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■30666 / inTopicNo.13)  Re[64]:  言葉のざわめきの下
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/13(Sat) 18:27:30)
    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】でメルポンが言ってる、
    『言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。』(p305)
    から、〈生の原初自然な世界(あるいは意識)〉ってわたしが名づけたの、ここんとこもう一度見てる。
    っていうのは、メルポン関連で、
    kenkyu0020100960.pdf (hit-u.ac.jp)
    「鏡と再認の構造 −H・ワロンの身体意識論− 鈴木一策」っていうのを見つけて、これ見ていろいろ調べて考えてるところ。
    鈴木さんのワロンので、
    〔六ケ月以降という「みだらな社交性」(ワロン)一の時期,「鏡像段階」(ジャック・ラカン)が始まるのである。〕って書いてあるから、この時期の物語りみたい。「私」についてのことだから、感心があって。

    その前に、この時期、っていうのをいろんなところから調べてわたしが簡単にまとめたのを書いとく(前にもどこかで書いたかも?だけど)。

    0歳
    新生児 新生児の脳は成人の23%。脳幹はほぼ完成。海馬は未完成。
        身体全体での全体運動。でたらめの運動。
    1ヵ月
    2ヵ月
    3ヵ月 首がすわる。腹ばいで頭、肩をあげる。
    4ヵ月 手に触れたものをつかむ。
    5ヵ月 聴・視・嗅・味−感覚完成
        見たものをつかむ。
    6ヵ月        
    7ヵ月
    8ヵ月 這う。つかまり立ち。
    9ヵ月 エンコして両手に物を握る。
    10ヵ月 坐るために身体をおこす。
    11ヵ月 つたい歩き。
    12ヵ月 ひとりで立つ。

    1歳
    1ヵ月 つかまり歩き、ひとり歩き。  一語文「ウマウマ」「ワンワン」
    2ヵ月
    3ヵ月 ひとりで歩きまわる。     カテゴリー化始まる。時間的順番の理解
    4ヵ月                語の理解(語の生産より3ヵ月先行)
    5ヵ月                ものの分類から命名へ
    6ヵ月  
    7ヵ月               「ママブブ―」「パパイス」語の組合せ
    8ヵ月  
    9ヵ月  
    10ヵ月 
    11ヵ月 
    12ヵ月

    わたし、表にしてあって、もう少しあるけど今見てるところと関係すると思われるところだけ書き出して見ました。

    子どもを育てたことある人はもう体験して知ってることだと思うけど…・

    鈴木さんのをきっかけとしてラカンのを調べてわたしのをまとめようとしてるところ。

    ジャック・ラカンの「鏡像段階」っていうのは、生後6ヵ月から1歳6ヵ月のころを見てるみたい。

    ひとまずこれを書いといて。

引用返信/返信 削除キー/
■30634 / inTopicNo.14)   言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/11(Thu) 20:18:48)
    わたしは、
    子どものころ、
    世界を、どのように見て、どのようにかかわってきたのか、
    もう、思い出せないでいる。
引用返信/返信 削除キー/
■30595 / inTopicNo.15)  フィロソフィア
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/07(Sun) 18:51:29)
    ここ、「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、(心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけていると、)」だからね。

    「私は何も知らない」っていうソクラテスの「判断」に対して、
    メルポンの「私は何をしているのだろうか」っていう「問い」の方が、
    なんかフィロソフィア(知ることを欲する)的、って、わたし思う。
引用返信/返信 削除キー/
■30575 / inTopicNo.16)  Re[61]: 全国民を殺す
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/06(Sat) 20:41:43)
    あ、ごめん、
    >日本国とその民を全て消滅することを計画する<
    に、「だけを」が抜けてた。
引用返信/返信 削除キー/
■30573 / inTopicNo.17)  Re[60]: 全国民を殺す
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/06(Sat) 20:20:57)
    人間が作り出した「国」と「国民」っていうのあるよね。
    でね、ある一つの国、ん〜ん、たとえばここでは「日本」ってするね。この日本国とその民を全て消滅することを計画するのね。

    このとき、人類が手にした手段として、いちばん効果的なのは「核爆弾」かな?
    ま、手段は別として、どうしたら、それが可能になるのかを、いま考えてる。

    人間が作り出した「日本国」とそこに暮らす「日本国民」だけを全て地球上から抹殺するその方法を。

    日本国という土地に暮らしてない人には関係ない話し。




引用返信/返信 削除キー/
■30571 / inTopicNo.18)  Re[59]: 原初的意識
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/06(Sat) 19:53:38)
    〈原初的意識〉、「認識」じゃないよ。

    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】のなかに、

    『すでに物が見えている子供は、例えばハサミの使い方を初めて理解した後では、一目で直ちにハサミをハサミとして見るようになる。』(p200)

    っていうのある。わたしもそう思ってる。

    「ハサミ」を「民主主義」とか「資本主義」とか「福祉国家」とか「社会主義」とか「共産主義」とか「ケインズ主義」とか…・、どこの誰かが言い出した思考されたもの(ノエマ)。

    大人になった?知識人?も、同じなじことしてる場合もあるんじゃないかしら?












引用返信/返信 削除キー/
■30536 / inTopicNo.19)  Re[58]: 「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/02(Tue) 20:54:39)
    いまは「意識」についてなんだけど、こういうことをしてるなかで、ふと思ったんだけど、
    私を世界-内-存在として見て、そのうちで世界と私との関係性を見ようとしてるのかもしれない、って。
    ん〜ん、世界の一区画での、っていう世界もアリね。

    でももうちょっと、「意識」について、現象学の本の中に書かれたあるところを抜き出して見る。

    【モーリス・メルロ=ポンティ著『行動の構造』1942 滝浦静雄・木田元訳みすず書房 2014】を〔MC上・下〕、
    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】を〔MP〕、
    ってする。

    わたしのばあい、ing(している)の意識を、っていうことになったんだけど、
    〔MC下〕に、
    『〈生きられる〉意識』(p84)っていう言い方がされてる。
    わたしが読んでる現象学の本のなかには、「生きられる」とか「生きられた」とか「生(なま)の」って表現されてるところがある。こういう意識――ノエシス――する(こと)を描きだそうとしてるが現象学なんじゃないか、って。

    (j)『意識とはこの瞬間、環境と行為との弁証法以外の何ものでもないのである、』(MP-p73)
    ――「弁証法」っていうのをネットで調べたら、「問答」とか「対話」ってあった。

    (k)『初発段階の意識を分析の対象とするやいなや、それには〈ア・プリオリな形式〉と〈経験的内容〉という周知の区別(90)が適用できないということにわれわれは気づくのである。異論の余地のないかぎりのところで考えるならば、ア・プリオリなものとは、一部ずつ理解することができず、最初から分解不能なひとつの本質として考えられなければならないものということであり、反対にア・ポステリオリなものとは、思考の全面でひとつひとつの外的諸部分の寄せ集めから構成されうるものを指すということになる。カント主義の特質は、ア・プリオリな構造をそなえたものとしては、ふたつのタイプの経験、つまり外的対象の世界の経験と内官の状態の経験のふたつだけしか認めないということ、そして経験のそれ以上の特殊規定、たとえば〈言語〉の意識とか〈他人〉についての意識とかは、ア・ポステリオリな経験の多様性に帰しているということである。』(MC下p77)
    原注(90)『カントにおいては、質料と形式との区別は明らかに、あたかも二力の複合からひとつの合力が得られるといったふうに認識を生みだすところの、ふたつの力ないしふたつの実在的要素の区別ではない。にもかかわらず、意識が自己自身を反省して全体的意識になれば、関係判断と、判断の対象となる経験の諸項との区別や、また空間と空間を充たす諸性質との区別が露呈されてくる、というのもやはり正しい。このような理念的(イデアール)的分析が批判哲学を構成しているのである。』(下p180)
    ――カントのはよくわかんないから横に置いとくとして、『初発段階の意識』っていうの、わたしのばあい、〈乳幼のころの意識〉って見て、この頃の意識って「ア・プリオリの」ってわたし見てる。メルポンは『言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。』〔MPp305〕って言ってるし。そして、この頃の意識は、『一部ずつ理解することができず、最初から分解不能なひとつの本質として考えられなければならないもの』ってメルポンは見てるんかな?。この「本質」の意味もめんどくさい語だけどね。

    (l)『意識とはむしろ、ときには意識自身に明晰な、またときには認識されるのではなくかえって生きられるだけのものであるような〈意味的志向の束〉なのである。そのように考えてこそ、行為の観念を拡大しながら、行為と意識とを結びつけることが可能となろう。』(MC下p81)
    ――ここにも『認識されるのではなく』っていう意識がある、っていうことで、やっぱ意識と認識は区別されてるみたい。あと『生きられる』っていうのもある。

    (m)『意識とは根源的には、「・・・・・・と我思惟す」ではなくして「我‥‥‥し能う」(122)である』(MPp235)
    原注(122)この用語はフッサールの未刊の文献のなかによく出てくる。
    ――「能う」をネットで調べたら、「あたう」っていうんだって、わたし読めなかった。で、意味は、
    1 可能の意を表す。なしうる。できる。
    2 理にかなう。納得がいく。
    3 適する。相当する。
    ってあった。

    No30415の(i)で、「素朴実在論」っていうの調べたけど、ちょっと似てる感じのがあったので、
    (o)〔MC下〕(p101-102)に「素朴的意識とその経験的実在論」と題してあって、
    『今日まで一般に素朴的意識は実在論的だと言われてきたが、それは言い過ぎというものである。かりにそうだとしても、この問題について少なくとも、常識の見解、つまり知覚したことを常識的な言葉で述べるその報告(1)と知覚的経験そのものの区別――話された知覚と生きられている知覚との区別−―ぐらいはしておくべきであろう。かりにわれわれが話すことも反省することもなく、ただ対象のなかでいきるときにわれわれにあらわれるがままの諸対象に立ち返って、そのあり方を忠実に記述しようと努めるならば、それらはなんら実在論的比喩などを呼び起こしはしない。もし直接的意識の告げるところにしたがうなら、私がその上で書いている机、また私がいまいる部屋、そして私の感覚野の向こう端でぐるっと私をとりまいて閉じあわされているその壁、さらに庭、路地、街、最後の私の空間的地平の全体——こういったものは、私がそれらにもっている知覚の〈原因〉として――つまり私のなかのそれら諸対象の印を刻みつけたり、あるいは一種の他動詞的作用によって対象そのものの像を生みだす〈原因〉として――私にあらわれるのではない。むしろ私の知覚は、対象をその在る場所に開示し、それまで潜伏していた対象の〈現前〉をあらわにする光の束のごときものであるように思われる。』
    原注(1)(下p182)直接の知覚と、言葉による報告との区別は、たとえ言語意識というものが一次的なものであり(全章参照)、知覚に比べてさえそうだとしても、やはりただしい。
    ――ここにある『話された知覚と生きられている知覚との区別』っていうので思ったんだけど、
    No30397で見たような、「対象としての自然」と「出来事としての自然」との区別、を想い出す。
    この「対象としての○○」と「出来事としての○○」という区別は○○のなかにいろんなのが入れられる気がする。
    ここでは○○に「知覚」を入れて、結びつけちゃうと、
    a.話された知覚―対象としての知覚(知覚を対象にして)−ノエマ—されたもの
    b.生きられた知覚−出来事としての知覚−ノエシスーする(こと)
    そして、わたしのなかでは、
    No30397の、
    『『無数の真なる判断の対象としての世界』についての〈知性的意識〉』がaと、『〈現実に存在するものとしての世界〉についての知覚的意識』―『世界のこれこれの一区画やそれに隣接する地平についての〈私の知覚〉』がbと、結びついてて、
    No30404で、
    わたしが描いたようなものと結びつけられてる。
    わたしの〈ing(している)の意識〉はbの方になるかな。aをひとまずエポケーして。

    「意識」について、おもに現象学のから見てきたのはこんなところにしとく。

    ところで、「客観的認識」とか「客観的世界」とかいうのどういうのかしら?ってふと思ってる。

引用返信/返信 削除キー/
■30525 / inTopicNo.20)  Re[57]: 「意識」
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/05/01(Mon) 22:25:56)
    No30524に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No30506、マジモンさん、
    >
    > >有名なヒトとチンパンジーの違いの実験だね。<
    > なんか、よくわかんない。
    >
    > >A+B=2
    >
    > > ↓
    >
    > >文字 記号 文字 記号 数字 の羅列
    >
    > よくわかんないけど、
    >
    > No30341の(e)、
    > 『…‥フッサールが初期の現象学に与えた命令、つまり「記述的心理学」であれ、もしくは「事象そのものに」帰れという命令は、(p3)…‥事象そのものに帰るということは、認識に先だつ世界に帰ることである。(p5)…・』
    > のつづきに、
    > 『認識はつねにこの世界について語るのであり、これに対してはいかなる科学的規定も、抽象的、記号的、依存的である。これは、森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景に対して、地理学が抽象的、記号的、依存的であるのと同様である。』
    > ってあったのを想い出してるよ。
    >
    > ところでね、マジモンさんのなかに「ダンゴムシ」っていうのがいるみたいだけど、わたしその虫、たぶんわたし見たことあるけど、よく知らなかったからウィキで調べて見たら、
    > ・・・・・・・・・・・・
    > ダンゴムシ(団子虫、英: wood louse, pl. wood lice)とは、ワラジムシ目(等脚目)の動物のうち、陸生で刺激を受けると体を丸める(団子のような体勢になる)習性を持つものを指す。一般に「ダンゴムシ」と呼ばれるものはオカダンゴムシである[1]。
    > 広範囲の土壌に生息して分解者の役割を担い、土壌形成上、一定の役割を果たしているものと考えられており、食性と生態から自然界の分解者という要素が強い。
    > ・・・・・・・・・・・
    > ってあった。
    > 〔自然界の分解者〕っていう意味でいい?


    ダンゴムシはあだ名だわな

引用返信/返信 削除キー/
■30524 / inTopicNo.21)  Re[56]: 「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/01(Mon) 18:56:19)
    No30506、マジモンさん、

    >有名なヒトとチンパンジーの違いの実験だね。<
    なんか、よくわかんない。

    >A+B=2

    > ↓

    >文字 記号 文字 記号 数字 の羅列

    よくわかんないけど、

    No30341の(e)、
    『…‥フッサールが初期の現象学に与えた命令、つまり「記述的心理学」であれ、もしくは「事象そのものに」帰れという命令は、(p3)…‥事象そのものに帰るということは、認識に先だつ世界に帰ることである。(p5)…・』
    のつづきに、
    『認識はつねにこの世界について語るのであり、これに対してはいかなる科学的規定も、抽象的、記号的、依存的である。これは、森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景に対して、地理学が抽象的、記号的、依存的であるのと同様である。』
    ってあったのを想い出してるよ。

    ところでね、マジモンさんのなかに「ダンゴムシ」っていうのがいるみたいだけど、わたしその虫、たぶんわたし見たことあるけど、よく知らなかったからウィキで調べて見たら、
    ・・・・・・・・・・・・
    ダンゴムシ(団子虫、英: wood louse, pl. wood lice)とは、ワラジムシ目(等脚目)の動物のうち、陸生で刺激を受けると体を丸める(団子のような体勢になる)習性を持つものを指す。一般に「ダンゴムシ」と呼ばれるものはオカダンゴムシである[1]。
    広範囲の土壌に生息して分解者の役割を担い、土壌形成上、一定の役割を果たしているものと考えられており、食性と生態から自然界の分解者という要素が強い。
    ・・・・・・・・・・・
    ってあった。
    〔自然界の分解者〕っていう意味でいい?

