(現在 過去ログ3 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:101) → [トピックの新規作成]
■26508 / inTopicNo.25)  pipitさんへ
  
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/09/19(Mon) 20:28:14)
    2022/09/19(Mon) 20:31:08 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんは。
    レスをありがとうございます。

    No26507に返信(pipitさんの記事)
    > ふくろうさん、こんにちは!
    >
    > No26505
    > >言語一般の考察が言語の超越論的研究=論理学的研究であり、
    > 論理=言語の形式=思考の形式=世界の形式
    > って感じです。
    > どうです?シンプルでしょ(笑)<
    >
    > 最後の『世界』は、主観の認識世界ということでしょうか?
    > 主観認識しか存在し得ない、ので、世界の形式、となるのでしょうか?
    >

    うーんと、
    世界の限界=知識の限界という意味では、世界はイコール認識(表象)世界だし、世界はイコール私の世界なんだけど、「主観の認識世界」って言うと、なんかビミョーに違和感があるんですよね。
    『論考』の超越論的主観は、『純理』の主観とは違って、世界を構成する主観ではないんですよ。
    主観は世界のアプリオリな形式ではありますが、存在論的に言うと、私=世界なんですよ。
    ちょっとうましかさんとこに書いた文章も参考にしてもらいたいんですが、
    ウィトゲンシュタインの場合、現象とは「基体としての我の立ち現れ」ではなく、
    現象=我なんです。
    前にも書いたことがあるんですが、時空は表象世界の形式だけど、存在論的に別ものではなく、時空の存在=表象世界の存在、というのが類比的だと思います。
    あえて言えば、現象が立ち現れる空間の形式、むしろ西田幾多郎の「場としての自己」に近いイメージだと私は考えています。

    言うまでもないと思いますが、以上はふくろうの解釈なので、鵜呑みになどなさらないよう、ご注意ください。

    >

引用返信/返信 削除キー/
■26507 / inTopicNo.26)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/09/19(Mon) 18:05:02)
    ふくろうさん、こんにちは!

    No26505
    >言語一般の考察が言語の超越論的研究=論理学的研究であり、
    論理=言語の形式=思考の形式=世界の形式
    って感じです。
    どうです?シンプルでしょ(笑)<

    最後の『世界』は、主観の認識世界ということでしょうか?
    主観認識しか存在し得ない、ので、世界の形式、となるのでしょうか?


    >[PS]
    ザビビのタンチョウさん、台風大丈夫だったみたいです。
    pipitさんに、よろしくとのことでした。<

    ザビビのタンチョウおねえさま、ご無事でよかったです!
    ふくろうさん、伝えてくださってありがとうございます。
    嬉しいです
    (*^▽^*)


引用返信/返信 削除キー/
■26505 / inTopicNo.27)  pipitさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/09/19(Mon) 16:33:14)
    2022/09/19(Mon) 17:57:18 編集(投稿者)

    pipitさん
    こんにちは。

    No26503に返信(pipitさんの記事)
    > ふくろうさん、こんばんは!
    >
    > ■No26502
    >>ウィトゲンシュタインは、個別の言語については基本的に哲学的考察の対象にはしていないと思います。
    >>
    >>ラフに言うと、例えば『論考』の扱う言語(命題)というのは、幾何学的対象と同じで、あるいみ抽象的対象で、自然言語ではないんですよね。
    >>
    >>だから、『論考』は、超越論的哲学であり、いわば『純粋言語批判』だと言われたりするわけです。
    >
    > そうなのですね!
    > 純粋言語!
    >
    > 思考形式。。。になるのかなぁ。
    > ウィトゲンシュタインさんは、ちょっと天才過ぎそうでヤバそうです
    > ( ̄▽ ̄;)

    ウィトゲンシュタインが天才すぎてヤバイというのは同意しますが、『論考』は『純理』よりずっとシンプルだと思いますよ(笑)

    言語一般の考察が言語の超越論的研究=論理学的研究であり、
    論理=言語の形式=思考の形式=世界の形式
    って感じです。
    どうです?シンプルでしょ(笑)

    [PS]
    ザビビのタンチョウさん、台風大丈夫だったみたいです。
    pipitさんに、よろしくとのことでした。

引用返信/返信 削除キー/
■26503 / inTopicNo.28)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 23:37:27)
    ふくろうさん、こんばんは!

    No26502
    > ウィトゲンシュタインは、個別の言語については基本的に哲学的考察の対象にはしていないと思います。
    >
    > ラフに言うと、例えば『論考』の扱う言語(命題)というのは、幾何学的対象と同じで、あるいみ抽象的対象で、自然言語ではないんですよね。
    >
    > だから、『論考』は、超越論的哲学であり、いわば『純粋言語批判』だと言われたりするわけです。

    そうなのですね!
    純粋言語!

    思考形式。。。になるのかなぁ。
    ウィトゲンシュタインさんは、ちょっと天才過ぎそうでヤバそうです
    ( ̄▽ ̄;)
引用返信/返信 削除キー/
■26502 / inTopicNo.29)  pipitさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/09/18(Sun) 23:14:40)
    pipitさん、こんばんは。

    No26494に返信(pipitさんの記事)
    > ふくろうさん、こんばんはー (^○^)
    >
    > ■No26489
    >>母語となる言語アプリも後天的インストールとか。
    >>
    >>このへん、実際、AI研究で明らかになっていく気がするんですよね。<
    >
    > おぉ、後天的な対象の捉え方に、言語も影響を与える要因になり得る可能性もあるのだなー、と、ふくろうさんの書き込み見て思いました。
    >
    > カントは、わざとかどうかわからないけど、純理では言語的なことには全然言及してない気がするからなー
    > Σ(・□・;) って三分の一も読めてないけど...
    >
    > ウィトゲンシュタインさんは言語の違いについてなど、深く考察されてるのですか?
    >

    ウィトゲンシュタインは、個別の言語については基本的に哲学的考察の対象にはしていないと思います。

    ラフに言うと、例えば『論考』の扱う言語(命題)というのは、幾何学的対象と同じで、あるいみ抽象的対象で、自然言語ではないんですよね。

    だから、『論考』は、超越論的哲学であり、いわば『純粋言語批判』だと言われたりするわけです。


引用返信/返信 削除キー/
■26494 / inTopicNo.30)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 20:32:56)
    ふくろうさん、こんばんはー (^○^)

    No26489
    > 母語となる言語アプリも後天的インストールとか。
    >
    > このへん、実際、AI研究で明らかになっていく気がするんですよね。<

    おぉ、後天的な対象の捉え方に、言語も影響を与える要因になり得る可能性もあるのだなー、と、ふくろうさんの書き込み見て思いました。

    カントは、わざとかどうかわからないけど、純理では言語的なことには全然言及してない気がするからなー
    Σ(・□・;) って三分の一も読めてないけど...

    ウィトゲンシュタインさんは言語の違いについてなど、深く考察されてるのですか?

引用返信/返信 削除キー/
■26489 / inTopicNo.31)  pipitさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/09/18(Sun) 19:11:57)
    No26486に返信(pipitさんの記事)
    > 自己レス日記
    >
    > >pipitは、まっさらのあるシステムが超越論的主観システムで、実際にカメラなどから個別のデータが流れ集まり出すと、そのデータも含めたものが経験的主観になる感じに考えてみる時もあります。
    > データが走り出しても、まっさらのときあったシステムが機能してるゆえに固有値データが流れてる。<
    >
    > OSは同じでも
    > インストールしてる加工アプリがそれぞれ違う、とかね ( ^ω^ )
    ****************
    母語となる言語アプリも後天的インストールとか。

    このへん、実際、AI研究で明らかになっていく気がするんですよね。
引用返信/返信 削除キー/
■26487 / inTopicNo.32)  Re[34]: 日記
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 18:37:53)
    2022/09/18(Sun) 18:41:09 編集(投稿者)

    弱いロボット

    https://youtu.be/qMMIhILUcpU

    弱いロボットという考え方を聞いた時、おもしろい発想だなぁと思ったけど、これはちょっと弱すぎかな
    (^◇^;)

    でも、全部がロボットができなくても、人が助けてあげて協働してもいいんだね!
引用返信/返信 削除キー/
■26486 / inTopicNo.33)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 18:33:45)
    自己レス日記

    >pipitは、まっさらのあるシステムが超越論的主観システムで、実際にカメラなどから個別のデータが流れ集まり出すと、そのデータも含めたものが経験的主観になる感じに考えてみる時もあります。
    データが走り出しても、まっさらのときあったシステムが機能してるゆえに固有値データが流れてる。<

    OSは同じでも
    インストールしてる加工アプリがそれぞれ違う、とかね ( ^ω^ )
引用返信/返信 削除キー/
■26474 / inTopicNo.34)   ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 08:25:25)
    ふくろうさん、おはようございます!

    No26472
    >うん、そうじゃなくて、もっとラフに言うと、心−身体、あるいは意識−脳の関係を、ソフトウェア−ハードウェアの関係に類比しているだけです。
    私は主観あるいは主体をシステムだと思っていて、イメージで言うと、主観システムのベースに当たる本能がOSに相当するかなって感じです。
    まあ、まだ漠然としたイメージに過ぎません。<

    教えてもらってありがとうございます
    (^_^)
    pipitは、まっさらのあるシステムが超越論的主観システムで、実際にカメラなどから個別のデータが流れ集まり出すと、そのデータも含めたものが経験的主観になる感じに考えてみる時もあります。
    データが走り出しても、まっさらのときあったシステムが機能してるゆえに固有値データが流れてる。

    本能がOSかぁ。ニーチェさん思い出しました。生の存続に有利になるために主観システム構築する?
    それともふくろうさんのお考えは別かな?
    気が向いたら教えてくださいね。
    (*^ω^*)

    > なんか、忙しそうなのに、お邪魔しましたm(_ _)m<

    いえ、いろんな方に対話してもらう、って、わたしにはすごく勉強になります。
    いつでも書き込み大歓迎ですよー
    ありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/
■26472 / inTopicNo.35)  Re[30]: ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/09/18(Sun) 07:29:08)
    pipitさん、おはようございます。
    レスをありがとうございます。

    No26460に返信(pipitさんの記事)
    > ザビビのふくろうさん、こんばんは!お久しぶりです、書き込みありがとうございます!
    >
    > ■No26444
    >>少し遡ってレスを見てみたところ、どうも「意識一般」というものについて、今一つしっくりいっていない方が多いように見受けられます。
    >>なので、カントに密着した形ではありませんが、私の理解する限りで、一般的な解説を試みたいと思います。
    >>ということでまずは、引用文からいったん離れて説明します。
    >
    >>私は四角い円を表象できない
    >>
    >>という命題を考えてください。
    >>これは明らかに真な命題ですよね。
    >>問題は、この命題の主張する「四角い円を表象できない」という表象不可能性がいかなる不可能性であるか、ということです。
    >>この不可能性は、例えば、
    >> ふくろうは四角い円を表象できない
    >> pipitは四角い円を表象できない
    >>といった、これら命題を言明する主体(個別意識)の経験的不可能性を表しているのでしょうか。
    >>もちろん、実際に想像できないという意味ではそれも含意するにせよ、だからと言って、想像力の不足etc.による個人的意識の能力的不可能性を意味するものではないでしょう。
    >>
    >>そこで、この事情をよりはっきり捉えるために、主語を、一般的主観を表す変項「S」に換えて表すことにします。
    >>☆ Sは四角い円を表象できない
    >>ここで明らかに言えることは、この「S」に、「ふくろう」「pipit」「うましか」「あなた」「わたし」etc.いかなる名を代入しても、それが有意味である限り、その結果できる命題は真でしかありえないということです。
    >>このことは
    >>※「任意の主観(S)について、四角い円を表象するということは不可能である」ということを意味します。
    >>さらに言い換えると、
    >>※「(それが誰の意識であろうとも)主観(意識)である限り、四角い円を表象することは不可能だ」
    >>すなわち、
    >>※「意識一般において、四角い円を表象するということは不可能である」
    >>ということになります。
    >>留意すべきは、この真理性が、経験的検証を必要とせずに成り立つということです。
    >>つまり、この事実(=意識一般における不可能性)が、私=ふくろうの経験的事実に(権利上)先だって成り立っているわけです。
    >>つまり、意識の一例であるふくろうの意識(個別意識)において四角い円が表象不可能なのは、そもそもふくろうの経験的不可能性に先立って、意識一般においてアプリオリに不可能であるからにほかなりません。逆ではないのです。
    >>ゆえに、意識一般(純粋統覚)とは、この“S”のことである、ということになります。
    >>
    >>この不可能性は、意識をOSに喩えた場合は、この「ソフトの仕様」である、ということになるでしょう。
    >>あるいは少し変えて、ゲーム・ソフト『My Consciousness』にたとえた場合は、ゲームの仕様であり、つまりはそもそもゲームの構成的ルールで、プレイヤー(S)は四角い円を表象できないように定まっている、ということになるでしょう(だから、「アプリオリ」かつ、ルールでできない=権利がない)。
    >>
    >>【まとめ】
    >> ふくろうは四角い円を表象できない
    >>という経験判断に、
    >> Sは四角い円を表象できない
    >>という一般的(超越論的)判断が先立つ。<
    >
    > おぉ、この【まとめ】の表現、pipitにはわかりやすいです。
    >
    >
    >>語弊を恐れず言うと、ふくろうの意識(経験的自我)において表象不可能である以前に、意識一般(純粋自我S)においてアプリオリに不可能である、ということ。
    >>ふくろうの意識において表象不可能なのは、そもそも意識一般において不可能だから。
    >>***************************:
    >>以上で、一応「意識一般」についての解説を終えます。
    >>以下簡単に、上記引用の御子柴先生の記述に戻って述べます。
    >>
    >>ここで御子柴先生が述べている「客観的判断」というのは、ニュートン力学に代表される自然科学的認識や数学的認識のことだと思いますが、これはカントによれば「アプリオリかつ総合的判断」のことですよね?(違っていたらご指摘ください)
    >>一応そうだと仮定して述べますが、カントによれば、このような科学的真理、すなわちアプリオリかつ総合的真理は、アプリオリであるがゆえに経験に先立って成り立つ認識(真理)であり、つまりは先に述べたように、経験的自我、個別意識にのみ成立する認識(真理)ではなく、権利上それに先立って、意識一般(純粋自我)において成立する認識(真理)だということであると思います。
    >>要は、アプリオリな判断とは、超越論的統覚における判断のことでしょう。
    >>
    >>*****************
    >>うましかさんやpipitさんはかなり細かく正確に読んでらっしゃるので、こんなおおざっぱな説明ではあんまり役立たないかもしれませんが、「意識一般」が「ああ、そういうことか」と、とりあえず腑に落ちるための説明として、役立てばうれしいです。
    >>もちろん、間違いがあればご指摘いただきたいと思います。
    >>
    >>>pipitさん
    >>OSに類比するのは私も考えていたんですが、先を越されちゃいました(笑)。上から目線で申し訳ないですが、よく考えられているなと正直ほんとうに感心しました。
    >>ちなみに、意識としての自己(心)と身体(脳)との関係を、ソフト(意思決定システムを含むプログラム)とハードウェアの関係に類比すれば、受動意識仮説の単に観察する自己とはまた違った捉え方が可能だと私は思います。AIって、実際そうなっていきつつあるんじゃないかと。<
    >
    > 意識としての自己(心)が、プログラムを組むことで→脳(ハードウェア)に影響を及ぼして、観察する自己を作成している
    > 、とふくろうさんは考えているということですか?
    > また別のお考えですか?
    >

    うん、そうじゃなくて、もっとラフに言うと、心−身体、あるいは意識−脳の関係を、ソフトウェア−ハードウェアの関係に類比しているだけです。
    私は主観あるいは主体をシステムだと思っていて、イメージで言うと、主観システムのベースに当たる本能がOSに相当するかなって感じです。
    まあ、まだ漠然としたイメージに過ぎません。

    >******************
    >>【付録】デカルト的「我」への適用
    >> 私は「私は今現在存在しない」と考えることはできませんが、この思考不可能性は、私=ふくろうの意識にとってのみ成り立つ不可能性ではなく、任意の私(S)、すなわち、意識一般における不可能性です。<
    >
    > はい。
    >
    >>よって、「私は今現在存在する」はアプリオリに真な判断であり、それゆえこの判断は、経験的主観としての私ではなく、超越論的主観としての私(S)の判断(意識一般における真理)である。(注:それに対して、これがもし「ふくろうは今現在存在する」という意味の主張なら、偽でありうる)。<
    >
    > ちょっとここらへん、カントはややこしそうにpipitは思っています。

    ああ、この付録はふくろうの自身の思いつきです。


    >
    >>以上です。
    >>何等かの参考になれば幸いです。<
    >
    > わかりやすく説明してくださり、ありがとうございます。
    > とてもありがたいです(o^^o)♪

    なんか、忙しそうなのに、お邪魔しましたm(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■26471 / inTopicNo.36)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 00:29:08)
    pipitはまだカント哲学の道徳についてまだ全然勉強してないから
    m(_ _)m

    ずっと手前の純粋理性批判のはじめらへんから進めてないよ(ー ー;)

    会話つきあってくれて、ありがとです。

    おやすみー( ^ω^ )☆彡
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:101) → [トピックの新規作成]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -