(現在 過去ログ3 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■30266 / inTopicNo.37)  Re[40]: :爆発物
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/16(Sun) 20:06:55)
    もっとうまくやればよかったのに。
引用返信/返信 削除キー/
■30241 / inTopicNo.38)  Re[39]: :「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/15(Sat) 19:49:22)
    つづきね。

    No30238のからの、
    わたしの勝手なやつね。

    「コギト」における「コギタチオ」と「コギタートゥム」の区別、そしてこれに対応するような「ノエシス」と「ノエマ」の区別。

    「ノエシス」と「ノエマ」、前者を「する(こと)」、後者を「されたもの」って見て、これを区別しとく。
    「する(こと)」っていうのは運動のこと、現在進行形のing(している)みたいなのとして。
    あ、正確には、
    No。。。。の(b)にあるような「コギターレ」とか「ノエイン」っていうことになるんかもしれないけどここんとこは曖昧にしとく。
    「する(こと)」によって「されたもの」が出来るのね。「する(こと)」っていうのは何かがするわけだから、それを「するもの」ってした。で、
    「するもの」が「する(こと)」によって「されたもの」が出来る。
    こういう関係で見るのね。

    こういうのって、「コギト(私は思う)」っていう「思う(こと)」だけじゃなくて、「私は感じる」っていうことにも使えるのね。
    「感じる(こと)」と「感じられたもの」って区別、っていうふうに。

    (a)の、
    『真のコギトは、かえって私の思惟そのものを、破棄されえない一つの事実と認め』の「思惟」っていうのは[cogitatio(思うこと)](運動)だから、メルポンは、〈私の思う(こと)そのものは破棄されえない一つの事実と認める〉っていってるんじゃないかしら。これをわたしなりに簡単にいっちゃうと、
    私が<思う(こと)>によって、どのようなものが<思われたもの>になってるかは別としても、<思う(こと)>そのものは、事実あるんじゃない?
    みたいな。

    『コギトは私を状況にあるものとして、あばき出さなくてはならない』が、『私を「世界における(への)存在」(etre au monde)として露呈する』になってくるんだと思う。

    (c)の、
    [cogito(私は思う)]っていう「思う」じゃなくて「意識」、「私の意識」で見て見ると、
    意識にも「する(こと)」と「されたもの」の区別を考えるのね。
    No30108に、
    〔およそ人間が経験し知るいっさいのものは、意識を通じ、「意識された」ものという形で経験され知られるが、その際、経験され知られるほうのものは、普通、意識の「対象」ないし「意識内容」とよばれ、経験し知る働きの側面は「意識作用」と称される。〕
    っていうのがあった。
    ようするに、「意識」には「意識作用」←する(こと)と、「意識内容(対象)」←されたもの、が区別されてる、っていうことになるのかな?これを図にして見た。添付しま〜す。ちなみに、<対象>っていうの、<意味づけされたもの>って、わたし今んとこ見てる。

    そしてフッサールの問いは、
    『対象を志向し認識する意識主観の諸機能は何か』
    『志向される対象は意識主観に対して、どのような仕方で存在者として与えられうるか』
    みたい。

1188×716 => 600×361

1681555762.jpg
/50KB
引用返信/返信 削除キー/
■30240 / inTopicNo.39)  Re[38]: :「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/15(Sat) 19:37:38)
    あれ?間違っちゃ見たい。
    私絵、
    No30200だったみたい。
引用返信/返信 削除キー/
■30238 / inTopicNo.40)  Re[37]: :「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/15(Sat) 18:56:13)
    No30201の私絵について、少しづつお喋りしてくことにする。

    <私を「世界における(への)存在」(etre au monde)として露呈する>(etreの最初のeの上の^は省略します)
    っていうのは、

    (a)【モーリス・メルロ=ポンティ著『知覚の現象学』1945中島盛夫訳発行所法政大学出版局2009】のなかにあった、
    ***********
    『…コギトは私を状況にあるものとして、あばき出さなくてはならない。そうしてこういう条件においてのみ、フッサールのいうように、超越論的主観性は相互主観性たることが可能なのである。省察する自我としては、なるほど私は私から世界と物とを区別することができる。たしかに私は物のあり方で実存しているのではないからだ。私は、諸物のうちの一つの物として、物理−化学的諸過程の集まりとして、理解された私の身体を、私から隔てることさえ、あえてなすべきである。しかし、こうして見出された思惟(cogitatio)も、客観的な時間と空間のうちにあるものではないにせよ、現象学的世界のなかに占むべき場所をもたないわけではない。因果の関係によって結びつけられた物もしくは諸過程の集まりとして私が私自身から区別した世界を、私のいっさいの思惟の恒常的な地平として、また私がそれに対してたえず自分を状況づける(se situer)の一つの次元として、私は「私のうちに」再び発見するのである。真のコギトは、主体の実存を、実存することについて主体がもつ思惟によって定義したり、世界の確実性を世界に関する思想の確実性に転化したり、結局、世界そのものを世界という意義によって置き換えたりたしはしない。真のコギトは、かえって私の思惟そのものを、破棄されえない一つの事実と認め、私を「世界における(への)存在」(etre au monde)として露呈することによって、あらゆる種類の観念論を廃するのである。…』(p11−12)
    ***********
    っていうところにあったのから拝借〜。

    ここんとこあらためて読みなおしてみてるなかで、気づいたんだけど、
    ここでは『cogitatio』っていうの、『思惟』って訳されているけど、もういちど「コギトcogito」について見て見ることにした。(現象学は「いつも最初からやり直す」とか「永遠の初心者」っていう姿勢だし)

    (b)【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注のなかに、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    〔cogitatio:デカルトの有名なテーゼ「我思う、ゆえに我あり(Cogito,ergo sum)」で使われている「コギト(cogito)」という語は、原形が「コギターレ(cogitare)」となる動詞の、一般人称単数「エゴ(ego)」を主語とする人称変化形であるのに対し、「コギタチオ(cogitatio)」というのは、同じ動詞「コギターレ」から派生した、動詞の名詞化である。〕(p283)

    〔「ノエマ」という語は、ギリシア語の「ノエイン」という動詞の過去分詞形で、同じ動詞の名詞化である「ノエシス」と対概念をなす。「ノエイン」は、ラテン語の「コギト(原形はコギターレ)」に対応する語で、「コギト」と同様に「思う、思惟する」と訳すことができる。それゆえ、「ノエシス」を「思うこと、思惟すること」とし、「ノエマ」を「思われたこと、思惟されたこと」とすることもできる。フッサールは、後述される現象学的還元において捉えられようになる志向的な体験を、自然主義的な歪曲を排除して、与えられるままに捉えたものを、「ノエシス」と「ノエマ」という相関的な述語で呼んでいる。ここでは、「事実として与えられている諸学」が持っている「理念」を与えられるがままに捉えたのが「ノエマ的な現象」と呼ばれている。〕(p286)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    っていうのがあって、

    (c)【「現象学事典」弘文堂2014】の「志向性」(p.177)のところに、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    フッサールによれば「志向性という言葉は、意識とは何かについての意識であり、コギトとしてそれ自身のうちにコギタートゥム〔=意識内容としての志向的対象〕を保持しているという、意識のこの一般的な根本特性を意味して」おり、そして「この志向性という名称には、ヒュレーの諸問題までも含む、現象学のあらゆる問題が組み込まれている」のである。事実、彼の現象学的考察はcogito-cogitatumの、すなわちノエシスーノエマの相関関係を分析して記述する作業を通して、〈対象を志向し認識する意識主観の諸機能は何か〉という問いと、〈志向される対象は意識主観に対して、どのような仕方で存在者として与えられうるか〉という問いをめぐって、順次展開され深められるのである。つまりこの志向性の問題はフッサールを必然的に、認識論と存在論と自我論を連結統合する広範の研究領野へ導き、さらに時間論の考察も促す根本動因であるから、彼の著書、講義録のどれもが実にさまざまな観点から志向性の構造と諸機能を詳細に論述している。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    っていうのもあった。

    ちょっとわたしの頭の中で整理して見ると〜、

    [cogito],[cogitatio],[cogitatum]があるのね。
    この関係はどうなってるのかな?って。

    [cogito]を「意識」ってしてする? いや、やっぱ、[ego cogito]的に「私は思う」にしとく。

    [cogito(私は思う)]のうちに、[cogitatio(思う)]とそれによって[cogitatum(思われたもの)]が区別される、みたいなんにしとく。
    超簡単に図にしてみたのを添付します。

    つづく。

1188×716 => 600×361

1681552573.jpg
/45KB
引用返信/返信 削除キー/
■30206 / inTopicNo.41)  Re[36]: :「意識」
□投稿者/ pipit -(2023/04/10(Mon) 20:48:33)
    いや、再生像って、記憶かぁ ( ̄▽ ̄;)
引用返信/返信 削除キー/
■30205 / inTopicNo.42)  Re[35]: :「意識」
□投稿者/ pipit -(2023/04/10(Mon) 20:47:30)


    No30203、悪魔さま

    > >思考ingの中での対象は、記憶像ということ?<
    > ん〜ん、ここんとこ、わたしのはちょっと違う。
    > 始めて見るものには、その記憶はないよね。<

    じゃあ、ingを知ることができない、って、知る対象は再生像ということ?


    > >カントの場合は認識としては不可知としてるみたいだけどね。<
    > わたしもカントはそう言ってるんじゃないかって見てる。
    > わたしがひっかてるのは<認識としては>っていうところ。
    > わたしのばあい「意識=認識」じゃななのね。<

    うん。
    私まだよくわからないんだけど、カントにとって、物自体についての存在論、なに語ってるのかな、って、私にとってはまだナゾだよ。


引用返信/返信 削除キー/
■30204 / inTopicNo.43)  Re[35]: :「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/10(Mon) 20:44:09)
    ■30203 、間違えちゃたかも
    >わたしのばあい「意識=認識」じゃななのね。<
    <じゃないのね>です。

    「意識>認識」
引用返信/返信 削除キー/
■30203 / inTopicNo.44)  Re[34]: :「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/10(Mon) 20:35:22)
    ■30201、pipitさま、

    >思考ingの中での対象は、記憶像ということ?<
    ん〜ん、ここんとこ、わたしのはちょっと違う。
    始めて見るものには、その記憶はないよね。
    乳幼児は、初めて見るものばかり。
    もっとも、生まれ変わる、っていう信念の場合、これは無なのかも?

    >カントの場合は認識としては不可知としてるみたいだけどね。<
    わたしもカントはそう言ってるんじゃないかって見てる。
    わたしがひっかてるのは<認識としては>っていうところ。
    わたしのばあい「意識=認識」じゃななのね。






引用返信/返信 削除キー/
■30201 / inTopicNo.45)  Re[33]: :「意識」
□投稿者/ pipit -(2023/04/10(Mon) 19:30:44)
    悪魔ちゃん、返信ありがとう!

    No30200に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > こんばんわ〜、pipitさま、
    >
    > >赤色見えてる意識に、省察で接近するしかないということ??<
    > pipitさまが思ってるのと違うかも、だけど。
    >
    > <赤色が見えてる意識>っていうのを〈感-知覚(感性)の世界〉、<省察>を〈思考(知性)の世界〉って見ると、思考は感性へ志向して思考してるんじゃないかしら?ってわたし思ってる。<

    思考ingの中での対象は、記憶像ということ?

    記憶像意識は感性ing意識と別物だから、

    (悪魔ちゃん)
    >このような<ingの意識>は、私には知ることができないんじゃないかしら?って。<

    って悪魔ちゃんは言ったのかなあ。

    脳がない生物の感性ing、どうなってるんだろうね?
    何を知るのかな?
    それとも知らずに反応だけする?
    知る、っていう言葉も、意味が難しく思えてくるよ。

    > このごろ、「意識」について調べるなかで、「意識」っていうのは「ingの」における、って。こう見たとき、メルポンが言ってること、なんか分かるような気がしてきてる。
    >
    > でね、また私絵を描いて見たんだけど、まだ途中だからこれについてのお話しはいつかにする。
    >
    > 添付しま〜す。
    >
    > あ、ちなみにわたしのばあい〈対象〉っていうのは私の意識の中に位置づけてる。これと区別するために意識の外にあるものを「対象物」ってした。ほら、カントの言う「物自体」っていうのをこれで表して見たんだけど。<

    うん。カントの場合は認識としては不可知としてるみたいだけどね。

    教えてくれてありがとね!
引用返信/返信 削除キー/
■30200 / inTopicNo.46)  Re[32]: :「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/10(Mon) 18:46:06)
    こんばんわ〜、pipitさま、

    >赤色見えてる意識に、省察で接近するしかないということ??<
    pipitさまが思ってるのと違うかも、だけど。

    <赤色が見えてる意識>っていうのを〈感-知覚(感性)の世界〉、<省察>を〈思考(知性)の世界〉って見ると、思考は感性へ志向して思考してるんじゃないかしら?ってわたし思ってる。

    このごろ、「意識」について調べるなかで、「意識」っていうのは「ingの」における、って。こう見たとき、メルポンが言ってること、なんか分かるような気がしてきてる。

    でね、また私絵を描いて見たんだけど、まだ途中だからこれについてのお話しはいつかにする。

    添付しま〜す。

    あ、ちなみにわたしのばあい〈対象〉っていうのは私の意識の中に位置づけてる。これと区別するために意識の外にあるものを「対象物」ってした。ほら、カントの言う「物自体」っていうのをこれで表して見たんだけど。

1354×717 => 600×317

1681119966.jpg
/114KB
引用返信/返信 削除キー/
■30191 / inTopicNo.47)  Re[31]: :「意識」
□投稿者/ pipit -(2023/04/09(Sun) 18:54:39)
    今日一メートルくらいの身長の自律走行ロボットと2歳くらいの幼児がそばにいる場を見たんだけど、あの女の子にはロボットの立ち姿、
    どんな世界が映ってたのかな

    「ロボットかわいいね、かんがえてんのかな」って女の子に話しかけると、
    女の子は
    「ちがあうよ」
    って言ってたよー
引用返信/返信 削除キー/
■30190 / inTopicNo.48)  Re[30]: :「意識」
□投稿者/ pipit -(2023/04/09(Sun) 18:39:38)
    悪魔ちゃん、こんばんは(^○^)

    No30189
    >「意識」についていくつか調べてみて、その意味(イメージ)を言葉で表現してみたのが、<私の経験的主観的現象(現在の象)>になったんだけど、このような<ingの意識>は、私には知ることができないんじゃないかしら?って。<

    え?どうして??
    赤色見えてる時、赤色見えてる意識と、私は知るという意識はタイムラグがあるということ???


    >これに接近する方法に、省察(みずからかえりみて、そのよしあし、是非を考えること)によるしかないのかな?とも。<

    赤色見えてる意識に、省察で接近するしかないということ??
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -