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■26340 / inTopicNo.61)  Re[11]: 月の存在
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/09/13(Tue) 18:26:36)
    つれづれに、ふと、ね

    「人が見ていない時、月は存在するのか」なんだけど、

    これって、
    No26276の、「実在論/観念論」に関連するかも、によると、
    〔事物が意識から独立してそれ自体で実存する〕のが「実在主義」
    〔外界の事物は意識の現象や所産だと主張する〕のが「観念主義」
    っていうことみたいだし。

    「外界の事物」と「人(私)」が、〈見ること〉によってつなげらてる感じ。

    ほら、
    メルポンの[哲学的問いかけ]――「〈ある〉というのはどういうことか」
    っていうことなんじゃないかしら? ってね。

引用返信/返信 削除キー/
■26305 / inTopicNo.62)  Re[10]: 哲学ってなあに?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/09/12(Mon) 18:55:52)
    ■26283、おくったがわさん、ありがとございま〜す。

    科学的あること、わたしこれレヴィが言ってように
    「科学は必然と偶然を区別することから始まった」ということから、
    科学であること、は
    「必然性」を見つけだすこと、ってしてる。
    逆に科学は考えられたものは必然でなくちゃダメ、ってなるんだと思う。

    「形式」っていうの、わたし〈オートマチック〉って見てて、これって〈必然なもの〉なんだとも見てる。あ、こういうのは、ま、いいかな。


    「男なんてバカよ!」

    論理学者はこの主張、どう見るのかしらね?
    もっともここには論理学者は来ないからどうでもいいことなんだけど。
引用返信/返信 削除キー/
■26283 / inTopicNo.63)  Re[9]: 哲学ってなあに?
□投稿者/ おくたがわ -(2022/09/12(Mon) 07:28:48)
    2022/09/12(Mon) 08:49:19 編集(投稿者)

    No26134に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    おはようございます。返事遅くなってごめん。

    > わたしのばあい、「論理学」を「科学」って見てるんだけど、そこんとこ書いて見るね。
    >
    > わたし日本語で考えてて、わたしの「科学」の意味は〈科に分けて学ぶ〉ってしてる。素朴に見たまんま。
    >
    > >論理学:論証の方法の追求<
    > ってあったよね。
    >
    > 「論証」と「論理学」について、ネットで調べたら、
    > ・・・・・・・・・
    > 【論証】reasoning
    > 思考を働かせ,判断とその論拠を結ぶ推理の過程を命題の連鎖によって示したものをいう。普通,論拠を前提,判断を帰結という。妥当な推理の連鎖が前提と帰結を結ぶとき,その判断は可証であるといい,さらに前提が真であるとき,真であるという。このため,恒真なる命題と妥当な推理の形式が究極的に必要とされるが,現在,恒真なる命題群は唯一でないこと,また推理の形式も唯一ではないことが明らかになっており,普遍的で唯一な論証形式の存在は否定されている。このため,ある公理系と恒真なる命題を出発して,どのくらい論証が簡潔かつ有効に行いうるかという論証力の評価が問題とされる。なお,論証は,証明,立証,定立ともいい,厳密には複雑な構成の有無,命題の連鎖を律する規則の有無によって,推理一般とは区別される。
    >
    > 【論理学】logic
    > 正しい思考過程を経て真の認識に達するために、思考の法則・形式を明らかにする学問。伝統的なものはアリストテレスによって体系化され、スコラ学に受け継がれた形式論理学。現代においては記号と数学的演算を使用して思考をより厳密化しようとする記号論理学が成立。一方、対象を客観的に認識する能力としての思考を取り扱うものにカントの先験的論理学がある。ヘーゲルはこれを弁証法的論理学に発展させた。
    > ・・・・・・・・・・
    > みたい。
    >
    > 「論証」と「論理学」の関係なんだけど、
    > 簡単に見ちゃって、「論証」っていうのは「前提→導出(推理)→結論(帰結)」ってしてる。
    > 「導出(推理)」に当たるのが〔正しい思考過程〕〔思考の法則・形式〕〔妥当な推理の連鎖〕かな。
    >
    > 「論証」は「前提」「導出(推理)」「結論(帰結)」に分けられ、「論理学」はこのなかの「導出(推理)」に限って扱っていているんだとわたし見てる。わたし「論理学」を「導出学」って呼んでる。
    > こう見たとき、「論理学」はやっぱ科学(科に分けて学ぶその一つ)なんじゃないかしら、って。
    >
    > 「導出学(論理学)」では、「前提」にはかかわらないんだと思う。
    > 「前提が真であるとき」が前提となっていて物語が進んでいくのよね。その前提が真であるのかそうでないのかについては関わらないっていう態度なんだとわたし見てる。

    このレスは嬉しい。悪魔ちゃん、分かってるやん! 
    今の話題で説明しとくべきと思いながらサボっていたことを見事に整理してくれて、自分の書くことはなくなりましたが、
    別な言い方を加えておくと、
    論理学は(前提・結論の)内容には関与せず形式だけを扱う、と。カントもそういう表現をしている。
    例えば、論理学で「妥当な論証」というのは
    前提が全て真ならば結論も必ず真となるような形式の論証(=前提が真なのに結論が偽になってしまうことがない形式)
    前提や結論の内容には立ち入らず、現実にそれが正しいのか否かを判断せず、形式のみを扱う。

    *********
    実はこのことが、科学と論理学は異なると私が考える理由なのですが、悪魔ちゃんと私で結論が違うのは、おそらく科学の定義(≒科学であるために必要な条件)が違っているためではないかと。

    > こう見たとき、「論理学」はやっぱ科学(科に分けて学ぶその一つ)なんじゃないかしら、って。

    最初の態度は同じで、観察の対象が外の世界か思考や議論かという違いだけだったのが、論理学が追求の対象を『「導出(推理)」の形式』に絞った時点で(事実を重視する)科学とは異なるものになっていった、のかな。。
    と今考えた(責任は持てません)

    カントが出ているので

    > 一方、対象を客観的に認識する能力としての思考を取り扱うものにカントの先験的論理学がある。

    先験的=(新訳では)超越論的 / 超越論的論理学
    対象の内容(由来等)に踏み込んで追求するので、対象の内容に関わらない通常の論理学ではなく超越論的論理学が要請される、みたいなことが純粋理性批判に書かれていたと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■26276 / inTopicNo.64)   「物自体」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/09/11(Sun) 18:10:53)
    なんか話がとんでるけど、pipitさまのところから〜の。
    カントの「物自体」、「現象学事典」のなかから探したのを書き写して見ます。

    *************
    観念論/実在論 [(独)Idealismus/Rwalismus]                     
    近代以降に生じた認識論上の対立的立場。(中世哲学では、イデアを真の実在とみなすidealism〔イデア主義〕はむしろ、普遍的な類や種の実在を主張するrealism〔実念論〕と結びつき、普遍は名前にすぎないとするnomialism〔唯名論〕と対立した。)事物が意識から独立してそれ自体で実在すると説くのが実在論。これに対して客観や外界が何らかの形で認識主観に依存しており、外界の事物は意識の現象や所産だと主張するのが観念論である。実在論の最も単純な形態は、知覚内容そのものが実在すると考える素朴実在論であって、この場合認識は鏡のように実在を反映するとされる。しかし、感覚のすべてが真に実在するわけでの反省から、知覚内容を主観的な性質(第二性質)と客観的な性質(第一性質)に区別し客観的性質のみが実在それ自体(延長)を反映していると説くロックのような立場が登場した。しかし第一性質と第二性質の区別の不可能性を洞察したバークリーは、「在るということは知覚されてあることだ」とする観念論に向かった。彼の立場は、外界の実在や規定個人的主観・心理的自我に依存すると説く主観的(質料的・経験的)観念論に近いといえよう。これに対してカントは、外的事物(物理的世界)が個別的自我から独立に実在することは認める(経験的実在論)が、経験世界の認識全体が意識一般(論理的主観)や超越論的主観の必然的形式に制約されると考える批判的・超越論的観念論の立場に立つ。このように経験世界(時間空間的世界)の現象性(観念性)を説くカントは、現象の背後に物自体が実存することをも認めたが、このような物自体はわれわれには知りえないとする不可知論の立場に立って認識を現象界に限定した。カントの超越論的観念論は、ドイツ観念論の展開のなかで物自体の克服という形で次第に形而上学的に解されていき、シェリングの客観的観念論やヘーゲルの絶対的観念論が生じた。フッサールの現象学は実在論というよりは、むしろ超越論的観念論の系譜に属する。意識を超えた超越論的存在者を「あり」と断定するいわゆる「自然的態度」を現象学的に還元して、存在者を意識の志向的意味とみなすのが、その方法的出発点のだからである。ただし現象学的観念論は『論理学研究』のフッサールの言葉によれば、「形而上学説を意味するのではなく、イデア的なものを客観的認識一般の可能性の条件として承認し、心理学主義的に解釈し去らない認識論の形式」[LUU/1 108]である。その点では彼の立場は、同時に実念論=イデア(形相)主義に近いといえよう。
    *************

    *************
    主観/客観 [(独)Subjekt/Obuject (仏)subjet/objet]              
    カントに始まる認識論上の対概念。「主観」(subject)という言葉は、ギリシア語のhypokeimenon(下に置かれたもの)のラテン語訳subjectum(下に投げられたもの)からきている。近代以前ではsubjectumは、この原意義通り、さまざまな性質の底にあってそれらを支える〈基体〉という存在論的な意味を(そして、命題中でさまざまな性質によって述語づけされる「主語」という論理的な意味をも)もっていた。このsubjectumは今日の意味とは正反対に、精神や意識から独立に存在する実体、意識の外にそれ自体で存在するものを指しており、今日の〈客観的なもの〉にむしろ近い。これに対して。「客観」の語源であるラテン語のbjectumの原義は、「〜に向かって投げかけられてあること」であって、外的事物が心に対して投げかけられて表象されている状態、つまり今日の意味での「主観的なもの」を意味していた。両者の意味が決定的に逆転するのは、カントにおいてである。近代初期にはまだ、両概念の原義に近い用法が認められる。たとえばデカルトは、realitas objectivaを「観念として表象されているかぎりでの事象内容」という意味で使っている。さらにホッブズやライプニッツは、魂をsubjectumと呼んでいるが、これは感覚をになう基体という程度の意味である。ところがカントのコペルニクス的転回とともに、用語の意味の逆転は決定的となる。すでにデカルトはこの知の絶対確実な基礎を、思惟する自我ののうちに見いだしていた。身体から切り離された純粋な精神としての自我が明晰判明に認識するものだけが、真の意味で世界のうちに存在するものとされていたのである。自我はその理性的な認識によっていわば世界を支えており、その意味で精神や意識があらゆる存在者の根底にある〈基体〉だということになる。こうして認識を行うかぎりでの自我や意識が、subjectの意味を独占する。デカルトの準備したこの認識論的体制を自覚的に完成しSubjekt=主観を述語的に定着させたのがカントである。カントの場合世界を構成し支えているのは、決して個人的経験的な自我ではなく、超越論的な「主観」である。このsubjectumの意味変化同時にobjectumのほうも、この「超越論的主観」によって構成され、そのかぎりで存在を保証されるもの、いわゆる「客観」という意味に変えられる。カントによれば、主観が感覚与件を己れのアプリオリな形式によって、整理し秩序づけることによって、初めて、「客観」が成り立つ。つまり客観は、あくまでも超越論的主観によって前に立てれた対象である。主観に相対的な対象としての「客観」のほかに、カントは、意識から独立で不可知な物自体の存在をも認めているが、ドイツ観念論の哲学者たちは、物自体の存在を否定しいっさいの存在者が形式的にも内容的にも絶対主観によって生み出されると説き、近代主観主義を完成する。いずれにしても近代においては、主観の客観に対する優位は動かしがたい。フッサールは、この対概念から形而上学的背景を取りのぞき、これを意識の志向性と志向対象(意味)に読みかえて、みずからの現象学の方法概念として利用しているが、こうした読みかえには、主観と客観のどちらかを何らかの意味で実体とこれまでの二項対立を乗り越える可能性が秘められている。
    *************

    ここんところ、いろいろなのが浮かんできてるんだけど、長くなるから今日は書き写しだけにしときます。

引用返信/返信 削除キー/
■26206 / inTopicNo.65)  Re[14]: 量子力学の道具主義的発展
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/09/08(Thu) 19:03:50)
    パニさん、floraさん、ありがとございま〜す。
    「フラクタル」、初めて知りました。
    画像は目がしょぼしょぼしてきたけど。

    ネットで調べて見ました。
    ・・・・・・
    「フラクタル(fractal)」というのは、「自己相似性」という特殊な性質を有する幾何学的構造のことをいい、より具体的には「図形の全体をいくつかの部分に分解していった時に全体と同じ形が再現されていく構造」のことをいう。フランス人の数学者ブノワ・マンデルブロ(Benoît B. Mandelbrot)が考案した概念である。フラクタル構造を有する図形が「フラクタル図形」となる。自然は一見すると無秩序なカオス状態のようにみえるが、よく観察すると同じ構造が繰り返されている「フラクタル構造」になっている(ものが多く観察される)と言われている。因みに、「フラクタル(fractal)」は、ラテン語の「フラクタス(fractus)」から作られたマンデルプロの造語であり、英語の「一部・断片・破片」等の意味を有する「フラクション(fraction)」と同じ語源となっている。

    コッホ雪片(Koch snowflake)というのは、コッホ曲線を3つ繋ぎ合わせた正三角形をベースに作られるフラクタル図形である。即ち、以下のようなプロセスを経て作成される。コッホ曲線は無限の長さを持つので、同様にコッホ雪片の周長(周囲の長さ)も無限の長さを持つ。一方で、コッホ雪片の曲線で囲まれた面積は有限に留まる。最初の正三角形の面積を 1 とするとコッホ雪片の面積は 1.6 に収束する。
    ・・・・・・・・・・
    「面積が元の正三角形の1.6倍になることの証明」っていうのもあったけど、はわたしにはさっぱり。

    内に秩序がある、っていうことをいいたいのかな〜って?
    自然にフラクタル構造があって、シダの葉が例に挙げられていた。

    でもね、わたし思ったんだけど、自然ではふつう「成長」っていうのあると思うのね。

    コッホ雪片、
    最初正三角形が書いてあってその次に各辺から尖ったのが出てきて、ここまでは成長って見たんだけど、その先が違うのね。その範囲は変わらす、細かくなっていくだけ。ん〜ん、成長が1.6倍で止まちゃったみたいな?

    「フラクタル」は自然の内秩序にはほど遠い感じ〜。
引用返信/返信 削除キー/
■26201 / inTopicNo.66)  Re[18]: 量子力学の道具主義的発展
□投稿者/ flora -(2022/09/07(Wed) 22:39:33)
    No26175に返信(パニチェさんの記事)
    > 2022/09/06(Tue) 21:15:58 編集(投稿者)

    パニチェさん、こんばんは、色々とありがとうございます!

    >>そういえばそうでしたね、DNAの存在に関しても言及なさっていたのではないでしょうか。
    >
    > そうです。遺伝子や染色体について物質的な構造を物理&化学でもって記述しています。
    > 手元にある岩波文庫版の初版は2008年になってますが、原書の初版は1944年ですから、この分野での業績も凄いですね。

    そうですよね、元々はアイルランドのダブリンにある大学の講演用だったんですよね。原本は英語で書いてありました。(シュレディンガーは英語も堪能だったんでしょうね)

    >>この内臓秩序にイメージ素晴らしいです。どんな小さな部分でも全体を含んでいる・・・
    >>https://www.youtube.com/watch?v=LGFGKAsIMjQ
    >
    > 素晴らしい!上記はフラクタル構造ですね。

    はい。フラクタル構造です^^

    > D・ボームの内蔵秩序は「ホログラフィック・パラダイム」とも呼ばれており、ホログラフィ的な一即一切一切即一だと思われます。
    >
    >>そうでしたね。分断を嫌い全体を語るボームは、因果律と非因果律の融合を図りたかったのでしょうね。この理論、のちの物理学者によって展開をみせたのででしょうか?(記憶にないので^^;)
    >
    > 以下は私の独断と偏見からのレスですから話半分以下に読んで下さい。
    >
    > 観測問題関連の解釈理論はあくまでも運動が波動方程式(特定の局所的な位置を持たず空間に広がる波としての運動方程式)として記述されるにもかかわらず、観測した時には特定の位置をもつ粒子として発見されることについて(波束の収縮:波束が収縮している、あるいは収縮していないところは原理的には観測できない)どのように解釈するかの仮設です。
    >
    > どの仮説が正しいのかを検証する術が私たちにはない、さらに数理物理学と哲学(科学哲学)を横断するテーマであって実用面は皆無で金にならない研究ということもあり、現代物理学では必然的になおざりになっていると思います。
    >
    > 批判的に言えば量子力学などの最先端物理は実用を重んじる道具主義を土台として発展していると言えるかもしれません。

    どうもありがとうございます。

    観測問題はまだ未解決だとは思いますが、ただ量子としての性質(量子のもつれ等)を利用して、量子鍵や量子コンピューターがありますよね。 

    私にはまったく分かりませんが、これからも量子の性質を利用した道具が結構出てくるような気がします。

    今回はどうもありがとうございました。 引き続きよろしくおねがいします〜^^

引用返信/返信 削除キー/
■26199 / inTopicNo.67)  Re[13]: 文化的存在
□投稿者/ 田秋 -(2022/09/07(Wed) 20:52:51)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    >「音楽」を「音学」にするほど味気ないものないのかも?
    音学はないけど、「音楽学」はあるよ。音楽理論とか音楽史とか民俗音楽とか研究する分野。

    古い所ではピタゴラスの音の高さと弦の長さとの関係の研究。弦を弾(はじ)いたり弓で擦ったりすると音が出るでしょ。
    弦の長さが1/2になると音の高さは1オクターブ上がる(ドとその次に高いド)、2/3になると5度上(ドとソ)、3/4になると4度上(ドとファ)など。

    民俗音楽って面白い。音楽の起源と関係してくる。常識的には物事って単純なものから複雑化してくるって思うでしょ?だから昔の音楽は単純って思ったら大間違い。複雑怪奇なリズムが存在したりします。

    ウィキペディアの「音楽学」見ると《音楽の哲学》ってなってる。
    確かに「音楽とは何ぞや?」って尋ねられるとすぐには答えられない。。。
引用返信/返信 削除キー/
■26175 / inTopicNo.68)  量子力学の道具主義的発展
□投稿者/ パニチェ -(2022/09/06(Tue) 20:33:56)
    2022/09/06(Tue) 21:15:58 編集(投稿者)

    こんばんは、おはようございます、フローラさん。レスありがとうございます。

    No26159に返信(floraさんの記事)

    > そういえばそうでしたね、DNAの存在に関しても言及なさっていたのではないでしょうか。

    そうです。遺伝子や染色体について物質的な構造を物理&化学でもって記述しています。
    手元にある岩波文庫版の初版は2008年になってますが、原書の初版は1944年ですから、この分野での業績も凄いですね。

    > この内臓秩序にイメージ素晴らしいです。どんな小さな部分でも全体を含んでいる・・・
    > https://www.youtube.com/watch?v=LGFGKAsIMjQ

    素晴らしい!上記はフラクタル構造ですね。
    D・ボームの内蔵秩序は「ホログラフィック・パラダイム」とも呼ばれており、ホログラフィ的な一即一切一切即一だと思われます。

    > そうでしたね。分断を嫌い全体を語るボームは、因果律と非因果律の融合を図りたかったのでしょうね。この理論、のちの物理学者によって展開をみせたのででしょうか?(記憶にないので^^;)

    以下は私の独断と偏見からのレスですから話半分以下に読んで下さい。

    観測問題関連の解釈理論はあくまでも運動が波動方程式(特定の局所的な位置を持たず空間に広がる波としての運動方程式)として記述されるにもかかわらず、観測した時には特定の位置をもつ粒子として発見されることについて(波束の収縮:波束が収縮している、あるいは収縮していないところは原理的には観測できない)どのように解釈するかの仮設です。

    どの仮説が正しいのかを検証する術が私たちにはない、さらに数理物理学と哲学(科学哲学)を横断するテーマであって実用面は皆無で金にならない研究ということもあり、現代物理学では必然的になおざりになっていると思います。

    批判的に言えば量子力学などの最先端物理は実用を重んじる道具主義を土台として発展していると言えるかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■26168 / inTopicNo.69)  Re[12]: 文化的存在
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/09/06(Tue) 18:07:04)
    科学や哲学っていう「学」、文化的存在(人間が作り出したもの)よね。
    芸術?ん〜、たとえば絵画や音楽みたいなの。
    これも文化的存在にかわりないよね。

    「音楽」を「音学」にするほど味気ないものないのかも?
引用返信/返信 削除キー/
■26159 / inTopicNo.70)  Re[16]: 量子力学と華厳的世界観
□投稿者/ flora -(2022/09/06(Tue) 00:19:58)
    パ二さん、こんにちは。こちらこそレスありがとうございます。

    >>>そそ。量子力学が描く世界観って、見るものと見られるものが不分離で現象学的な世界観や仏教の唯識思想に相通ずるところがある。
    >>>プラトニズムなどの伝統的な西洋哲学よりも現象学や東洋哲学に近い。
    >>>ちなみに量子力学の育ての親でもあるニースル・ボーアも東洋哲学に類似性を見出していたらしい。
    >>>参照:Wikipedia ニールス・ボーア 個人的関心

    >>>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2

    >> 同じく量子物理学者のシュレディンガーはショーペンハウエルの影響でウパニシャッド哲学のアドヴァイタ・ヴェーダーンタに興味を持たれておりましたし、同様に量子学者のデヴィッド・ボームもクリシュナムルティと親しく、何度も対談をしておりましたね。

    >> 愚さんが訳された『時間の終焉』
    >>https://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AE%E7%B5%82%E7%84%89%E2%80%95J-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E9%9B%86-J-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3/dp/4434153951

    >仰る通りですね。シュレディンガーはさらに分子生物学の生みの親となった名著「生命とは何か」を発刊しているので驚かされます。

    そういえばそうでしたね、DNAの存在に関しても言及なさっていたのではないでしょうか。

    >愚さん訳『時間の終焉』は購入し読みました。面白かったです。
    >もともとD・ボームは「全体性と内蔵秩序」という著書をネットの友人から薦められて読んだのがファーストコンタクトでした。
    もの凄く刺激的な内容で、私が読んだ量子力学関連の教養書のなかで最も興味をそそられるテーマでした。

    私も『時間の終焉』を読み、クリシュナムルティを知ることが出来ました。 また『全体性と内蔵秩序』も読みましたが、私的には難しかったです^^;

    この内臓秩序にイメージ素晴らしいです。どんな小さな部分でも全体を含んでいる・・・

    https://www.youtube.com/watch?v=LGFGKAsIMjQ

    >D・ボームはボーアを筆頭としたコペンハーゲン学派に対抗し、アインシュタインよりの素朴実在論的世界観を維持したまま観測問題の解釈に挑みました。隠れた変数がプランク距離以下に畳みこまれている(この読解はちょっと自信がありません)という画期的な発想で展開され、全体性と内蔵秩序が描く世界観は華厳宗の一即一切一切即一と類似します。

    >以下のサイトは全てを理解するだけの知識が私にはありませんが同様の解釈をしているようです。
    http:
    //kishi123.server-shared.com/
    華厳構造を詳しく見てみる

    ゆっくり拝見いたしますね。

    >> パ二さんが先に書かれた

    >> >ところが量子力学の登場で私たちの意識が介在しないモノや現象については物理の対象としない、言い換えれば観測結果のみを科学の俎上に載せるべきであり、それ以外のこと、例えば人間の主観を離れて独立に存在し変化する現象の根底をなす永遠に真なるものは俎上に載せるべきではないとする実証主義が主流となりました。

    >> ノーベル物理学賞も実験で実証されない限り与えられませんよね。 『観察問題』、重ね合わせの確率等、ふたを開けてみなければわからない事象は、物理の対象としないということ、わかるような気がします。

    >これに反発しているのが隠れた変数理論を発展させたD・ボームのボーム解釈ですね。

    そうでしたね。分断を嫌い全体を語るボームは、因果律と非因果律の融合を図りたかったのでしょうね。この理論、のちの物理学者によって展開をみせたのででしょうか?(記憶にないので^^;)

引用返信/返信 削除キー/
■26147 / inTopicNo.71)  NO TITLE
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/09/05(Mon) 20:37:31)
    悪魔ちゃんのおかげで、哲学が何なのか?、ぼんやり見えてきたわ。
    おそらく、このニークラで一番乗りだわ。
引用返信/返信 削除キー/
■26146 / inTopicNo.72)  量子力学と華厳的世界観
□投稿者/ パニチェ -(2022/09/05(Mon) 20:36:36)
    2022/09/05(Mon) 20:42:22 編集(投稿者)

    こんばんは、おはようございます、フローラさん。レスありがとうございます。

    No26105に返信(floraさんの記事)

    >>そそ。量子力学が描く世界観って、見るものと見られるものが不分離で現象学的な世界観や仏教の唯識思想に相通ずるところがある。
    >>プラトニズムなどの伝統的な西洋哲学よりも現象学や東洋哲学に近い。
    >>ちなみに量子力学の育ての親でもあるニースル・ボーアも東洋哲学に類似性を見出していたらしい。

    >>参照:Wikipedia ニールス・ボーア 個人的関心
    >>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2

    > 同じく量子物理学者のシュレディンガーはショーペンハウエルの影響でウパニシャッド哲学のアドヴァイタ・ヴェーダーンタに興味を持たれておりましたし、同様に量子学者のデヴィッド・ボームもクリシュナムルティと親しく、何度も対談をしておりましたね。

    > 愚さんが訳された『時間の終焉』

    > https://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AE%E7%B5%82%E7%84%89%E2%80%95J-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E9%9B%86-J-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3/dp/4434153951

    仰る通りですね。シュレディンガーはさらに分子生物学の生みの親となった名著「生命とは何か」を発刊しているので驚かされます。

    愚さん訳『時間の終焉』は購入し読みました。面白かったです。
    もともとD・ボームは「全体性と内蔵秩序」という著書をネットの友人から薦められて読んだのがファーストコンタクトでした。
    もの凄く刺激的な内容で、私が読んだ量子力学関連の教養書のなかで最も興味をそそられるテーマでした。

    D・ボームはボーアを筆頭としたコペンハーゲン学派に対抗し、アインシュタインよりの素朴実在論的世界観を維持したまま観測問題の解釈に挑みました。隠れた変数がプランク距離以下に畳みこまれている(この読解はちょっと自信がありません)という画期的な発想で展開され、全体性と内蔵秩序が描く世界観は華厳宗の一即一切一切即一と類似します。

    以下のサイトは全てを理解するだけの知識が私にはありませんが同様の解釈をしているようです。
    http:
    //kishi123.server-shared.com/
    華厳構造を詳しく見てみる


    > パ二さんが先に書かれた
    > >ところが量子力学の登場で私たちの意識が介在しないモノや現象については物理の対象としない、言い換えれば観測結果のみを科学の俎上に載せるべきであり、それ以外のこと、例えば人間の主観を離れて独立に存在し変化する現象の根底をなす永遠に真なるものは俎上に載せるべきではないとする実証主義が主流となりました。

    > ノーベル物理学賞も実験で実証されない限り与えられませんよね。 『観察問題』、重ね合わせの確率等、ふたを開けてみなければわからない事象は、物理の対象としないということ、わかるような気がします。

    これに反発しているのが隠れた変数理論を発展させたD・ボームのボーム解釈ですね。

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