| 2022/08/25(Thu) 17:33:54 編集(投稿者)
こんにちは、おくたがわさん。レスありがとうございます。 私もパースペクティヴで思うところを以下に述べてみます。 (以下のパースペクティヴはニーチェが述べるところの遠近法とは多少異なります)
■No25786に返信(おくたがわさんの記事) >・・・まったく個人的な思い付きですが、(科学的・事実的な客観性についてはちょっとおいて)、 > 小説・脚本・歌詞、といったものの「客観性」(≒説得力)をこのように考えると面白いかもと。 > 昨日,yutubeの曲の比較で、作者(関係者)がかけた熱量、覚悟、といったことを考えたので、それと勝手に関連付けて。
遠近法的な解釈にも無意識的な錯誤や作為が入り込む。 身近なものほど大きく遠いものほど小さく見える。これは価値の大小にも影響し、身近なものほど重視する発想はニーチェが述べるところの隣人愛、つまり不完全な自己愛の投影となる。 遠近法的な錯誤を自覚することによって色眼鏡の濃さは透明にならないまでも薄まるということ。
両眼で見る世界と複眼や魚眼、あるいは超音波で察知する世界とは大きく異なるだろうし、私たちが言うところの客観性は同じ感覚器官を持つ者同士の間で共有できる範囲での客観性であって、その意味において客観性は間主観性に取り込まれる。
一方、キュビズムは見る角度や視点によって対象がさまざまに観察されることを意味し、遠近法とは全く異なった視点として対象のより客観的あるいは本質的な解釈を可能とする。 認識の多様性を知ることは見取見(十根本煩悩のひとつ、自分の考えや自分の見解を絶対視し固執すること)を避ける知恵だと思う。
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