(現在 過去ログ3 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■31160 / inTopicNo.85)  Re[3]: 超越論的分析論X−5
  
□投稿者/ pipit -(2023/06/18(Sun) 23:31:44)
    2023/06/19(Mon) 07:13:14 編集(投稿者)

    うましかさん、こんばんは−(o^^o)

    No31146
    > ◇ 3 判断における思考の全ての関係は、<

    ふむふむ、判断てのは少なくとも2つ以上の表象の関係になるのかな?

    > a)述語の主語に対する関係、
    > b)根拠の帰結に対する関係、
    > c)区分された認識とその区分の全選言肢との相互関係
    > である。<

    例えで言うと?どんなこと言えるのかなー?と、中山元先生訳の第二巻p59.60開いて思わず笑ってしまいました。
    中山先生の[補注]が大量に!
    中山先生はいろんな方の訳もしてるのに、カントにも丁寧に向き合われてすごいなぁ。

    > a)述語の主語に対する関係<
    > b)根拠の帰結に対する関係<
    > c)区分された認識とその区分の全選言肢との相互関係<

    選言肢ってなにかな?と検索してみると、
    コトバンクさんに、
    『選言的判断において、選択されるべき2個またはそれ以上の述語。例えば、「受験者は合格者か不合格者かのいずれかである」における合格者・不合格者。』
    とありました。
    選択肢みたいなものかなぁ。
    その項目の相互関係?

    あ!カント自身が例文を出しているのですね!

    > ◇〔例えば、〕「完全な正義があるならば、常習の悪人は罰せられるだろう」という仮言命題は、もともと、「完全な正義がある」という命題と、「常習の悪人は罰せられる」という命題との二つの命題の関係を含んでいる。
    > これら二つの命題のいずれもが、それ自体で真であるかどうかは、ここでは決定されないままである。
    > この判断によって思考されるのは、その帰結だけである。<

    ↑これは
    > b)根拠の帰結に対する関係<
    の例としてカントが考えたものということなのですね。

    > c)区分された認識とその区分の全選言肢との相互関係<
    の例文としては、↓

    >「世界は盲目的な偶然によって現存しているか、さもなければ内的な必然性によって現存しているか、さもなければ外的な原因によって現存しているかである」という選言判断において、そうである。<

    カントはわかりにくい例え出してくるなー(ー ー;)(とpipitは思う...)

    世界の現存の理由に考えられる答えの複数の選択肢は、どの観点から区分されたものかということかな??

    > ◇最後に、選言判断は、二つ、或いはそれ以上の諸命題の対立関係を含むが、この関係は根拠から帰結への関係ではなく、一方の命題の圏域が他方の命題のそれを排除する限りにおいて、論理的対立の関係であり、しかも同時に、それらが合して本来の認識の圏域を充たす限りにおいて、相互性の関係である。<

    圏域かぁ、おもしろいワードだなぁ..

    > ◇それ故、その関係は一つの認識の圏域の諸部分の関係である、というのも、それぞれの部分の圏域は、区分された認識を全体的に総括するために他の部分の圏域を補足するものであるからである。<

    イメージ図が空間的になるなぁ...

    > ◇ この選言判断におけるそれぞれの命題は、世界一般の現存在に関する可能な認識の圏域の一部分を占めており、全てが合してその全圏域を成す。<

    ふむふむ

    > それらの諸圏域の一つから認識を除去するとは、その認識を残余の諸圏域の一つの内へと措定することに他ならない。
    > これに反して、認識を一つの圏域の内へと措定するとは、その認識を残余の圏域から除去することに他ならない。<

    【( 1)( 2)( 3)】

    ( 3)の認識を除去することは、( 1)か( 2)に認識を措定することであり、

    逆に、
    ( 3)に認識を措定することは、( 1)( 2)から認識を除去することになる。

    > ◇ それ故、選言判断の内には諸認識の或る種の相互性があり、この相互性は、それらの諸認識が互いに排除し合いながら、しかもそのことによって全体として$^の認識を規定するが、それは、それらの諸認識が一緒になって唯一の与えられた認識の全内容を成すからである。
    >
    > ◇ そして、このことは、次節のためにこの際注意しておく必要があると、私が認めるものですらある。<

    そうなんだ。
    今ふと思ったのは、
    私はあなたではない、あなたはわたしではない、
    というとき、

    > c)区分された認識とその区分の全選言肢との相互関係<

    という関係になるのかな??

    うましかさん、読書おつかれさまです!

