもちろん、私なんかも常に注意すべきことで、しばしば怪しくなっちゃうのですが、それが明確な理解の妨げになりがちなんですよね。
    > 私が具体的に説明をしてほしいとお願いしているのは、そのへんが気になるからないんです。<

    参考書は複数購入しています。
    通読できたものと、私には難しくてまだ未読のものと両方あります。
    通読したものも、完全に理解しているわけではなく、無理矢理目だけ通した箇所も多くあります。
    ふわふわと読んでいるので、明晰に理解できていません。
    基礎知識もないので、カントの使用している術語に対しても、正確な理解はできていないと思います。
    お手数をおかけしてすみません。
    m(_ _)m

    > > 今回も、たとえば、
    >
    > >対象、を、どの範囲まで、というのもあるよね。
    > >「雨が降ったから車が濡れた」という現象の、「 」を一つの対象と表現できるのか。
    > >この場合、多様な直観を純粋悟性概念でくっつけて「 」を成り立たせてると思うんだけど、アプリオリな総合判断が成り立つとき、「 」という現象も成り立つ、という関係かなぁ
    >
    > と書いていらっしゃいますが、“「 」”って、
    > これ、「判断」のことではないですか?
    > はっきりはわからないんですが、ここでpipitさんが問題にしてらっしゃるのは、
    > 「対象の認識内容」と、「判断」の内容とを、どう捉えるか、ということではありませんか?
    > ちょっと解説しておくと、論理学が考察の対象とする基本は主語―述語形式を有した「判断」(≒「命題」)で、この判断という形で、対象についての思考や対象についての認識があらわされるわけです。
    > ですから、ざっくり言えば、判断(命題)では対象についての思考内容や認識内容が表現されるので、ほぼほぼ
    >  対象の認識内容=判断(命題)の内容
    > と考えても、さしあたり意味は通るんじゃないでしょうか。
    > >「雨が降ったから車が濡れた」
    > ちなみに、これはアプリオリな綜合判断ではなく、アポステリオリな綜合判断です。<
    >『ちょっと解説しておくと、論理学が考察の対象とする基本は主語―述語形式を有した「判断」(≒「命題」)で、この判断という形で、対象についての思考や対象についての認識があらわされるわけです。
    > ですから、ざっくり言えば、判断(命題)では対象についての思考内容や認識内容が表現されるので、ほぼほぼ
    >  対象の認識内容=判断(命題)の内容
    > と考えても、さしあたり意味は通るんじゃないでしょうか。』

    わかりやすいです、ありがとうございます!
    主語が、『対象』ということですね?

    私が「雨が降ったから車が濡れた」と書いた時に考えてた(対象)は、
    考察対象としての(対象)を考えていたのだと思います。
    「雨が降ったから車が濡れた」を一つの考察対象としてのまとまった現象として、「」をひとくくりに考えれるのかなーと思考していました。

    その時に考えていたことは、
    「 」は、アポステリオリな総合判断でも、この判断となる現象が生じる条件として、人間にアプリオリな総合判断機能がないと生じないとカントは言っているのではないか、ということです。
    そしてアプリオリな総合判断機能を担う片割れが純粋悟性概念だと今のpipitは思っています。

    No26873の投稿より引用
    (黒崎政男先生の記述)
    > カントは、具体的対象との出会いに先立ち、「可能的経験一般の形式を先取的に認識すること」[B303]をもくろみ、認識の客観的妥当性について云々しうるような「経験の地平」を確立することこそ、超越論的論理学が目指したものであるとした。<

    とりあえず冒頭部分の返信させていただきます。
    続きをまた後ほど考えてみます。
    すごく勉強になります、ありがとうございます
    m(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■27010 / inTopicNo.7)  pipitさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/10/13(Thu) 22:57:51)
    2022/10/13(Thu) 23:03:51 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんは。
    今回、
    No26990,26991,26999
    のレスを、一応まとめてコメントさせてもらいたいと思っています。
    でもその前に、少しお尋ねしたいことがあるんですが、
    pipitさんは、『純理』の参考書を何冊かお持ちだと思うのですが、
    それらは一応全部を通しで読了されていますか?
    つまり、なんとなくであっても、『純理』の全体像についてイメージは持っていらっしゃいますかね。
    なにせカントの議論が細かいので、それが今何をやっているのかを全体の中で把握しておかないと、道に迷っちゃう気がするので、私としては常に意識しているんですが、pipitさんはどうかなと思って質問してます。
    それと、少し心配なのは、術語というか、カントの用いる特殊な概念について、少し把握があいまいな気がするんですね。
    これはもちろん、私なんかも常に注意すべきことで、しばしば怪しくなっちゃうのですが、それが明確な理解の妨げになりがちなんですよね。
    私が具体的に説明をしてほしいとお願いしているのは、そのへんが気になるからないんです。
    今回も、たとえば、

