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■23336 / inTopicNo.1)  つれづれなるままに 2
  
□投稿者/ パニチェ -(2022/05/19(Thu) 19:52:56)
    トピ主:悪魔ちゃん


    引き続きよろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■23441 / inTopicNo.2)  Re[1]: つれづれなるままに 2
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/22(Sun) 19:24:33)
    パニさん、ありがと。

    >引き続きよろしくお願いします<

    こちらこそ、よろしくお願いしちゃいま〜す。




引用返信/返信 削除キー/
■23442 / inTopicNo.3)  Re[2]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/22(Sun) 19:40:21)
    ■23414、みのりさん、こんばんは。

    >私、『野生の思考』の解説本を以前読んで、ニーチェクラブで投稿したんだった<
    あら、そうだったの!
    みのりさまも、野生は、粗野で教養がなく、不作法で粗暴なんじゃなくて、ちゃんとそこにも科学的思考っていうのがあるって“うすうす”感じてた? わたしと同じように。

    きょうは、ちょっと気合い入れて書いちゃう。

    >科学的思考は、これまでの実験や考察から定説となっていることに積み上げるようにして、次に進んでいく。のに対して、原初的思考は、先入観を持たずにあらゆる可能性を考慮して進んでいく。<
    わたしもそんな感じ。原初的思考は“素直”なんだと思う。世界をそのまま受け入れる、っていうのかな〜?
    でも、それって後から“考えると”間違いだった〜、っていうの気づくことあるよね。でもね、それが“間違いだった”っていうことはどういうことなのかしら?ともわたし思うのね。

    >ところで、現象学的な観方というのは。「山がある」というのを素朴実在論のように認識するのではなく、「私の意識に山が映っているのは確かである」のように認識するしかた、でいいんですよね?<
    ん〜ん、こう聞かれてもなんかわたしわかんない。
    ここらへんのは、メルポンの『知覚の現象学』にこんなことが書いてあるので書き写して見ます。

                *******
    このように記述されている知覚がどんなに考えがたいものであろうとも、その困難はわれわれの甘受すべきものであり、事実そのようにしてわれわれは知覚し、われわれの意識も物のなかで暮らしているのである。
    したがって、ある因果的作用によって、宇宙そのものとは別個な〈表象〉をわれわれの内部に産出するような〈〔実在的〕宇宙〉という観念ほど、知覚にとって無縁なものはない。カント的言い方をするならば、素朴的意識の実在論は、〈経験的実在論〉――つまり、「意識の諸状態」の外に立ち出でて、固体的対象に到達しているということを、少しも疑わない〈外的経験の確信〉――なんであって、固体的対象を、唯一の与件である「表象」の不可知な〈原因〉として定立することを哲学的主張とするような〈超越論的実在論〉ではないのである(3)。

    (3)訳注:カントにとっては、〈空間〉と〈時間〉とは人間精神の主観的構造に属するものであり、感性(=対象受容の能力)が働く場合の基本形式である。したがって、それらは認識主観を離れた〈物自体〉の性質や関係ではない。そこで空間、時間は、われわれに〈経験〉されるいっさいのもの(=現象)に関しては客観的であり、空間、時間のなかに存在しないような対象は、経験のなかにないことになる。その意味で、それらは〈経験的実在性〉を持つと言われる。が、他方、それらがわれわれの感性を離れて実在するものではないとすれば、経験を超えた実在性は持たないわけであり、そのことが空間・時間の〈超越論的観念性〉と言われるのである。そこでカントは、自分の立場が観念論ではあるにしても、それはあくまでも〈超越論的〉観念論であって、〈経験的〉観念論ではない、と主張している。メルロ=ポンティは、カントの用語をかりて、素朴的意識の実在論は、〈経験的〉実在論であって、〈超越論的〉実在論ではない、というわけである。
                *********

    わたし、ここなんど読み返してわたしの実体験にあてはめて考えてるんだけど、まだ入ってないのね。
    【知覚がどんなに考えがたいものであろうとも】っていうところ、いまのところ、「知覚の世界」は「思考」とは別の世界にあって、「考える」っていう領域からは“考えがたい”領域にあるっていってるんじゃないかしら?っていまのところ見てる。

    「思考」って呼んでるもの、これってどういうもの?ってふと思って、「思考」には二種類あるんじゃないかって思ったのがNo23410だったの。

    現前の「これ」は「山」、これが知覚の世界(素朴的意識)だとわたし思ってる。そして「私の意識に山が映っているのは確かである」は思考の世界。でも、思考の世界は「これ」は「山」であるのか?っていう「省察」に入っていくのが哲学的思考なのかとも思って。言いかえると、「これは山である」っていう「判断」は確か(疑いの余地のないこと)なのか?っていう方向に、ね。
    ほら、マジモンさんが言ってたケプラー、実際に観察された事実を基に、思考と計算によって、天動説と地動説の両方を説明することを示したように。

    >現象学的な観方と「野生の思考」的な観方の共通点があるって話なんですよね<
    これについては後で書いて見ます。

    わたし「ものぐるほしけれ(狂ったような気持ちになる)」になってるかな〜?

    「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば(心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけて)」
    でした。

引用返信/返信 削除キー/
■23449 / inTopicNo.4)  Re[3]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ ギアッチョ -(2022/05/23(Mon) 06:32:32)
    はい、おはようございます、悪魔ちゃん

    野性的思考は必要だと思いました。
    野性的思考はダメだと決めつけた、ギアッチョに自惚れ部分があると感じたよ。
    どうも、ギアッチョ、思考が偏っている。

    人は会話をしなければいけない。
    アスペルガーが生き辛い理由がなんとなく理解できた。
引用返信/返信 削除キー/
■23451 / inTopicNo.5)  悪魔ちゃんが気になった部分
□投稿者/ 田秋 -(2022/05/23(Mon) 09:11:49)
    おはようございます、悪魔ちゃん

    田総研掲載の悪魔ちゃん注目の箇所は外交の変容を述べた部分です。レポート提出のつもりでこの部分を要約してみます。悪魔ちゃん先生、宜しくお願いします!

    ナポレオン戦争後ウィーンで会議が開かれ(1814〜5年)そこで国家間のバランスを維持し戦争の勃発を防ぐことが話合われました(ウィーン会議)。戦争になる前に話し合おうということで(ウィーン体制)、この時代の外交を「古典外交」と呼び、同質性、貴族性、自立性という特徴で表すことができます。

    同質性というのは、同じ欧州内の国ということ(欧州文化というものを共有する)、貴族性というのは、外交上の言葉はフランス語で作法は貴族社会のもの(貴族の外交官も多かった)、自立性というのは、他を圧倒する国が存在せず各国が自立して勢力均衡を保っていたことを指します。

    その後政治体制は近代的な官僚制となり国民の地位は向上し(国民国家)貴族性は失われていきます。アメリカや日本の台頭により同質性も失われ、また第1次世界大戦に向かって欧州内の2極化が進み各国の自立性が失われて行きました。このように第1次世界大戦の時にはいわゆる「古典外交」は既に終焉を迎えていました。

    悪魔ちゃんの素晴らしい所
    1.素朴に疑問を持つ
    2.謙虚に研鑽する

    ガンバロー!
引用返信/返信 削除キー/
■23458 / inTopicNo.6)  Re[5]: 悪魔ちゃんが気になった部分
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/23(Mon) 20:11:46)
    ■23451、
    田秋さん、ありがとございま〜す。
    わたし、政治、歴史、これもよく知らない。
    ん?わたし何についてなら知ってるって言えるのかしら?ってよく考えたら、ないことに気づいちゃた。

    これで終わりにしちゃったら、せっかく田秋さんが要約してくれたことに失礼だと思って、勉強中で〜す。

    いまのところ。、これだけはいえるかな
    >第1次世界大戦に向かって欧州内の2極化が進み<
    <第一次世界大戦>が起こったっていうことはすでに知ってるっていう前提の上に、あとづけで、<2極化>が持ちだされてるのかもしれないけど、どういう<2極化>なのかがわたしにはわかんない。

    〈ドイツ・オーストラリア・ストア二ア〉っていう三国同盟と〈イギリス・フランス・ロシア〉っていう三国協商っていうのを、欧州の2極化っていうんだったら、どいうことでこういう2極化が発生したのかしら?