引用返信/返信 削除キー/
■31146 / inTopicNo.86)  超越論的分析論X−5
□投稿者/ うましか -(2023/06/17(Sat) 07:44:37)
    2023/06/17(Sat) 07:45:21 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございます(/・ω・)/

    気がつけば、もう「純粋理性批判を読んでみる。48」になってた(;´・ω・)


    (´;ω;`)ウッ…

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第二節 (第九項) 判断における悟性の論理的機能について

    *******

    1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕
    ・全称判断 〔Allgemeine〕 〔すべてのAはBである〕
    ・特称判断 〔Besondere〕 〔あるAはBである〕
    ・単称判断 〔Einzelne〕  〔ある一つのAはBである〕

    2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕
    ・肯定判断 〔Bejahende〕 〔AはBである〕
    ・否定判断 〔Verneinende〕 〔AはBでない〕
    ・無限判断 〔Unendliche〕 〔Aは非Bである〕

    3 〔判断の〕関係=kRelation.〕
    ・定言判断 〔Kategorische〕 〔AはBである〕
    ・仮言判断 〔Hypothetische〕 〔もしAがBなら、CはDである〕
    ・選言判断 〔Disjunktive〕 〔Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである〕

    4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕
    ・蓋然的判断〔Problematische〕 〔AはBかもしれない〕
    ・実然的判断〔Assertorische〕 〔AはBである〕
    ・確然的判断〔Apodiktische〕 〔AはBでなくてはならない〕

    *******

    ◆ 2 同様に、超越論的論理学においては、無限判断〔unendliche Urteile〕≠ヘ肯定判断〔bejahenden (Urteil)〕≠ゥら、やはり区別されねばならない。
    たとえ無限判断が一般論理学においては肯定判断に数えられ、その区別の特別の項を成さないのが正当であるとしても、そうである。
    一般論理学では、述語のあらゆる内容を(たとえ述語が否定的であっても)捨象し、はたして述語が主語に付加されるのか、或いは主語と対立するか〔ということ〕にだけに注目する。
    しかし、超越論的論理学では、判断を、単に否定的な述語を媒介とする、この論理的肯定の価値または内容にしたがっても考察し、この論理的肯定がその全認識に関していかなる利得をもたらすかを考察する。
    〔例えば、仮に〕私が、霊魂について、「霊魂は死ぬものではない〔sie〔=die Seele〕 ist nicht sterblich〕」と言ったとすると、私は否定判断〔verneinenden Urteil 〕によって少なくとも〔「霊魂は死ぬものである」とする〕一つの誤謬を防いだことになる。
    ところで、〔これに対して、〕私は、「霊魂は死なないものである〔die Seele ist nichtsterblich〕」という命題によっては、霊魂を、不死なる存在者の無制限な外延の内に置くので、なるほどその論理的形式から言えば実際に肯定したのである。
    だが、死ぬものは可能的存在者の全外延の一部分を含み、死なないものは他の部分を含むので、私の命題によって主張されているのは、霊魂とは、私が死ぬものをことごとく除去しても残存するところの、無限に多くの諸物のうちの一つであるということ以外の何ものでもない。
    しかしこのことによっては、あらゆる可能的なものの無限の圏域が、死ぬものがその圏域から分離されて、残余のその圏域の空間の範囲のうちに霊魂が置かれる限りにおいて制限されるだけのことである。
    だが、この空間は、死ぬものが除去された際にも依然として無限のままであり、だからこの空間のいっそう多くの諸部分が除去され得るが、だからといって霊魂についての概念は、いささかも増大せず、また肯定的に規定されもしない。
    それゆえ、論理学的外延に関するこの無限判断は、実際には認識一般の内容に関しては単に制限的なものであって、その限り、この無限判断は、判断における思考の全ての契機を示す超越論的な表の内では見落とされてはならない。というのは、悟性がその際に行使する機能は、おそらく、悟性のア・プリオリな純粋認識の分野において重要であり得るからである。

    --- No.30874,30943からの続き ---

    ◇ 3 判断における思考の全ての関係は、
    a)述語の主語に対する関係、
    b)根拠の帰結に対する関係、
    c)区分された認識とその区分の全選言肢との相互関係
    である。

    ◇ 第一の判断様式〔述語の主語に対する関係〕においては、〔主語と述語という〕二つの概念だけが考察され、
    第二の判断様式〔根拠の帰結に対する関係〕においては、〔根拠を述べる判断と、帰結を述べる判断の〕二つの判断が考察され、
    第三の判断様式〔区分された認識とその区分の全選言肢との相互関係〕においては、〔互いに〕対立関係にある多くの判断が考察されている。

