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■24816 / inTopicNo.73)  Re[14]: 俳聖かるた
  
□投稿者/ つばめ -(2022/07/12(Tue) 08:18:47)
    No24077に返信(田秋さんの記事)

    > 芭蕉は実際最上川の川下りを経験したんですね。それを知っているつばめさんは
    > 「小舟で川を下っていくときの爽快感が想像できて楽しい気分になる一句です」
    > というイマジネーションをお持ちになったのでしょうか。

    以前、だいぶ前ですが推察として芭蕉は川下りをしたのだろうと聞いたことが有ります。
    その時から、この句は自分の中で変わり生き生きとし始めました。

    > 「早し」も始めは「涼し」だったそうですね。

    それについては寡聞にして知らな罹ったのですが、今知りました。

    ・・・・いや。聞いたことが有るような気もしてきました。

    ただ、増水した川を見て作っているなら個人的には「早し」も「涼し」も一緒な気がするので気にもしなかったのかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■24742 / inTopicNo.74)  Re[13]: サピエンス全史の終わりごろに
□投稿者/ おくたがわ -(2022/07/11(Mon) 12:57:39)
    No23880に返信(つばめさんの記事)
    > 〜〜サピエンス全史の終わりごろに。〜〜
    >
    > 「これはサイエンス・フィクションではない。ほとんどのサイエンス・フィクションの筋書きは、私たちとそっくりのサピエンスが高速の宇宙船やレーザーガンといった優れたテクノロジーを享受する世界を描いている。これらの筋書きの核心を成す理論的ジレンマや政治的ジレンマは、私たち自身の世界から取り出されたもので、未来を背景にして私たちの感情的緊張や社会的緊張を再現しているに過ぎない。
    > だが、未来のテクノロジーの持つ真の可能性は、乗り物や武器だけではなく、感情や欲望も含めて、ホモ・サピエンスそのものを変えることなのだ。子どもももうけず、性行動もとらず、思考を他者と共有でき、私たちの1000倍も優れた集中力と記憶力を持ち、けして怒りもしなければ悲しみもしないものの、私たちには想像の糸口もつかめない感情と欲望を持ち、永遠に若さを保つサイボーグと比べれば、宇宙船など物の数にも入らないではないか。
    >

    ついに最後まで読んだのですか?
    こちらは全然進んでません。
    それで、迷ったのですが、引用部分だけを読んで感じたことを無責任に書きます。


    負の感情は危険の忌避とおそらく結びついていて、また、感情を伴う事態は記憶されやすいゆえに経験によって適切な行動を学習していく際に役立つ。それが負の感情が人間に定着している理由(の一つ)と仮定しますと、
    科学に守られ『永遠に若さを保』ち『1000倍も優れた集中力と記憶力を持』つサイボーグにとって少なくとも負の感情は我々とは異なる存在意義を持つのでしょう。(意味を持たなければ生滅)
    それがどういうものかは、著者も想像の糸口もつかめないって言うんだから、今自分が考えても分からないね。

    生物は目的をもって設計されたものではなく、たまたま備わった形質・加わった突然変異を、なんとか活用して環境に適応してきた結果だというのが進化論だとすれば、
    そのため、実際、人間の身体・生理にも非効率的な設計が随所に見られるのでしょう。慣れているから気にしていないが、あらためて考えると、なんでこんなヘンテコな設計になっているのかと思う部位が少なからずあり。

    負の感情も同様で、効果もあるから定着しているとはいえ、目的論的に設計されたものではなく、その場しのぎで活用された結果ゆえに、逆に負の感情に苦しみ、その解決を求める面も人の常態となり、解決法の一つとして仏教も発明される。

    ありあわせの素材のつなぎ合わせで、なんとか種を繋いできた生物の一つとしての人間。ゆえに様々な不完全性やバグに苦しみつつ生きている。思えばけなげな存在なのだけれども、しかし人同士の争いも起き、殺し合いや自殺も発生する。

    もし、人を目的によって設計できるようになったら、苦肉の策の連続でできあがった現在の人間とは根本的に異なる存在となるのだろうか。
    そこにおいては、感情や欲求が(どのような)意味を持つのか。

    もしかしたらバグや不完全さを逆に力に変えてきたのかも知れない人間(他の生物も)が、合理的に設計しなおされたとき何が起きるのか。

    人類の子孫は子守歌に何を聞くのか。
    彼らも、音楽に心ふるわせ、絵画にうたれ、詩にうきうきするのだろうか。そのように設計されるだろうか。

    以上、不完全さとバグだらけの人間の典型である私の戯言です。
引用返信/返信 削除キー/
■24415 / inTopicNo.75)  Re[8]: 俳聖かるた
□投稿者/ おくたがわ -(2022/07/07(Thu) 15:20:38)
    No23708に返信(つばめさんの記事)
    こんにちは。爽やかな日。(こちら空模様はそれほどでもないけど)
    つばめさんのトピができていて(しかも俳句)、嬉しいです。