    「国民国家」とか「他民族国家」見たいなのはそのうち見えてきたらにしようかと思ってま〜す。

    正直な気持ちを言うと。「外人さん」の世界観、人間観、、わたしにはわかんない。「不気味な存在」として、何されるかわかったもんじゃない、っていう、できればわたし関わりを持ちたくないのね。










引用返信/返信 削除キー/
■23461 / inTopicNo.7)  歴史と政治
□投稿者/ 田秋 -(2022/05/23(Mon) 22:38:41)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    歴史と政治、中国の歴史は古代から清朝の終わりくらいまでは何冊か本を読んだ。友達に昔の中国が好きなのがいたのと西遊記関連で。

    政治は分からないけど、もしわかると歴史がぐっと面白くなるんだろうな思う。

    例えばボクが昨日の昼は素麺を食べ夜は鯛飯を食べたとします。これが歴史で、何故昼素麺で夜鯛飯だったのか、その経緯の説明が政治かな?

    暑い中草取りしてお風呂入ってさっぱりして「ああ、素麺食べたい」、午後スーパー行ったら美味しそうな鯛の切り身があったので焼いて食べようと思って買い、一応インターネットで鯛のレシピ見てたら、切り身でも鯛飯が簡単に出来るというのがあったので急遽鯛飯にした、というのが政治。

    ダメすか?

    ===民族と国家===

    写真はクルド人の住んでいる地域と実際の国境線。クルド民族は集まって住んでいる地域があるけれど自分の国を持っていません。

    民族と言うのはみんな自分の国が欲しい。何故なら他の民族の支配下に置かれて指図を受けたくないからね。共同経営という形態もあるけれど出来れば自立して自分の民族が主権を持つ国家になりたい。ユーゴスラビアがセルビアやクロアチアに分裂したり、チェコスロバキアがチェコとスロバキアになったり。ソ連の崩壊もそうだよね。ウクライナ、ジョージア、カザフスタン、リトアニアとか。

    クルド民族もそう思ってるけど4カ国にわたってクルド民族地域がひろがってるから難しい。

    そう考えると国境線って人工的と言えるけれど、そもそも人間の問題だから人工的になるのは自然とも言える?

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引用返信/返信 削除キー/
■23465 / inTopicNo.8)  Re[3]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ みのり -(2022/05/24(Tue) 09:52:14)
    No23442に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    悪魔ちゃん、こんにちは。 今日は雨降ってなくてよかった〜。
    雨ばっかり降ると庭にコケがたくさん生えてくるのよ。。(´;ω;`)

    > みのりさまも、野生は、粗野で教養がなく、不作法で粗暴なんじゃなくて、ちゃんとそこにも科学的思考っていうのがあるって“うすうす”感じてた? わたしと同じように。

    毒があって食べられない植物や生き物を実体験から把握したり、分類したりと生きることと科学が現代人以上に密接だったんだろうな、というのは感じてました。
    命がけで毎日を過ごしていたのだと思うのですね。
    現代人は、命がけがなく自然を甘く観がちになってもいるのかも。


    > >ところで、現象学的な観方というのは。「山がある」というのを素朴実在論のように認識するのではなく、「私の意識に山が映っているのは確かである」のように認識するしかた、でいいんですよね?<
    > ん〜ん、こう聞かれてもなんかわたしわかんない。
    > ここらへんのは、メルポンの『知覚の現象学』にこんなことが書いてあるので書き写して見ます。
    >
    >             *******
    > このように記述されている知覚がどんなに考えがたいものであろうとも、その困難はわれわれの甘受すべきものであり、事実そのようにしてわれわれは知覚し、われわれの意識も物のなかで暮らしているのである。
    > したがって、ある因果的作用によって、宇宙そのものとは別個な〈表象〉をわれわれの内部に産出するような〈〔実在的〕宇宙〉という観念ほど、知覚にとって無縁なものはない。カント的言い方をするならば、素朴的意識の実在論は、〈経験的実在論〉――つまり、「意識の諸状態」の外に立ち出でて、固体的対象に到達しているということを、少しも疑わない〈外的経験の確信〉――なんであって、固体的対象を、唯一の与件である「表象」の不可知な〈原因〉として定立することを哲学的主張とするような〈超越論的実在論〉ではないのである(3)。
    >
    > (3)訳注:カントにとっては、〈空間〉と〈時間〉とは人間精神の主観的構造に属するものであり、感性(=対象受容の能力)が働く場合の基本形式である。したがって、それらは認識主観を離れた〈物自体〉の性質や関係ではない。そこで空間、時間は、われわれに〈経験〉されるいっさいのもの(=現象)に関しては客観的であり、空間、時間のなかに存在しないような対象は、経験のなかにないことになる。その意味で、それらは〈経験的実在性〉を持つと言われる。が、他方、それらがわれわれの感性を離れて実在するものではないとすれば、経験を超えた実在性は持たないわけであり、そのことが空間・時間の〈超越論的観念性〉と言われるのである。そこでカントは、自分の立場が観念論ではあるにしても、それはあくまでも〈超越論的〉観念論であって、〈経験的〉観念論ではない、と主張している。メルロ=ポンティは、カントの用語をかりて、素朴的意識の実在論は、〈経験的〉実在論であって、〈超越論的〉実在論ではない、というわけである。
    >             *********

    メルロポンティのを引用してくれたんですね。
    長文でありがとうございます。

    >※「意識の諸状態」の外に立ち出でて、固体的対象に到達しているということを、少しも疑わない〈外的経験の確信〉――

    これが素朴実在論の観方なんでしょうね。
    実際に自分に観えているものはそのままの形で実在しているのだ、という観方。
    メルロポンティは、こちらを「経験的実在論」としているみたいですね。
    主観=客観だと思っている観方と言ってもいいのかな。

    そして、

    >※固体的対象を、唯一の与件である「表象」の不可知な〈原因〉として定立することを哲学的主張とするような〈超越論的実在論〉ではないのである(3)。

    こちらを素朴実在論(経験的実在論)と対比させているのですね。
    何か〈原因〉となる固定的対象があり、そこから「表象」が現れてくるという観方でいいのかな。

    > わたし、ここなんど読み返してわたしの実体験にあてはめて考えてるんだけど、まだ入ってないのね。
    > 【知覚がどんなに考えがたいものであろうとも】っていうところ、いまのところ、「知覚の世界」は「思考」とは別の世界にあって、「考える」っていう領域からは“考えがたい”領域にあるっていってるんじゃないかしら?っていまのところ見てる。
    >
    > 「思考」って呼んでるもの、これってどういうもの?ってふと思って、「思考」には二種類あるんじゃないかって思ったのがNo23410だったの。
    >
    > 現前の「これ」は「山」、これが知覚の世界(素朴的意識)だとわたし思ってる。そして「私の意識に山が映っているのは確かである」は思考の世界。でも、思考の世界は「これ」は「山」であるのか?っていう「省察」に入っていくのが哲学的思考なのかとも思って。言いかえると、「これは山である」っていう「判断」は確か(疑いの余地のないこと)なのか?っていう方向に、ね。

    ・・・・・
    知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること。
    そして。その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。
    ・・・・・『読まずに死ねない哲学名著50冊』平原 卓 著 p287より引用

    今、引用したのがフッサールの「還元」について。


    > >現象学的な観方と「野生の思考」的な観方の共通点があるって話なんですよね<
    > これについては後で書いて見ます。
    >
    > わたし「ものぐるほしけれ(狂ったような気持ちになる)」になってるかな〜?
    >
    > 「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば(心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけて)」
    > でした。

    うん。 ぼちぼちとがんばってくださいね〜。
    レスありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■23469 / inTopicNo.9)  Re[4]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ みのり -(2022/05/24(Tue) 10:50:01)
    すみません、訂正させてください。
    (削除キーの設定をしてなかったので訂正ができない。)
    次から、長文になる時は必ず設定しよう。


    >>・・・・・
    知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること。
    そして。その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。
    ・・・・・『読まずに死ねない哲学名著50冊』平原 卓 著 p287より引用

    今、引用したのがフッサールの「還元」について。<<

    ここ、引用ではなく、p287を読んでまとめたものです。
引用返信/返信 削除キー/
■23473 / inTopicNo.10)  Re[5]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/24(Tue) 20:23:42)
    ■23465、■23469、ありがとございま〜す、みのりさん

    >知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること。そして。その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。<
    わたし<確信>(確かに信じられるもの)っていう語のほかに〈信念〉っていう語を使うかな。
    だから、
    >知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること<
    っていう表現にはわたしのばあいならないのね。
    「確信しうること」は「知覚」と「判断」の両方にかかる言葉じゃなくて、わたし「判断」にかかる言葉って見てるのね。
    あ、ごめん、みのりさまが「知覚」、「判断」、「確信」っていう語をどう言う意味で使ってるのかが分からない、のうえでわたしの勝手なので書いてるからね。

    だから、
    >その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。<
    は、わたしのばあい、
    〈知覚という信念がどのように「構成」構成され、判断がどのように「構成」されるのか、について考え〉
    っていう表現になるの。

    >現象学的な観方と「野生の思考」的な観方の共通点があるって話なんですよね<
    これについてのわたしのは、はまだになってる。平日は仕事でめいっぱいで考えてる余裕がなくて。
    休みの日に書いちゃおっかて思ってま〜す。
    わたしがなに言ってるのか分かってもらえなないだろうな〜っていうことを承知で書いてま〜す。

    あ、あと田秋さんのも返信しなくっちゃ。

引用返信/返信 削除キー/
■23474 / inTopicNo.11)  Re[6]:  保険証の廃止
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/24(Tue) 20:35:42)
    ネットのニュース見てたら、
    いまある保険証を無くすことを政府が決めたみたいよ。

    なんか「マイナ保険証」っていうのが、政治屋(ある人間集団)さんたちによって”決まった”みたい。

    「国」ってさ〜、やっぱ、支配者と服従者の関係はずせないよね。

引用返信/返信 削除キー/
■23480 / inTopicNo.12)  Re[6]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ みのり -(2022/05/25(Wed) 09:06:30)
    No23473に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    悪魔ちゃん、レスありがとうございます。

    > >知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること。そして。その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。<
    > わたし<確信>(確かに信じられるもの)っていう語のほかに〈信念〉っていう語を使うかな。
    > だから、
    > >知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること<
    > っていう表現にはわたしのばあいならないのね。
    > 「確信しうること」は「知覚」と「判断」の両方にかかる言葉じゃなくて、わたし「判断」にかかる言葉って見てるのね。
    > あ、ごめん、みのりさまが「知覚」、「判断」、「確信」っていう語をどう言う意味で使ってるのかが分からない、のうえでわたしの勝手なので書いてるからね。

    私の方の文章を二つに分けてみますね。

    >>知覚や判断が私の意識に生じていることは確信しうること。

    順番として「知覚」をまずして次に「判断」する。
    夜空に何か浮かんでる、と知覚して、それは夜間飛行の旅客機だろうと判断する。
    順番にあらためて従って書いてみるとこういうこと。

    それが本当に旅客機かどうかはわからないけれど、自分に旅客機らしきものが見えているということは確信できる、ということ。

    >>その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。

    では、夜間飛行の旅客機が飛んでいると見えたけれど、それは本当にそうなのか?
    そう思ったその理由、根拠はどういうものか、その理由、根拠は旅客機であるという答えを出すに十分なものであるか、などについて検証していく。
    検証していく中で、本当に夜間飛行の旅客機か、もしかしたら他のものではないのか、も明らかになっていく。
    具体的な例を出してみると、こういうようなことかな、と思っています。

    仮説を立てて、それを検証する。簡単に言えばこの作業のことになるのだと思うのですね。

    > だから、
    > >その確信がどのように「構成」されるのかについて考え、その構造と条件を取り出す。<
    > は、わたしのばあい、
    > 〈知覚という信念がどのように「構成」構成され、判断がどのように「構成」されるのか、について考え〉
    > っていう表現になるの。

    なるほど。
    あくまで私の場合はなんだけど、いつでも可能な限り具体的な例を持って考えてみるようにしています。
    単語や言葉というのは、具体的なものを説明するための道具だと思うので、その具体的なところをもって理解するのが大切なんじゃないかな、と思っているかな。

    > >現象学的な観方と「野生の思考」的な観方の共通点があるって話なんですよね<
    > これについてのわたしのは、はまだになってる。平日は仕事でめいっぱいで考えてる余裕がなくて。
    > 休みの日に書いちゃおっかて思ってま〜す。
    > わたしがなに言ってるのか分かってもらえなないだろうな〜っていうことを承知で書いてま〜す。

    私へのレスはお気遣いなくしてくださいね。


引用返信/返信 削除キー/

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