| 脳ちゃんは、実は『私』ではないと思う。 脳ちゃんだけは機能と制御であり、実に素直な存在であると思う。 脳の中のホムンクルスは私、私の心は私と言ってもいいんだが… 脳は制御の方が強くないといけないと感じる。
会話は、風呂敷の開閉であり、情報交換のようなものである。 ただ、風呂敷を閉じる行為は、環境要因よりも内因的なもんだと思う。 風呂敷を広げたとしても、中身の全てを把握されていると限らず、 黙りこくる方が、私からみると危険と感じる。 風呂敷の中に入っているものは、自分しかわからないので、 何が正しいのか?とか、正義に執着する可能性はある。 歳をとるとより一層、頑固になるのはそのためか?
言葉のナイフは、体に突き刺さる前に、真剣白刃取りで取って【1時対処】し、 あとから自分から体に突き刺す→【2時対処】 結局、会話とは、成立しているのに、成立していないものと感じる。
相手と同じ量の文章+αを話せばいいだけ。振り子の原理。
あと感じるのはテーブル。 AさんとBさんは話をしていたそのテーブルに 『 お邪魔する 』とCさんが入ってきた。これは許される。 しかし、何も言わずDさんがテーブルに座りだしたら、それは要注意だわな。
流暢に話す人とぎこちなく話す人ならば、ぎこちなく話す人に信頼がおける。
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