    >対象、を、どの範囲まで、というのもあるよね。
    >「雨が降ったから車が濡れた」という現象の、「 」を一つの対象と表現できるのか。
    >この場合、多様な直観を純粋悟性概念でくっつけて「 」を成り立たせてると思うんだけど、アプリオリな総合判断が成り立つとき、「 」という現象も成り立つ、という関係かなぁ

    と書いていらっしゃいますが、“「 」”って、
    これ、「判断」のことではないですか?
    はっきりはわからないんですが、ここでpipitさんが問題にしてらっしゃるのは、
    「対象の認識内容」と、「判断」の内容とを、どう捉えるか、ということではありませんか?
    ちょっと解説しておくと、論理学が考察の対象とする基本は主語―述語形式を有した「判断」(≒「命題」)で、この判断という形で、対象についての思考や対象についての認識があらわされるわけです。
    ですから、ざっくり言えば、判断(命題)では対象についての思考内容や認識内容が表現されるので、ほぼほぼ
     対象の認識内容=判断(命題)の内容
    と考えても、さしあたり意味は通るんじゃないでしょうか。
    >「雨が降ったから車が濡れた」
    ちなみに、これはアプリオリな綜合判断ではなく、アポステリオリな綜合判断です。

    >>(B80カントの文章/田村一郎先生訳)
    >>ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には純粋なものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる純粋な思考と経験的思考との間にも区別を見出すことができよう。<
    >pipit解釈(もし、一般論理学が捨て去る内容の内に、経験的認識の内容と純粋な認識の内容の区別がある場合、)

    ここの解釈ですが、訳文では
    「純粋な思考」と「経験的思考」との間
    を、pipitさんは、
    「経験的知識の内容」と「純粋な認識の内容」の区別
    と言い換えていますが、そしてこれは必ずしも間違いではないんですが、今回の解釈でも私の例文を用いて説明してくださっていますが、ちょっとよくわからないんですよね。

    ここで、言われているのは、一般論理学が捨象してしまう認識内容を捨て去らない思考、
    つまり、これは「A=B」「SはPである」というように形式化しない普通の判断(命題)、すなわち、たとえば、

    >「雨が降ったから車が濡れた」
    >「あれはタヌキかハクビシンかどちらかだ」(No26855)
    >「三角形の内角の和は180度である」
    >「直線は、二つの点を結ぶ最短距離である」
    >「5プラス7は12である」

    といった判断(命題)の表している思考に、「純粋な思考」であるか「経験的思考」であるかの区別をつけられるだろうということだと思います。
    そして、先取りして言えば、
    雨判断、タヌキ判断、がアポステリオリな判断、すなわち経験的思考、
    幾何学的判断、算術的判断はアプリオリな判断、すなわち純粋思考を表しているということだと思います。
    このへんのことは、私の理解がまた間違っていなければの話ですけど(笑)、
    たいていの参考書には書いてあるんじゃないかと思います。

    黒崎政男『純粋理性批判入門』
    って、もってましたよね。
    この本では、黒崎先生がさしあたり術語をどう理解しておけばよいかをざっくり説明してくれていますので、参考になると思います。
    あと、
    石川文康『カント入門』(ちくま新書)
    って読みましたか?
    この本は御子柴先生もすすめておられた本ですが、持ってらっしゃいますかね。
    けっこう詳しくて、読み応えありますね。
    まだ読みこなせていませんが、私は参考にしています。

    『純理』の大きな目的が、合理論と経験論の総合だということはお読みになったことがあると思います。
    これが、具体的にどのようなことなのか、ということをこういった参考書などで把握されると、いいんじゃないかと思います。
    ******************
    [補足]
     二等辺三角形は三角形である
    という判断が分析判断であるということの説明は、通常、参考書などでは、
    主語の意味のなかに述語の意味が含まれている、というふうに説明されると思います。
    独身男に妻はいない
    とかね。
    まあ、こちらのほうが普通にわかりやすいでしょう。
    でも、前の説明の流れでは、対象の内容に関係なく、ということがポイントだったので、
    混乱のないようにあえて形式化して説明したんです。

引用返信/返信 削除キー/
■27008 / inTopicNo.8)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/10/13(Thu) 21:34:44)
    〈BAはAである。〉
    〈AのうちにBAが含まれてる〉
    〈Aの中からBAを取り出した〉
    〈CAはAである〉
    〈DAはAである〉 


    あら、『A』が左右にいつもあるね
    Σ(・□・;)
引用返信/返信 削除キー/
■27006 / inTopicNo.9)  Re[36]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/13(Thu) 20:14:56)
    >もう一箇所、
    >>「二等辺三角形は三角形である」<<
    についてなんだけど、あ、論理学っていのナシにしてね。<


    論理学関係なく、考えたんだね、
    この箇所を失念しててごめん
    m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■27005 / inTopicNo.10)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/10/13(Thu) 20:10:50)
    悪魔ちゃん、こんばんは!
    いつでも好きな時に書き込みどうぞー
    (*^ω^*)

    No27002
    >カントは、感性の領域、思考の領域の両方に、「経験的ではないもの」と「経験的なもの」を区別している。
    こんなふうに。<

    うん、pipitも今はそんなふうに解釈している。


    >もう一箇所、
    >>「二等辺三角形は三角形である」<<
    についてなんだけど、あ、論理学っていのナシにしてね。<

    pipitが論理学にめちゃくちゃ無知だから、ふくろうさんはすごくラフな例をpipit用に提示してくれたんだと思うけどね
    (^_^)


    >これ、わたしだったら、
    〈三角形のうちに二等辺三角形が含まれてる〉って見えるのね。
    二等辺三角形をp、三角形をqとすると、
    「pならばq」みたいな。
    対象は「二等辺三角形」で、このなかから「三角形」(三つの辺と角でできてる図形)を抽出した、とも見れる。<

    三角形をA、二等辺をBってしたら、

    〈AのうちにBAが含まれてる〉


    >ん?逆に「三角形」っていう中から「二等辺三角形」を取り出したのかな?<

    〈Aの中からBAを取り出した〉


    >「二等辺三角形は三角形である」って言ってる人は。
    pに、不等辺三角形、直覚三角形、直角二等辺三角形、正三角形のどれを入れてもOKよね。<

    〈BAはAである〉
    〈CAはAである〉
    〈DAはAである〉

    >「二等辺三角形は三角形である」って言うの、こういうこと言ってるんじゃないかなって。<

    〈BAはA〉である。という人は、
    〈AのうちにBAが含まれてる〉
    〈Aの中からBAを取り出した〉
    〈CAはAである〉
    〈DAはAである〉
    とも言ってる。

    って、こと?

    形式論理だけでそれ言えるの?
    何か規約つくるの?
引用返信/返信 削除キー/
■27002 / inTopicNo.11)  Re[34]: B80あたりの解釈
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/10/13(Thu) 19:41:48)
    お邪魔しま〜す。

    pipitさまとふくろうさんのやりとり見てたんだけど「論理学」に関係するとこ見たいだから遠ざかってたんだけど、

    No26990
    ちょっと思たのを書いて見るよ、ところどころだけど。

    >ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には純粋なものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる純粋な思考と経験的思考との間にも区別を見出すことができよう。(B80カントの文章/田村一郎先生訳)<
    について、
    わたし「純粋」っていうの、中島さんが
    No26849で言ってた
    「経験的ではない」ってしてみると、上の文は、

    〔ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には経験的ではないものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる経験的ではない思考と経験的思考との間にも区別を見出すことができよう。〕
    ってなる。「直観」を感性の領域の観ってしたとき、わたしに見えてきたのは、

    カントは、感性の領域、思考の領域の両方に、「経験的ではないもの」と「経験的なもの」を区別している。
    こんなふうに。


    もう一箇所、
    >「二等辺三角形は三角形である」<
    についてなんだけど、あ、論理学っていのナシにしてね。
    これ、わたしだったら、
    〈三角形のうちに二等辺三角形が含まれてる〉って見えるのね。
    二等辺三角形をp、三角形をqとすると、
    「pならばq」みたいな。
    対象は「二等辺三角形」で、このなかから「三角形」(三つの辺と角でできてる図形)を抽出した、とも見れる。
    ん?逆に「三角形」っていう中から「二等辺三角形」を取り出したのかな?「二等辺三角形は三角形である」って言ってる人は。
    pに、不等辺三角形、直覚三角形、直角二等辺三角形、正三角形のどれを入れてもOKよね。
    「二等辺三角形は三角形である」って言うの、こういうこと言ってるんじゃないかなって。

引用返信/返信 削除キー/
■26999 / inTopicNo.12)  Re[33]: B80あたりの解釈
□投稿者/ pipit -(2022/10/13(Thu) 17:07:24)
    2022/10/13(Thu) 17:09:49 編集(投稿者)

    ふくろうさん、みなさま、こんばんは!
    No26905での最後の文章の解釈です。

    (田村一郎先生訳)
    > >なぜなら対象についての純粋な思考の規則だけを含むような論理学は、経験的な内容にかかわるすべての認識を排除するだろうからである。<<

    pipit解釈>(対象についての純粋な思考の規則のみを含む論理学は
    全ての経験的な内容を排除するから論理学として成り立ち、
    しかも内容全般を切り捨てる一般論理学と区別される内容を切り捨てない超越論的論理学が成り立つだろう。)<

    ==============
    上記pipit解釈では勇足で>超越論的論理学が成り立つだろう<と書いてしまいましたが、この箇所のカントの文章には名前はでてきてないですね。

    カントの文章には、
    > 対象についての<という文言が入ってますね。

    そして、
    > 純粋な思考の規則だけを含むような論理学<

    ということは、純粋な思考の規則以外の経験的な内容をすべて捨象するということで、、、

    対象についての経験的な内容はすべて捨象した論理学が成り立つことが可能だろう、と。

    ↑こんなpipitの説明は抽象的なんだろうなぁ。
    具体的に説明しようと思うと、
    困った...勉強しなくてはいけない


    カ、カテゴリー、ヲ………

    沼のカテゴリー……
    ----------------
    @(・●・)@
引用返信/返信 削除キー/

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