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■26483 / inTopicNo.61)   Gegenstanden an sich の ウンベカントA
  
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 17:57:00)
    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳では
    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap23

    『What may be the nature of objects considered as things in themselves and without reference to the receptivity of our sensibility is quite unknown to us.
    We know nothing more than our mode of perceiving them, which is peculiar to us, and which, though not of necessity pertaining to every animated being, is so to the whole human race. With this alone we have to do. 』

引用返信/返信 削除キー/
■26482 / inTopicNo.62)  Gegenstanden an sich の ウンベカント@
□投稿者/ pipit -(2022/09/18(Sun) 17:56:02)
    うましかさん、こんにちは!

    中山元先生訳『純粋理性批判1』p118、純理ではB60あたり?に、
    感覚能力(カント的には受容的能力)による『知る』対象についての記述箇所を見つけました。
    原文はDing an sich selbst ではなく、おそらくGegenstanden an sich(この箇所では感性的直観に現れる対象自体みたいな意味??)がunbekannt(未知、不明)、みたいな感じに思いました。(ドイツ語わからないー( ; ; ))
    まとめて投稿すると、アクセス禁止になるので細切りで投稿しますm(__)m

    中山先生日訳の引用開始
    『対象そのものがどのようなものであるか、またそれがわたしたちの感性のこれらすべての受容性と切り離された場合にどのような状態でありうるかについては、わたしたちはまったく知ることがない。
    わたしたちが知っているのは、わたしたちにそなわった対象を知覚する方法だけであり、これはわたしたち人間に固有のものである。
    これがすべての人間に共通するものだとしても、必ずしもすべての存在者に共通のものだとはかぎらない。ここで考察しているのは、このわたしたち人間に固有の知覚方法だけなのである。』
    引用終了

引用返信/返信 削除キー/
■26479 / inTopicNo.63)  Ding an sich selbst 調査中(´-`).。oO
□投稿者/ うましか -(2022/09/18(Sun) 15:30:48)
    No.26459

    >このように経験世界(時間空間的世界)の現象性(観念性)を説くカントは、現象の背後に物自体が実在することをも認めたが、このような物自体はわれわれには知りえないとする不可知論の立場に立って認識を現象界に限定した。

    (『現象学事典』、p.80「観念論/実在論」の項より引用)

    実際、カントは『純理』で「不可知」という表現をしているのか、しているとしたらドイツ語原典では何という言葉を使用しているのかな?気になるところです。

    *******

    『岩波哲学・思想事典』、p.1366に「不可知論」(大森正樹による解説)がありますね。不可知論とは、agnosticism[英]。解説によれば、この言葉をはじめて使用したのはT.H.ハクスリー(1869年)とのことで、「一般に人間が認識できるのは経験に基づいた事実だけであって、経験を超える究極の実在、絶対者、無限なる者、神といったものは認識することはできないとする立場」。

    カント『純粋理性批判』(1781年初版,1786年第二版)に目をむけると、Ding an sich selbstは、"nicht erkennen"という表現がみられました。不可知(知ることができない)の「知る」が、カントにおける「認識する」にあたるとみなすならば、カント『純理』が不可知論的な立場だと解釈することも可能だとおもいました。

    ただし私としては、くり返しになりますが、「… われわれはまさに同一の対象を物それ自体として、たとえ"認識erkennen"できなくとも、少なくとも"考えるdenken"ことはできなければならないということである。なぜなら、そうでないとすれば、そのことから、現象となる元がないのに現象がある、という不合理な命題が帰結してしまうからである。」(『純理』第二版序文、No.26352 )というカントの言葉には引き続き注意していきたいとおもいます。


引用返信/返信 削除キー/
■26459 / inTopicNo.64)  パニチェさんへ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/09/17(Sat) 20:09:34)
    こんばんはー

    No.26443(パニチェさん)

    >それぞれの生を生き、それぞれの死を逝く。

    >それを看取る家族と犬。

    >よい番組でした。



    >教えてもらい感謝です。ありがとう!

    *******

    こちらこそ、ご感想を、ありがとうございました!

    べつに人間やめたいわけじゃないけど、

    人間って自分も含めてめんどうくさいなあと時々おもうことがあります。

    じつは「みとりいぬ」の「看取り」に感動したわけではないのです。力の尽きかけた老人は犬に舐められ力なく喚いて嫌がってましたし、死に逝く傍らで寄り添っていたわけでもない。けっしてドラマや映画のような「看取り」ではなかったのです。

    では、何に惹かれたのか。いまおもうと、

    寿命の尽きかけた老婆の居室の外で犬がよこたわりジッとしている様をみて、ああ、いま救われているのは自分なんだなーと、振り返って言語化するとそんな感じかもしれません。

    居室でよこたわる老婆と、居室の外でよこたわる犬を、都合よく結びつけている私。

    結びつけられる両出来事の、そもそもの隔絶こそが、私の感情を触発させたのかもしれません(´-`).。oO 

    (まあドキュメンタリー映像作家の手の平で感性を転がされたともいえますね(;´・ω・))





    スミマセンm(__)m

    でも、この番組のことで声をかけていただけて感謝です。




引用返信/返信 削除キー/
■26443 / inTopicNo.65)  Re[8]: みとりいぬ(´-`).。oO
□投稿者/ パニチェ -(2022/09/16(Fri) 21:13:23)
    No26231に返信(うましかさんの記事)
    > 2022/09/11(Sun) 06:38:28 編集(投稿者)
    >
    > ◇“看取り犬(みとりいぬ)”とワンダフルライフ
    >
    > https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/G9Y5364PZ2/
    >
    > >不思議な犬がいる。名前は、文福。神奈川県にある特別養護老人ホームで暮らしている。文福はお年寄りに死期が迫ると、顔をなめたり、体をこすりつけたりする。施設ではその姿から文福を“看取り犬(みとりいぬ)”と呼ぶ。実は施設に暮らす犬は文福だけでない。ここでは愛犬を連れて入所が可能。長い人生を生きてきたお年寄りたちに、そっと寄り添う。
    >
    > *******
    >
    > 死に逝く老人がいる。
    >
    > その部屋の外で、犬がよこたわりジッとしている。
    >
    > 犬の目、物言わぬ口元をみて、私はふとおもいだす
    >
    > >「なぜ一体、存在者があるのか、そしてむしろ無があるのではないか?」(*1)
    >
    > 私にとっての「無」とは、さしあたり、不在を意味するのかもしれない。
    >
    > *******


    「“看取り犬”とワンダフルライフ」

    それぞれの生を生き、それぞれの死を逝く。

    それを看取る家族と犬。

    よい番組でした。



    教えてもらい感謝です。ありがとう!
引用返信/返信 削除キー/
■26431 / inTopicNo.66)   Ding an sich selbst 調査中(´-`).。oO
□投稿者/ うましか -(2022/09/16(Fri) 07:13:53)
    2022/09/16(Fri) 19:07:24 編集(投稿者)
    2022/09/16(Fri) 07:46:26 編集(投稿者)

    No.26426

    おくたがわさん、おはようございます!(`・ω・´)ゞ

    私の拙い考察につきあってくださってありがとうございますm(__)m

    私もWikipediaは参照しますが情報としてそれほど信頼しているわけではありません。
    参考文献とか註とかみないと…

    また『現象学事典』は私も持っていますが、単純に考えて「現象学」研究を専門する立場からのカント『純理』理解・解釈の可能性があります。誰による解説か、何ページの何という項目に書いてあるか等、調べなくては…

    【追記】

    ・『現象学事典』(弘文堂)、p.80、「観念論/実在論」の項、須田 朗による解説ですね。須田 朗の研究者情報については、

    https://researchmap.jp/read0086248/?lang=japanese

    ・『カント事典(縮刷版)』(弘文堂)には「物自体」p.507〜510で牧野英二による解説がありました。G.プラウスによる、批判期諸著作の「物自体」の用法のほぼ9割が"Ding an sich"ではなく、"Ding an sich selbst"の形態をとるという件は同感。


    *******

    >カントは、現象の背後に物自体が実存することをも認めたが、このような物自体はわれわれには知りえないとする不可知論の立場

    実際、カントは『純理』で「不可知」という表現をしているのか、しているとしたらドイツ語原典では何という言葉を使用しているのかな?気になるところです。

    【追記】

    ・自分の紹介した論文もふくめ、改めて調査してみると「物自体は不可知(的)」と書いている人は多いのだなとおもいました。もしかしてカント自身がそう書いているのかな〜(;゚Д゚)

    >いかなる証拠もないが、実存することを認めた。
    >やっぱり、観察・観測-事実という面では不可知なので存在する証拠はない。がカントの構築した認識論からは存在しなければならない(要請される)
    ということだろうなと。

    上の認められた「実存」というのは要請された存在ということなのでしょうか?これはカント『純理』の立場なのか、それとも或る立場からの解釈なのか?
    まだ調査していませんし、私にはよく分かりません(;´・ω・)?

    私が確認できたのは、カントが「… われわれはまさに同一の対象を物それ自体として、たとえ"認識"できなくとも、少なくとも"考える"ことはできなければならないということである。なぜなら、そうでないとすれば、そのことから、現象となる元がないのに現象がある、という不合理な命題が帰結してしまうからである。」(『純理』第二版序文、No.26352 )と述べていることに過ぎませんので(;´・ω・)



    (;´・ω・)朝から沼浴び
引用返信/返信 削除キー/
■26426 / inTopicNo.67)  Re[18]: Ding an sich selbst 調査中
□投稿者/ おくたがわ -(2022/09/15(Thu) 23:43:26)
    No26401に返信(うましかさんの記事)
    こんばんは。
    先日の不可知なのになぜ存在すると言えるかの件ですが
    悪魔ちゃんのところを見てたら
    wiki
    『物自体は認識する方法はなく、存在するにあたって、我々の主観には依存しない。またそれが因果律に従うこともない。しかしカントに拠れば、物自体の世界が存在するといういかなる証拠もない。』
    「現象学事典」
    『カントは、現象の背後に物自体が実存することをも認めたが、このような物自体はわれわれには知りえないとする不可知論の立場』

    いかなる証拠もないが、実存することを認めた。

    やっぱり、観察・観測-事実という面では不可知なので存在する証拠はない。がカントの構築した認識論からは存在しなければならない(要請される)
    ということだろうなと。


    > *******
    >
    > 続けてカント曰く〔同書、p.32〜p.33参照〕
    >
    > >「意志は自由であり、同時にしかし自然の必然性に服し、自由ではない」
    >
    > ・Ding − an sich selbst− とは、なにを目的として論じられているのか?
    >
    > ・カントの「批判」による、経験の対象としての(因果性の原則に支配される)物と、物それ自体としての物との区別
    >
    > ・物を「同一の意味」でとるか、「二つの意味」(「批判」)でとるか。
    >
    > *******
    >
    > ・Ding (物)… erkennenできないが、denkenだけはできる対象、例えば?、「(私の)魂」「自由」も。
    >
    >
    > 【追記】
    >
    > この内容、以前から気になっていた、おくたがわさんの過去投稿がヒントとなっています。今、検索してやっとみつけた!
    >
    > ありがとうございます!(/・ω・)/
    >
    > No.17980 (おくたがわさん)
    >
    > >外の世界の物と同様に「自分自身、或いは自分の内的状態」も、それそのものを人は知ることができない。つまりそれらも物自体の世界でどのようであるのかは分からない。
    > これが、因果律と自由意志が両立するとカントが考える根拠であることを純理のどこかに書いてましたね、たぶん。
    > 因果律は人間の悟性が(たぶん純粋悟性概念が)現象なり経験なりに与えるもの、一方、物自体の側の人間の内面にはそもそも因果律はないので自由意志が成立し得る、と。<

    「物自体の側の人間の内面」というのは、今の自分は違う書き方をすることになると思いますが(詰めて考えないと、今すぐには書けませんが)
    とりあえず、あっちに因果律がないゆえに自由意志は成立しうるというカントの言は読んだ記憶が…

引用返信/返信 削除キー/
■26401 / inTopicNo.68)  Ding an sich selbst 調査中(;´・ω・)2
□投稿者/ うましか -(2022/09/15(Thu) 02:44:55)
    2022/09/15(Thu) 08:06:35 編集(投稿者)

    No.26352

    >それはすなわち、われわれはまさに同一の対象を物それ自体として、たとえ"認識"できなくとも、少なくとも"考える"ことはできなければならないということである*。

    >なぜなら、そうでないとすれば、そのことから、現象となる元がないのに現象がある、という不合理な命題が帰結してしまうからである。

    〔カント『純粋理性批判』、石川文康訳(上)、p.31〜p.32〕


    *******

    続けてカント曰く〔同書、p.32〜p.33参照〕

    >「意志は自由であり、同時にしかし自然の必然性に服し、自由ではない」

    ・Ding − an sich selbst− とは、なにを目的として論じられているのか?

    ・カントの「批判」による、経験の対象としての(因果性の原則に支配される)物と、物それ自体としての物との区別

    ・物を「同一の意味」でとるか、「二つの意味」(「批判」)でとるか。

    *******

    ・Ding (物)… erkennenできないが、denkenだけはできる対象、例えば?、「(私の)魂」「自由」も。


    【追記】

    この内容、以前から気になっていた、おくたがわさんの過去投稿がヒントとなっています。今、検索してやっとみつけた!

    ありがとうございます!(/・ω・)/

    No.17980 (おくたがわさん)

    >外の世界の物と同様に「自分自身、或いは自分の内的状態」も、それそのものを人は知ることができない。つまりそれらも物自体の世界でどのようであるのかは分からない。
    これが、因果律と自由意志が両立するとカントが考える根拠であることを純理のどこかに書いてましたね、たぶん。
    因果律は人間の悟性が(たぶん純粋悟性概念が)現象なり経験なりに与えるもの、一方、物自体の側の人間の内面にはそもそも因果律はないので自由意志が成立し得る、と。<





引用返信/返信 削除キー/
■26352 / inTopicNo.69)  Ding an sich selbst 調査中(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/09/13(Tue) 23:44:20)
    2022/09/13(Tue) 23:50:58 編集(投稿者)

    みずから選んだとはいえ、手持ちの訳文では読みやすいとはいえない原佑訳からいったんはなれ、石川文康訳と独文をにらめっこしながら、Ding an sich selbst(物それ自体)について調査中。

    *******

    ・Ding an sich selbstが『純理』にはじめて登場するのは第二版序文。理性の仕事のひとつである「認識」を改善する作業が学問として確かな歩みを踏んでいるか、論理学、数学・物理学、自然科学と論じ、形而上学へといたる。

    ・カントは形而上学という思弁的認識についてそれを学問とする確かな道を見出すために、数学と自然科学において変革された思考法と類比することをすすめる。すなわち、観測者と星との関係についてのコペル二クスの想定と説明を、直観と対象の関係に類比するのだ。

    (石川文康訳(上)、p.22〜p.24参照)


    (-ω-;)ウーン コレめんどくさいなあ。。。


    *******

    ◇うましかメモ(;´・ω・)

    >時間と空間は感性的直観の形式にすぎず、したがって現象としての物が実際に存在するための条件にすぎない。

    >われわれは、対応する直観が与えられうるかぎりでしか知性概念をもちあわせていない。したがって、それを超えて物を認識するどのようなエレメントをももちあわせていない。

    >それゆえ、われわれは物それ自体としての対象に関しては認識を得ることができず、対象が感性的直観の客体であるかぎりでのみ、すなわち現象としての対象に関してのみ、認識を得ることができるのである。

    >これらのことは、批判の分析的部分で証明される。そのことから、もちろん、理性の一切の単に可能な思弁的認識を、単なる経験の対象に制限することが帰結される。

    >それにもかかわらず、− 注意しておかなければならないのだが − その際、次のことは依然として留保される。

    >それはすなわち、われわれはまさに同一の対象を物それ自体として、たとえ"認識"できなくとも、少なくとも"考える"ことはできなければならないということである*。

    >なぜなら、そうでないとすれば、そのことから、現象となる元がないのに現象がある、という不合理な命題が帰結してしまうからである。

    (同、p.31〜p.32)

    *******

    ・物それ自体は、現象としての対象とことなり、認識はできない〔nicht erkennen〕が、少なくとも、その現象となる元として、考えることができねばならない〔muessen denken koennen〕。

    ・以上のカントの言は、はたして物それ自体を「不可知」だと言っているのだろうか?・・・・


    ------------- 沼に沈む夜
    (´-`).。oO




引用返信/返信 削除キー/
■26349 / inTopicNo.70)  おくたがわさんへ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/09/13(Tue) 20:12:09)
    こんばんはー(・ω・)ノ

    No.26338

    >長文や個人的な考えの投稿がご迷惑かもと思い、関連の話題ですが別トピに移動しました。

    「迷惑」だなんて、全くないですよー(;´・ω・)

    おくたがわさん、トピック立てられたんですね! (・∀・)
    おくたがわさんの「個人的な考え」のご投稿、読むの楽しみです。


    >事後報告ですみません。

    気にされなくても大丈夫ですよ!
    むしろ教えてくださってありがとうございます。

    >論文の紹介やヒントになるコメントを、いつもありがとうございます。

    こちらこそ、おくたがわさんの論考にはいつもお世話になっています(・∀・)
    ありがとうございますm(__)m



    いまや学術論文や専門的な情報がその辺の石ころのようにコロコロ転がっている時代です。

    暇つぶしにはもってこいですよね(;・∀・)沼潜り




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■26338 / inTopicNo.71)  Re[14]: うましかさんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2022/09/13(Tue) 13:39:57)
    こんにちは。
    長文や個人的な考えの投稿がご迷惑かもと思い、関連の話題ですが別トピに移動しました。事後報告ですみません。
    論文の紹介やヒントになるコメントを、いつもありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■26319 / inTopicNo.72)  おくたがわさんへ(;´・ω・)2
□投稿者/ うましか -(2022/09/12(Mon) 21:50:22)
    No.26316

    >何かによる触発で感性が表象をもたらしていると考えるならば、その何かの存在を仮定せざるを得ない。あるいはその存在が要請される。という見なしならば、不可知であるということと矛盾はしないのかも。

    (゜-゜)ウーン

    仮定されたもの、要請されたもの、不可知であるもの…

    前二者は、かろうじて私にもわかります。でも、誰もが全く知ることのできないものについて、少なくとも私は何も語ることはできません。

    カントははたして自身が全く知ることのできないものについて語っているのでしょうか?

    それとも、自身が全く知ることのできないものの存在を仮定して語っているのでしょうか? 或る種の神学のように。



    ああでも、スルーしてください(´-`).。oO



    あまりに沼(;´・ω・)


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