    > 山里は万才おそし梅の花  芭蕉

    >
    > 正月に行われる万才がここ(山里)では今(梅の咲く時期に)行われている。
    >
    >
    > ・・・なんだろう、
    >
    >
    > ・・・地方?首都から離れた地域の事情?寒い地域の晴れの行事、祝い事?が今行われている。
    >
    > 「人事」ですね。
    >
    > そこに住む人々に(普通?都?・・・から比べれば遅い)春(慶事)がやってきた。
    >
    > そんな風景・・・を記す人がいた。
    >
    >
    >
    >   山里は万才おそし梅の花


    前に何かで読んだ記憶では、万才という芸を行う人たち(二人組?)が、人の多い都会から先に回り、山里にやってくるのは梅の咲く頃になる、と。
    ご存知だったらすみません。

    それに感懐を覚えている作者は山里の住人ではなく、その人もまた都会からたまたまここにやってきていて、ここでは漫才が来るのも遅いのだなぁ
     ということなのかな

    (調べてみた)
    芭蕉が晩年、故郷の伊賀上野に滞在した時とのこと。基本江戸に住んでいたが、京都などで正月を過ごしたこともあった芭蕉が、わが故郷では遅れての万才が・・と思ったのかな



    カルタには入っていないだろうけれど、芭蕉で好きな句に
    田一枚植えて立ち去る柳かな
    というのがあって、

    なんで好きなのか自分でも分からなかったのですが…、
    山里の句にも惹かれるものがあることを併せて考えると、人の営みが入っている句が自分は好きなのか。蛙とかセミではなく。


    集めてはやし、も、ただ川の流れを詠んだ句と今までは思っていたのですが、実際に川下りを体験後に手を加え完成形を得たと知ってみると、前より面白く感じるような。


    この後も、どんな句が出てくるのか楽しみです。
引用返信/返信 削除キー/
■24410 / inTopicNo.76)  Re[15]: 俳聖かるた
□投稿者/ おくたがわ -(2022/07/07(Thu) 08:16:17)
    No24108に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    横からすみません。
    > >五月雨を集めてはやし最上川<
    >
    > 五月は暑かった?
    > そして、最上川付近では、その時期につゆみたいに(あるいは台風並みに)いっぱい雨が降ったのかしら?それとも季節関係なく、たまたま芭蕉さんが最上川を見たとき、その日は暑くて、その数日前にその地域ではいっぱ雨が降っていた、っていうことなのかな?

    旧暦の五月なので、一か月ずれていて今の六月らしい。
    それで五月雨は梅雨期に降る雨のことで夏の季語だそう。←自分も今回はじめて認識した。
    これで解決?
    それでも、
    -その日は暑くて、
    -つゆみたいにいっぱい雨が降った
    とイメージできるのが、悪魔ちゃんの感性の鋭さなんだろうな(お世辞)


    おまけ
    「五月晴れ」の使い方は?(NHK)
    https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/097.html
    『「五月」[サツキ]は旧暦・陰暦の呼称です。「旧暦5月(今の6月)が梅雨のころにあたるところから、もともと「五月晴れ」は「梅雨の晴れ間」「梅雨の合間の晴天」を指しました。ところが、時がたつにつれ誤って「新暦の5月の晴れ」の意味でも使われるようになり、この誤用が定着しました。「五月晴れ」について、主な国語辞書も「(1)さみだれの晴れ間。梅雨の晴れ間。(2)5月の空の晴れわたること」(広辞苑)「(1)五月雨(さみだれ)の晴れ間。つゆばれ。(2)5月のさわやかに晴れわたった空。さつきぞら」(日本国語大辞典・小学館)などと、新旧両方の意味を記述しています。ただ、俳句の季語としては、もとの意味で使われることが多く、「陽暦五月の快晴を五月晴と言うのは、誤用」と明記してある歳時記もあります。また、同じ「五月」のつくことばには、「梅雨」を指す「五月雨(さみだれ)」と、「梅雨のころの夜の暗さ」などを表す「五月闇(さつきやみ)」がありますが、この二つのことばは今でも本来の意味で使われています。』
引用返信/返信 削除キー/
■24108 / inTopicNo.77)  Re[14]: 俳聖かるた
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/06/23(Thu) 20:10:26)
    ねえ、田秋さん、

    >「早し」も始めは「涼し」だったそうですね。<
    で、

    >水量が増え濁流となった最上川<
    に、芭蕉さんていう人は、「涼しさ」を感じたのかしら?

    >五月雨を集めてはやし最上川<

    五月は暑かった?
    ん〜ん確かに、今では、ゴールデンウィークは暑いよね。
    そして、最上川付近では、その時期につゆみたいに(あるいは台風並みに)いっぱい雨が降ったのかしら?それとも季節関係なく、たまたま芭蕉さんが最上川を見たとき、その日は暑くて、その数日前にその地域ではいっぱ雨が降っていた、っていうことなのかな?


引用返信/返信 削除キー/
■24077 / inTopicNo.78)  Re[13]: 俳聖かるた
□投稿者/ 田秋 -(2022/06/21(Tue) 19:58:33)
    こんばんは、つばめさん

    芭蕉は実際最上川の川下りを経験したんですね。それを知っているつばめさんは
    「小舟で川を下っていくときの爽快感が想像できて楽しい気分になる一句です」
    というイマジネーションをお持ちになったのでしょうか。

    「早し」も始めは「涼し」だったそうですね。

引用返信/返信 削除キー/
■24060 / inTopicNo.79)  Re[12]: 俳聖かるた
□投稿者/ 田秋 -(2022/06/20(Mon) 22:08:48)
    こんばんは、つばめさん

    芭蕉の最上川の句は、水量が増え濁流となった最上川を目の当たりにした驚きを詠ってるのだとボクは想像しています。爽快感を感じている芭蕉を想像したことはありません。
    もちろん、ボク個人の感想です。

    兵どもがの句は、八幡平へ行ったときその草原をみて、ああ成る程と合点しました。草が戦ぐ音が無音状態を呼び起こし、その静けさが合戦の騒音を呼び起こすとは、人間の持つイマジネーション力って素晴らしいと思います(えっ、ボクだけ?)。
    「国破れて山河あり」の句は芭蕉の頭にあったと思います。二番煎じと揶揄できない高みに昇ってるので、誰も揶揄できないのでしょうね。この句は大好きです。

引用返信/返信 削除キー/
■24055 / inTopicNo.80)  Re[11]: 俳聖かるた
□投稿者/ つばめ -(2022/06/20(Mon) 20:01:44)
    七枚目です。

    五月雨を集めてはやし最上川   芭蕉



    「川下り」というのをしたことが無い私ですが、

    小舟で川を下っていくときの爽快感が想像できて楽しい気分になる一句です。

    でも。実際はビビりの私はジェットコースターにも乗るのが嫌です。

    あれに笑いながら乗るヒトっているんだろうな、羨ましいなと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■24031 / inTopicNo.81)  Re[13]: 雑
□投稿者/ つばめ -(2022/06/19(Sun) 21:03:50)
    No24028に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > >(この後何か言いたいけれど、言葉がない。)<
    > このつづき、言葉にしてるみるね。
    >
    > >誰でも世界の一部なんかじゃなくて世界そのもの。<
    >
    > >だから<
    >
    > >それぞれの世界があるだけ。<
    >
    > じゃなくて、
    >
    > <世界そのもの>を共有してるのが<誰でも>
    >
    > どう?こんなの、つばめちゃん。
    >

    こんばんは。

    <世界そのもの>を共有してるのが<誰でも>

    ここは ↑

    う〜ん。わからない。

    ただ、共有していることを望み、共有しているような幻想は抱きやすいと思う。

    実際、共有している幻想(共同幻想)は現実していると思うし。



引用返信/返信 削除キー/
■24028 / inTopicNo.82)  Re[12]: 雑
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/06/19(Sun) 20:52:33)
    >(この後何か言いたいけれど、言葉がない。)<
    このつづき、言葉にしてるみるね。

    >誰でも世界の一部なんかじゃなくて世界そのもの。<

    >だから<

    >それぞれの世界があるだけ。<

    じゃなくて、

    <世界そのもの>を共有してるのが<誰でも>

    どう?こんなの、つばめちゃん。



引用返信/返信 削除キー/
■24018 / inTopicNo.83)  
□投稿者/ つばめ -(2022/06/19(Sun) 20:11:51)
    そうね。

    あなたが私を思い出したとしても
    それは
    ただ桜並木を歩くあなたのほほに触れた風
    あなたを濡らした夏の雨

    あなたが私を思い出したとしても
    それは
    木の葉がふいに枝から離れる、そんな短い間
    今年最初の雪が地上に届く、そんなときの間のこと

    そして日々は
    過ぎ去り
    あるいは
    自分でも知らないどこかに積み重なり

    ひょっこりと忘れたころに
    何気ない日常の一コマに顔を出す。

    ・・・あ。
    ・・・違うかも。

    あなたの時間の中に私は現れず
    私だけがあなたを思っている、そんな図式かも知れない。

    うん。
    多分そう。(笑)


    ・・そうね。

    大分前から気づいていたわ。

    人ってさ、自分が世界の一部だと思っているでしょ?
    実は一部じゃない。

    誰でも世界の一部なんかじゃなくて世界そのもの。

    だから
    誰とも共有なんかできない

    それぞれの世界があるだけ。

    (この後何か言いたいけれど、言葉がない。)
引用返信/返信 削除キー/
■23883 / inTopicNo.84)  Re[10]: 俳聖かるた
□投稿者/ つばめ -(2022/06/12(Sun) 20:13:53)
    六枚目。


    夏草や兵どもが夢の跡  芭蕉

    瞬時に

    国破山河在
    城春草木深
    感時花濺涙
    恨別鳥驚心
    烽火連三月
    家書抵万金
    白頭掻更短
    渾欲不勝簪

    を連想するが、次に来たこれが強く心に響く。

            ↓

    年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山  西行

    以前友人が「平泉に京都のように観光客が集まらないのは、古い建物が焼き払われてしまっていて跡しか残っていないからだろう。」と言っていたことを何気に思い出す。

    命二つの中に生きたる桜哉  芭蕉

引用返信/返信 削除キー/

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