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pipitさん,こんばんは。 返信ありがとうございます。
>ふくろうさんの解釈と、pipitの解釈は違うようです。 >pipitは、「あれはタヌキだ。」というアポステリオリな判断の内にさえも、純粋と経験的の要素の両方含まれている、という解釈です
なるほど。 そういうことかなと思っていました。 例えば,経験的判断であっても,カテゴリー(純粋な要素)の適用がなされているから,それを経験的内容と区別できるだろうということですかね。 分かりやすい具体例で言えば, >「雨が降ったから車が濡れた」 のような経験的判断にも,因果律(カテゴリー)の適用があると。 もし,pipitさんが,こんなふうに考えてらっしゃるのであれば, 実は私もそうかもしれないとも思います。 そして,さらに言えば,これらは同じことなのかも,と思ったりしています。
>カント哲学においては >カントの純粋悟性概念って、純粋な思考だと思われますか???
今回のこの質問が的を射てると思ってすごく面白く感じているんですが, カテゴリー=純粋悟性概念を「思考」と言ってよいのか?という疑問が浮かびますよね。 カテゴリーって,辞書的意味としてはむしろ「思考(判断)の形式」じゃないの?…みたいな。
> >>(B80カントの文章/田村一郎先生訳) >>ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には純粋なものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる純粋な思考と経験的思考との間にも区別を見出すことができよう。<
ですから、一応現在は,ここの文脈では、いわば字義通り解釈を作業仮説として採用している感じです。 つまり、上の引用文における「思考」を「判断」に置き換えた感じですね。
>>ところで(超越論的感性論で明らかにしたように)直観には純粋なものと経験的なものがあるのだから、対象にかかわる純粋な判断と経験的判断との間にも区別を見出すことができよう。<
あと、「思考」を「概念」に置換できるかとかね。 でもまあ、上に述べたように、確信があるわけではないので、これは私の解釈する上での作業仮説ということで、pipitさんはご自身の考えで解釈していって、整合的に読めるかどうかを確かめていかれればいいと思います。 もちろん、私も作業仮説(2)みたいに頭にはおいておきます。 私としては、「思考」「認識」や「判断」、「対象」について、pipitさんと少し詰めて話し合えたことで満足です。 「対象」に関しても、「基体」か「物自体」か、などいろいろまだ考えるべきことはあると思いますが、ある程度、はっきりイメージをもって読みすすめられればよいと思います。 結論は出ないにせよ、ある程度詰めて話し合ったので、解像度は上がったのではないでしょうか?
******************** 参考書についてですが、私も同じで、全部ちゃんと理解できたと言い切れるものなんてありません( ;∀;) ただ、これはあくまで私の印象ですが、pipitさんはかなりよく考えていらっしゃるのに、なんかそのわりに解像度が低い気がするんですよ。 つまり、思考の深さと解像度が釣り合わない感じというか(笑) 論理学の知識の不足などは、必要な程度は参考書がカバーしてくれると思いますし、術語や概念の説明もありますし、カント辞典も持っていらっしゃるから、そのへん注意して、何度も確認されれば解像度が上がるんじゃないかと思います (私としては“「 」”のような我流の表現はおススメしません)。
なんかエラそうに言っていますが、今回pipitさんと話しながら『純理』を読んで、 ほんの一部分とは言え、おかげで結構いい読解・解釈の経験ができたと感謝しています。 「カント、おもしれ―!」と思うようになりました(笑) ありがとうございますm(__)m
そろそろ投稿を一旦休止したいと考えていますが、もし、何か今の内に言っておきたいことがあれば、 遠慮なく言ってください。
また、うましかさんにご登場願いたいですね!
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