    ◇〔例えば、〕「完全な正義があるならば、常習の悪人は罰せられるだろう」という仮言命題は、もともと、「完全な正義がある」という命題と、「常習の悪人は罰せられる」という命題との二つの命題の関係を含んでいる。
    これら二つの命題のいずれもが、それ自体で真であるかどうかは、ここでは決定されないままである。
    この判断によって思考されるのは、その帰結だけである。

    ◇最後に、選言判断は、二つ、或いはそれ以上の諸命題の対立関係を含むが、この関係は根拠から帰結への関係ではなく、一方の命題の圏域が他方の命題のそれを排除する限りにおいて、論理的対立の関係であり、しかも同時に、それらが合して本来の認識の圏域を充たす限りにおいて、相互性の関係である。

    ◇それ故、その関係は一つの認識の圏域の諸部分の関係である、というのも、それぞれの部分の圏域は、区分された認識を全体的に総括するために他の部分の圏域を補足するものであるからである。

    ◇ 例えば、「世界は盲目的な偶然によって現存しているか、さもなければ内的な必然性によって現存しているか、さもなければ外的な原因によって現存しているかである」という選言判断において、そうである。

    ◇ この選言判断におけるそれぞれの命題は、世界一般の現存在に関する可能な認識の圏域の一部分を占めており、全てが合してその全圏域を成す。
    それらの諸圏域の一つから認識を除去するとは、その認識を残余の諸圏域の一つの内へと措定することに他ならない。
    これに反して、認識を一つの圏域の内へと措定するとは、その認識を残余の圏域から除去することに他ならない。

    ◇ それ故、選言判断の内には諸認識の或る種の相互性があり、この相互性は、それらの諸認識が互いに排除し合いながら、しかもそのことによって全体として$^の認識を規定するが、それは、それらの諸認識が一緒になって唯一の与えられた認識の全内容を成すからである。

    ◇ そして、このことは、次節のためにこの際注意しておく必要があると、私が認めるものですらある。


    † 原佑訳上巻、p.216〜p.217参照。
    † その他に、中山元訳2、p.59〜p.61、石川文康訳上巻、p.129〜p.131を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874、X−4 No.30943、X−5 No.31146
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146

引用返信/返信 削除キー/
■31134 / inTopicNo.87)  pipitの感想
□投稿者/ pipit -(2023/06/15(Thu) 22:37:17)
    悪魔ちゃんの言葉は、普通だったらとても失礼で言うのはひどいことだけど、
    哲学に関わる人には、すごく有意義な問いかけになる可能性はあるとpipitは思っています。

    自分に生存欲があること、他人にもあるだろうこと、
    その生存欲は愛する人のことも思ってのことなのか、己のための生存欲も優しく肯定できるのか、
    公共哲学に興味あったなら、
    この社会はひどい社会なのか否か、
    なんのために、良い社会にしたいと自分は思うのか、
    どうすれば良い社会になるのか、自分にできることはなにか、

    身体は機械なのか、機械と割り切るならどのようにメンテすればいいのか、目的はなにか、

    改めて自分の考え、気持ちがクリアになる、
    真実や真理を希求する哲学人として身をもって考える機会になる問いかけでもあるとpipitは思いました。




引用返信/返信 削除キー/
■31094 / inTopicNo.88)  Re[6]: 雨の日の日記
□投稿者/ pipit -(2023/06/14(Wed) 09:59:33)
    No30748

    change (the effect of the determinations in time)

    (´-`).。oO
引用返信/返信 削除キー/
■31093 / inTopicNo.89)  Re[5]: 雨の日の日記
□投稿者/ pipit -(2023/06/14(Wed) 09:55:50)
    近所に温泉があるんだけど、晴れの日に露天風呂の中の光のあみあみ見るの好きなんだけど、雨の日に露天風呂入るのももしかして楽しいかもと思った。

    光の紋 ではなくて きっと 雨の紋 だね!

    それは 水の紋 でもあり 空の紋 でもあり、

    空間の紋と時間の紋だなー と 思ってみた日記。

    (´-`).。oO
引用返信/返信 削除キー/
■31092 / inTopicNo.90)  雨の日の日記
□投稿者/ pipit -(2023/06/14(Wed) 07:35:28)
    みなさまおはようございます(^ ^)

    No31087
    >カテゴリーの正当性の検証や根拠付けみたいなことをこの演繹論ではおこなってるとして、、、
    一つ、とか、いくつか、とか、みんな、とか、原因と結果、とか諸々の概念を表現できる場が、現象の形式に用意されてる、ということなんかな。。。<

    現象の形式とは、【空間】と【時間】ですね

引用返信/返信 削除キー/
■31091 / inTopicNo.91)  Re[7]: 純粋理性批判B151
□投稿者/ pipit -(2023/06/13(Tue) 23:55:31)
引用返信/返信 削除キー/
■31090 / inTopicNo.92)  Re[6]: 純粋理性批判B151
□投稿者/ pipit -(2023/06/13(Tue) 23:52:43)
    Both are transcendental, not merely because they themselves precede a priori all experience, but also because they form the basis for the possibility of other cognition a priori.
引用返信/返信 削除キー/
■31089 / inTopicNo.93)  Re[5]: 純粋理性批判B151
□投稿者/ pipit -(2023/06/13(Tue) 23:52:08)
    in contradistinction to that which is cogitated in the mere category in regard to the manifold of an intuition in general, and is called connection or conjunction of the understanding (synthesis intellectualis).
引用返信/返信 削除キー/
■31088 / inTopicNo.94)  純粋理性批判B151
□投稿者/ pipit -(2023/06/13(Tue) 23:51:22)
    次の英訳を投稿します。アクセス禁止になるので少しずつ投稿してみます。

    This synthesis of the manifold of sensuous intuition, which is possible and necessary a priori, may be called figurative (synthesis speciosa),

引用返信/返信 削除キー/
■31087 / inTopicNo.95)  気づいた日記
□投稿者/ pipit -(2023/06/13(Tue) 23:33:49)
    みなさまこんばんは!

    No31048
    ------------------------
    >And in this manner the categories as mere forms of thought receive objective reality, that is, application to objects which are given to us in intuition, but that only as phenomena, for it is only of phenomena that we are capable of a priori intuition.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap50

    翻訳アプリDeepLに日訳していただきました。

    『このようにして、単なる思考の形式としてのカテゴリーが、客観的な現実を獲得する。つまり、直観において与えられる対象への適用であるが、それは現象としての適用にすぎない。』
    ------------------------

    あら?今気づいたけど、
    for it is only of phenomena that we are capable of a priori intuition.
    の部分が訳すの省かれてるやん?

    ここだけを改めてDeepLに日訳してもらうと
    『というのも、私たちがアプリオリに直感できるのは、現象だけだからです。』

    となりました。

    ふむむ
    カテゴリーの正当性の検証や根拠付けみたいなことをこの演繹論ではおこなってるとして、、、
    一つ、とか、いくつか、とか、みんな、とか、原因と結果、とか諸々の概念を表現できる場が、現象の形式に用意されてる、ということなんかな。。。

    円をWindowsのペイントに描くことがアプリオリに可能となるとき、ペイント内において円という概念は適法である、みたいな。。。
引用返信/返信 削除キー/
■31061 / inTopicNo.96)  御子柴善之泉☆彡
□投稿者/ pipit -(2023/06/13(Tue) 00:06:48)
    みなさま、こんばんは(^_^)
    No31048
    > 明日読めたら、御子柴善之先生の解説見てみようかな。<

    解説本『カント 純粋理性批判』御子柴善之先生著、角川選書p218.219を読みました。
    抜粋引用します。
    『さて、純粋悟性概念はア・プリオリな直観(空間と時間)を媒介として、経験的直観に適用されます。
    というのは、ア・プリオリな直観は、一方で認識主観のもつ形式として意識の統一下にあり、他方で一切の経験的直観の形式だからです。
    この構造は、「物」ではなく「物の形式」のみにかかわる数学的認識であっても同じです。
    Aしたがって、物の認識は、カテゴリー(純粋悟性概念)が経験的直観に適用され得るかぎりで成立することになります。
    このとき経験的直観は知覚として与えられるしかないこと、つまり概念的な思考が知覚を生み出すわけではないことを踏まえるなら、カテゴリーは、物の認識という点では、経験的直観を素材とした経験的認識を可能にするものでしかないことは明らかでしょう。』
    引用終了。

    アプリオリな【純粋】直観を、カテゴリーと経験的直観の媒介にするということ?
    図式のことが頭によぎるな。

    純粋直観は、意識の統一下にアプリオリに属するもので、
    経験的直観の形式でもあるので、、、

    経験的に直観が生じた時、純粋直観を媒介として、カテゴリーが生じた直観に適用される。

    単なる思考の形式が、純粋直観を媒介として、経験的直観に適用される、、、

    もし、純粋直観が人間の構想力の作用で生じるものとかだと言うとしたら、
    二つの枝の一つの根っこをついつい思い浮かべちゃうなぁ
    感性、悟性の二つの枝 と 構想力の一つの根っこ。。。
    カントが、そう言っているわけではないんだけど。

    どうなるんかなぁ、また先を読んでみます。。。
    丁寧に文意を読めるといいんだけど、自信ないなぁ
    (T . T)
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -