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■27618 / inTopicNo.37)  Re[49]: アナータピンディカ教誡経B
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/11/23(Wed) 17:56:55)
    pipitさま、お邪魔しま〜す。
    わたし仏教については知らないんだけど、
    No27597の、
    >「私が眼を(執着して)掴まないとき、眼に依存する私の意識も存在しない。」<
    >「耳を掴まないとき、耳に依存する私の意識も存在しない。」...<
    >「鼻を掴まないとき、鼻に依存する私の意識も存在しない。」...<
    >「舌を掴まないとき、舌に依存する私の意識も存在しない。」...<
    >「身体を掴まないとき、身体に依存する私の意識も存在しない。」...<
    >「心(意)を掴まないとき、心(意)に依存する私の意識も存在しない。」<
    なんだけど、これって、アナータピンディカっていう人が言ってることでいいのかな?

    で、これってなに言ってるの?で、ちょっとわたし思ったの、書いて見ま〜す。

    「掴む」ってどういう意味なのか確認のためにをネットで調べたら、「掴む」は、その物を手で捕らえる動作が主。「握る」は、手の中に入れたまま締め付けるようにして離さずにいる持続的な動きである。ってあった。ま、これはいいとして。

    「私が眼を(執着して)掴まないとき、眼に依存する私の意識も存在しない。」を見て、
    わたし、「眼に依存する私」で括って見たのね。そうして他のもこういうんで見ると、
    「眼」「耳」「鼻」「舌」「身体」「心(意)」に、私は依存している。って見たのね。
    こういうなかで、〈「これ」らに依存する私〉の「意識」との関係性を言ってるんかな?って。

    でね、「私が眼を掴まないとき、眼に依存する私の意識も存在しない。」この文って、〔「眼を掴む」ではない、とき、「眼に依存する私の意識は存在する」ではない。〕って主語と述語の両方が否定形で表現されているけど、これの対偶をとって、
    「眼に依存する意識が存在するとき、眼を掴む。」ってなるんかな?
    意味内容を違うくしないように、否定形から肯定形にして見たのね。(論理学ってこういうとき便利かも)

    これ、自称現象学派のわたしには、
    〈私が(依存している)「それ」へと志向するとき、それが意識に現れてくる。〉って見えたのね。
    「それ」っていうのは「眼」「耳」「鼻」「舌」「身体」「心(意)」のことね。

    だから、アナータピンディカさんは、
    フサールの言う、「およそいかなる意識体験も、それ自身で何ものかについての意識である。」(『デカルト的省察』)――意識はつねに何ものかへの意識である――っていうフッサールの「意識の志向性を表すテーゼ」のことを言ってるような気がしたよ。
    あと、「私が眼を(執着して)」の(執着して)っていうよりも、〈志向して〉っていう感じに見えてきてる。

    わたしに見えたの、でした。

引用返信/返信 削除キー/
■27605 / inTopicNo.38)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/22(Tue) 19:24:52)
    みなさま、こんばんは。

    No27597
    >「私が眼を(執着して)掴まないとき、眼に依存する私の意識も存在しない。」<

    この文、ちょうど今読んでるカントの文章とシンクロしてると思うんですよねー。

    仮言判断で、前件が蓋然的な命題、後件が実然的命題になるんじゃないかなーって。

    (純理トピより)
    No27580
    >@『蓋然的判断は、肯定や否定をたんに可能的(任意的)として想定する。』
    A『実然的判断では、肯定や否定は現実的(真)と考えられる。』
    B『確然的判断では、肯定や否定が必然的とみなされる。』
    ふむふむ、ここから少し(pipitには)興味深くなります。↓
    @『蓋然的な命題は、(客観的ではなく)たんに論理的可能性だけを表すのであり、この命題を妥当とするかどうかの自由な選択、つまりこの命題を悟性の中に受け入れるかどうかの恣意性を表すにすぎない。』 
    A『実然的命題は、論理的な現実性あるいは真理性について語るものである。
    たとえば仮言的理性推理では、前件は大前提においては蓋然的に現れるが、小前提では実然的に現れ、命題が悟性の法則に従ってすでに悟性と結びつけられていることを示している。<

    いろんな意味でおもしろいなぁと思いました。

    わたしにはやっぱりカントを勉強することはあってるのかなぁ。
    (・・?)
引用返信/返信 削除キー/
■27597 / inTopicNo.39)  アナータピンディカ教誡経B
□投稿者/ pipit -(2022/11/22(Tue) 00:13:54)
    みなさま、こんばんは。
    パーリ仏典経蔵中部第143経『アナータピンディカ教誡経』のBhikkhu Sujatoさま英訳をpipitが日訳しながら読んでいます。誤訳してたらすみません。m(_ _)m
    英訳
    https://suttacentral.net/mn143/en/sujato?layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin


    No27284
    @No27327
    ANo27376
    の続きです。
    ※先に訳したBに自分では納得できなかったので、またBhikkhu Sujatoさま英訳に戻して新たに訳してみました。

    ●サーリプッタ長老は、まず、六内処(眼・耳・鼻・舌・身・意)への執着を手放すことをアナータピンディカ居士に教えます。
    英訳では、原文が一部省略されています。...が省略されている箇所です。

    (英訳のpipit日訳)
    居士よ、あなたは、このように学ぶべきです。
    「私が眼を(執着して)掴まないとき、眼に依存する私の意識も存在しない。」と。
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「耳を掴まないとき、耳に依存する私の意識も存在しない。」...
    「鼻を掴まないとき、鼻に依存する私の意識も存在しない。」...
    「舌を掴まないとき、舌に依存する私の意識も存在しない。」...
    「身体を掴まないとき、身体に依存する私の意識も存在しない。」...
    「心(意)を掴まないとき、心(意)に依存する私の意識も存在しない。」と。
    そのようにあなたは学ぶべきです。


    ●六内処の次は、六外処への執着を手放すことを説きます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「色形(色)に(執着して)掴まないとき、色形(色)に依存する私の意識も存在しない」。...
    「音(声)...匂い(香)...味...触覚(触)...思考されるもの(法)を掴まないとき、思考されるもの(法)に依存した私の意識も存在しない。」と。
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●六外処の次は六識への執着を手放すことを説きます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私が眼識に(執着して)掴まないとき、眼識に依存する私の意識も存在しない」。...
    「私が耳識...鼻識...舌識...身識...意識を掴まないとき、意識に依存した私の意識も存在しない」。
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●六識の次は、六触への執着を手放すことを説きます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私が眼の接触を掴まないとき、眼の接触に依存する私の意識も存在しない。」...
    「耳の接触...鼻の接触...舌の接触...身体の接触...意の接触を掴まないとき、意の接触に依存した私の意識も存在しない。」
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●六触の次は、六受への執着を手放すことを説きます。念ずる対象が接触から→生じる感覚へと移ります。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私が眼の接触から生まれる感覚を掴まないとき、眼の接触から生まれる感覚に依存する私の意識も存在しない」。...
    「耳の接触から生まれる感覚...鼻の接触から生まれる感覚...舌の接触から生まれる感覚...身体の接触から生まれる感覚...意の接触から生まれる感覚を掴まないとき、意の接触から生まれる感覚に依存した私の意識も存在しない」。
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●六受の次は、六界への執着を手放すことを説かれます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私が地(earth)の要素(element)・・・水(water)の要素・・・火(fire)の要素・・・風(air)の要素・・・空間(space)の要素・・・意識(consciousness )の要素を掴まないとき、意識の要素に依存した私の意識も存在しない。」
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●六界の次は、五蘊への執着を手放すことを説かれます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私が、色(形form)・・・受(感覚feeling)・・・想(知覚perception)・・・行(選択choices)・・・識(意識consciousness)を掴まないとき、意識に依存する私の意識も存在しない。」と。
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●五蘊の次は、四無色定への執着を手放すことを説かれます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私が空無辺処(無限の空間の次元the dimension of infinite space)... 識無辺処(the dimension of infinite consciousness無限の意識の次元)... 無所有処(無所有の次元the dimension of nothingness)... 非想非非想処(想があるのでも想がないのでもない次元the dimension of neither perception nor non-perception)を掴まないとき、非想非非想処に依存する私の意識も存在しない。」
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●四無色定の次は、この世に対する執着を手放すことを説かれます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私がこの世界(this world)を掴まないとき、この世界に依存する私の意識も存在しない。」と。
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●この世の次は、あの世に対する執着を手放すことを説かれます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私があの世(the other world)を掴まないとき、あの世に依存する私の意識も存在しない。」と。
    それが、あなたが学ぶべき方法です。

    ●最後に、あらゆるものへの執着から離れることを説かれます。

    (日訳)
    あなたはこのように学ぶべきです。
    「私が、私の心によって見られたもの、聞かれたもの、考えられたもの、得られたもの、求められたもの、探索されたもの、何であれ、掴まないとき、それに依存する私の意識も存在しない。」と。
    それが、あなたが学ぶべき方法です。』

    さて、このサーリプッタ長老の説法を聞いたアナータピンディカ居士は.......(続きます!)

引用返信/返信 削除キー/
■27568 / inTopicNo.40)  テスト投稿
□投稿者/ pipit -(2022/11/19(Sat) 07:02:37)
    2022/11/19(Sat) 07:04:12 編集(投稿者)

    “That’s why, householder, you should train like this: ‘I shall not grasp the eye, and there shall be no consciousness of mine dependent on the eye.’ That’s how you should train.

    ※先日投稿できなかったBhikkhu Sujatoさま英訳を短文でテスト投稿しています。
引用返信/返信 削除キー/
■27566 / inTopicNo.41)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2022/11/18(Fri) 23:52:57)
    田秋さん、こんばんは!

    No27564
    > 激しい頭痛に見舞われたとのこと、お見舞い申し上げます。頭痛持ちなんですか。<

    たまーに頭痛は起きるのですが、昨日のは久しぶりに(私にとっては)めちゃ痛でした。
    でも、今日は薬なしでほぼ大丈夫なかんじです。
    犬の散歩にも行ってきましたU^ェ^U

    > >孫悟空のムギューと締められる頭の輪っか>
    > あの悟空のアタマの輪っかは緊箍児(きんこじ)と言います。又、三蔵が唱える呪文は緊箍児呪と言います。<

    そうなんですね。作者の方も頭痛体験したのかなぁどうかなぁ

    > お大事に。<

    ありがとうございます!
    寒くなってきましたね、どうぞ田秋さんもお身体ご自愛くださいませ(^ ^)v
引用返信/返信 削除キー/
■27564 / inTopicNo.42)  Re[58]: 日記
□投稿者/ 田秋 -(2022/11/18(Fri) 21:51:58)
    こんばんは、pipitさん

    激しい頭痛に見舞われたとのこと、お見舞い申し上げます。頭痛持ちなんですか。

    >孫悟空のムギューと締められる頭の輪っか>
    あの悟空のアタマの輪っかは緊箍児(きんこじ)と言います。又、三蔵が唱える呪文は緊箍児呪と言います。

    お大事に。
引用返信/返信 削除キー/
■27563 / inTopicNo.43)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/18(Fri) 19:35:22)
    昨日夕方から久しぶりに激しい頭痛になって、
    アナータピンディカ教誡経の最初のあたりと孫悟空のムギューと締められる頭の輪っかを思い出してました
    ( ̄▽ ̄;)

    薬も飲んだので今朝は大丈夫で仕事も無事にできました。
    今日も夕方から少し頭痛だけど、昨日よりはよっっぽどマッシです
    ( ^ω^ )vヨカッタ

    時兄上の書き込みで、やっぱりこの経典を読んでみたい!という気持ちになりました。
    (時さん、感謝です(^人^))

    アナータピンディカ大先輩の描写だもん♪
    深い理解は無理でもなんとか文字を読んでみたいと思います。

    ですが、今日はちょっと休憩かなぁ?ちょっと頭痛いし。生体は大変だなぁ
    (´-`).。oO

    ↓休憩YouTube トカゲさん?

    【脱皮】レオパが皮を脱いでいく様子が凄すぎる
    ぴよのカエルch
    https://youtu.be/j2rRuxpRFv4
引用返信/返信 削除キー/
■27548 / inTopicNo.44)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2022/11/17(Thu) 12:30:35)
    時兄上ーーー 。゚(゚´ω`゚)゚。

    No27546
    アドバイスありがとうございます!!

    もうなにも読める(訳せる)経典がない...という気持ちになってたのですが
    (T . T)ナサケナシ

    時兄上の書き込み読ませてもらって、やっぱり私なりに全文読んでみようかな、と今思いました!

    拙い読解になると思いますがチャレンジしてみます!
    ありがとうございます!
    (*^◯^*)♪

引用返信/返信 削除キー/
■27546 / inTopicNo.45)  Re[55]: 日記
□投稿者/ 時 -(2022/11/17(Thu) 10:09:48)
    pipitさんへ

    中部143経アナータピンディカ教誡経についてです。

    激しい病の苦しみの中にあるアナータピンディカ居士が、サーリプッタに出家者にだけ明かされる法を説いてもらい、初めて聞く法を前に涙を流して喜び、最終的には死後に天界転生したというお話でしょう。

    その内容は、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に、六境(色・音・香・味・触・法)に執着しなければそこに識は生じない。そしてそれら六内外処の識にも執着がなければそれらに対しての識も生じない。そして、(六根と六境で六識。それら3つで六触ですので)触(六触)に執着しなければ、それら(触)に対する識は生じない。触の識に執着しなければ十二支縁起(無明・行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)の触の次の受(六受)に対する識は生じない。・・・六界(地界・水界・火界・風界・空界・識界)に、五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)に、無色界(空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処)に、この世に、あの世に、、つまりは、一切(六根+六境)に対しての執着が無ければそれらに対しての識は生じないと学ぶべきです。と言った内容でしょうか。

    学び方がpipitさんと私とでは違うようですが、それぞれで良いと思います。私の場合は、まずは細部の訳にとらわれずに大まかに理解する方向性で全体像を把握していったように思います。その中で話の筋がおかしいと感じたところを詰めて原文と比較するといった方法をとっていたと思います。老婆心ながら、、そのように感じました。
引用返信/返信 削除キー/
■27544 / inTopicNo.46)  Re[54]: 日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/16(Wed) 23:34:17)
    2022/11/16(Wed) 23:36:26 編集(投稿者)

    「仏道修行のゼロポイント」というブログに、「アナータピンディカ教誡経」について詳細に触れた記事が載っていました。
    https://zeropointbuddha.hatenablog.com/entry/anathapindikovada_sutta


    、、、pipit、今回の「アナータピンディカ教誡経」の英訳の日訳も諦めます、、、
    _| ̄|○


引用返信/返信 削除キー/
■27543 / inTopicNo.47)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/11/16(Wed) 22:09:37)
    まだサヤレーの法話は読んでないのですが、思うことを日記として、、、


    この経典のどこに惹かれたかというと、

    説法を聞き終えたアナータピンディカ居士が泣き出すんです。
    (記憶で以下を書きますが、)
    それでアーナンダ尊者が、「どうしたのですか?苦しいのですか?」と気遣って言葉をかけたら、
    居士は、
    「違います。私は今までこのような法を聞いたことが無かったです。。
    。゚(゚´ω`゚)゚。」
    と泣いてたら、
    「このような法は出家者にする内容なんです」と教えてもらうんです。
    それを聞いた居士は、
    「私のように在家者でも理解するものはいるかもしれないので、これからは在家信者にもこのような法も説いてほしいです。」とお願いするんです。

    この場面がpipitにはすごく心に響いてて。

    pipitがいろんな法話きけるのアナータピンディカ先輩のおかげなんだなーと勝手に思ってて。

    それでこの法話を読みたいと、読解はじめたんですけど、、、

    多分、この経典も「蜜丸経」の時と同じく、英訳の日訳は諦める方に心が向いてます(^◇^;)




引用返信/返信 削除キー/
■27542 / inTopicNo.48)  アナータピンディカ教誡経B-7
□投稿者/ pipit -(2022/11/16(Wed) 21:21:30)
    うぉぉ、[アナータピンディカ]でネット検索してたら、

    『サヤレー法話
    ―アナータピンディカへの説法―
    ディーパンカラ・サヤレー
    2012年1月2日
    菩提樹文庫』

    https://bodaijubunko.sakura.ne.jp/h/sayalay.houwa.12.1.2.pdf

    というページを見つけました。


    (サヤレーということは、ミャンマーのお坊さまかな??
    『菩提樹文庫』を検索すると、下記のページに辿り着きました。

    https://bodaijubunko.sakura.ne.jp/3tsuite.htm


    上記の記述の中には、
    『サーリプッタ尊者はアナータピンディカに残された時間がとても短いことを知り、彼 にとって有益な法話をしようと考えました。サーリプッタ尊者はアナータピンディカが 預流果であることを知っていたので、集中や心と身体(ナーマ・ルーパ)について知っ ていると認識していました。アナータピンディカには集中などに関して説明する時間が ありませんでした。
    そこでサーリプッタ尊者は彼にヴィパッサナー瞑想について単刀直入に話しました。 その話したことがこの経典に書かれているわけですけれども、この経典を読んだ人は、 「尊者はなぜヴィパッサナーの前に、集中が必要だとうことを教えなかったのか?」と 混乱する方がいます。皆さんは混乱しないでくださいね。預流果になっても、まだ集中 する修行は必要です。
    そこでサーリプッタ尊者はアナータピンディカの体に集中させ、心を九種類の対象に 対して焦点を当てるように教えました。この九つの対象はとても重要で、九つ各々に対 してヴィパッサナーをしなくてはならないと話しました。』

    という記述がありました。

    上記ディーパンカラ・サヤレーの説法では、ということですが、
    サーリプッタ長老の説法は、ヴィパッサナー瞑想に関する法話と捉えられてるのかと、、、
    !(◎_◎;)ビックリ

    これは難しいはずやわ、、、
    簡単と思い込んでた、、、

    『蜜丸経』と同じやわ、、、
    おもしろそう!と読み始めて難しくて挫折
    _| ̄|○
    (『蜜丸経』は途中で読むことを諦めました(ー ー;))

    ちょっとどうなるかわかりませんが、まずはディーパンカラ・サヤレーの法話を読んでみようと思います。

引用返信/返信 削除キー/

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