| 2022/09/01(Thu) 06:36:17 編集(投稿者)
小牧治先生はじめいろいろ引用ありがとう!
小牧先生の見方も一つとして、また別の見方をしてる人の文章も引用しておくね。
石川輝吉さんという方の『カント 信じるための哲学「わたし」から「世界」を考える』序章p10.11より抜粋引用
『カントの哲学上の功績は、まず、人間の認識能力の限界を定めた点にある。 人間はすべてを知ることができない。絶対的な真理を把握するのは不可能なのだ。このことを、どんな哲学者もかなわないほど徹底的に証明した哲学者がカントだった。わたしたちはこの点について、「純粋理性のアンチノミー」というカントの方法と共に詳しく見るだろう。 だが、それだけではない。絶対的な真理は不可能になった。それだけでは終わらないところにカントのすごいところがある。カントが進んだその先の道はつぎのようなものだ。 絶対的な真理といったものを認識することは不可能だ。だが、にもかかわらず、わたしたち一人ひとりの主観のなかに、それまで真理と呼ばれていたことの根拠がある。 たとえば、事物の真理。わたしたちは事物そのものを絶対的に認識することはできない。なんとなれば、この目の前に事物があることさえ疑ってみることができる。だが、だからといって、わたしたちはいま目の前に見ているこの事物(たとえば、この本)が、確かに存在していることを疑ってはいない。この事物の存在を固く信じている。その理由は、きちんとわたしたちのうちにあるはずだ。 カントは、その理由をだれにも共通の言葉(普遍的なもの)として取りだせる、と考えた。主観のなかから〈普遍的なもの〉を取りだす作業。これがカントが独自に考えた主観の哲学の方法だ。』 引用終了
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> にこれを代入すると、カントの言う「超越論的」は、 〔1〕『わたしは、対象そのものを〈客観に妥当する普遍的知識〉するのではなく、〈経験に先立つ、経験に由来しない〉に可能なかぎりで、わたしたちが対象を〈客観に妥当する普遍的知識〉する方法そのものについて考察するすべての〈客観に妥当する普遍的知識〉を、超越論的な〈客観に妥当する普遍的知識〉と呼ぶ。』 って、わたしのなかではなりました。<
pipitの勝手な提案なんだけど、 〈客観に妥当する普遍的知識〉を〈knowledge〉にして、 〈経験に先立つ、経験に由来しない〉を〈経験に由来しない〉にしたらどうかな??
↓ 〔1〕『わたしは、対象そのものを〈knowledge〉するのではなく、〈経験に由来しない〉に可能なかぎりで、わたしたちが対象を〈knowledge〉する方法そのものについて考察するすべての〈knowledge〉を、超越論的な〈knowledge〉と呼ぶ。
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>>メルポンさんは時間と空間についてどんなふうに言ってるの?<< >まだ、わかりません。<
>>悪魔ちゃんは、時間と空間ってなあに?って問いかけられたら、どんなふうに答えるの?<< >ん〜ん、そうね、 〈いま、ここで〉 〈あのとき、あの場所で〉 っていう感じかな〜。 でも、〈いま、ここで〉はあるけどないのかも。<
答えてくれてありがとう!
時間とか空間って、いざ考えるとさぁ、ちょっと、厳密な定義?が私にはわからんくなってくるよ(・・?)
でもこの頃、怒った時とかに思うんだよ。
怒り が生じてるのは ここに ってね。 対象にではなく主体に、って気持ちなのかな。
いつもいろいろありがとね!
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