引用返信/返信 削除キー/
■30506 / inTopicNo.22)  Re[55]: 「意識」
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/04/30(Sun) 07:53:18)
    NO30501

    有名なヒトとチンパンジーの違いの実験だね。



    A+B=2



    文字 記号 文字 記号 数字 の羅列
引用返信/返信 削除キー/
■30501 / inTopicNo.23)  Re[54]: 「意識」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/29(Sat) 17:00:45)
    「他我問題」っていうのあるみたいで、コトバンクに、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    〈他人の心〉をいかにしてわれわれは知りうるかという哲学的問題。例えば,友人と赤の交通信号を見る。そのとき私と友人の赤の感覚は同じだろうか違うだろうか。あるいは,友人はそもそも何かの色を感じているのだろうか。それを直接にテストする方法はありえない。私は友人ではないからである。しかし間接的方法ならある,というのがこの〈他我問題〉での類推説である。赤を見たときの私の行動的反応と友人のそれとがほぼ同じならば友人は私とほぼ同じ感覚をもったと類推できる,というのである。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    一部抜き出しました。

    でね、サリーとアン課題――「心の理論」っていうのを想い出した。
    【『はじめて出会う心理学』長谷川寿一・東條正樹・大島尚・丹野義彦[著]発行所有斐閣2000】
    のなかで、
    〔・・・・他者の心の状態(信念・欲求)を推測し、他者の行動の予測したり解釈したりする能力は「心の理論」とよばれるものです。理論というとどこかおおげさな響きがありますが、直接、目には見えない心の状態を推測し、それに基づいて他者の行動を予測したり説明するのですから、他者の心についてのセオリーということなのです。・・・・〕(p60)
    ってある。
    たしかに「理論」っていうと、、、、、
    で、「実用日本語表現辞典」に、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    *セオリー(theory)とは、物事の因果関係や法則性を体系的かつ合理的に説明するための知識・思考・見解、という意味で用いられる言葉。日本語では「理論」「学説」または「〜論」、文脈によっては「持論」や「定石」の意味で用いられることも多い。
    *英語の theory(セオリー)は、基本的には、仮説や推論によって論理的に導き出された一般的原理を指す語である。セオリーは普遍的な真理を意味するわけではない。相反するセオリーが同時的に併存する場合も少なくない。
    *日本語における「セオリー」は、経験的に有効・妥当・最善・無難であると見込まれる(蓋然性が高い)方法や手順、といった意味で用いられることが多い。たとえば「面接試験におけるセオリー通りの受け答え」といえば「当たり障りのない模範的な返し方」を意味する。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    ってあった。日と英では「セオリー」の意味が微妙にちがうのかな?

    「心の理論」っていうの、もうすでにみなさま知ってると思うけど、わたしの復習のために。
    今日は、
    心の理論 / サリーとアン課題 / 他者理解 (theprompt.jp)
    に、絵があるので、それをまねしてわたしが描いたのを添付します。

    このなかに書いてあるのを一部書いて見ます。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    @サリーとアンがお部屋にいます。
    Aサリーは大好きなボールをカゴの中に入れました。
    Bサリーはお部屋から出て行きました。
    Cアンはカゴの中のボールを箱の中に移しました。
    Dサリーが戻ってきました。
    という物語を子どもに聞かせます。

    ここで子どもに質問を出します。

    質問1: ボールはどこにありますか? (カゴの中ですか、箱の中ですか?)
    質問2: ボールで遊びたいサリーは、どこを探しますか? (カゴの中ですか、箱の中ですか?)

    質問1の答えは、「箱の中」ですね。これは、子どもが物語を正しく理解したかを確認するための質問です。本当の質問は2番なんです。質問2の答えは、「カゴの中」ですね。

    子どもが、サリーの心の中を理解していると、「カゴの中」を探すと答えられます。この様に他者を理解する能力のことを「心の理論」と呼ばれるのです。

    普通の子どもの場合、3歳児はほとんどの子が間違えて、4歳ぐらいから正解が増えてくると言われています。「心の理論」は3歳ぐらいで芽生えると言われてきましたが、最近の研究では1歳半ぐらいから芽生えているのだそうです。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    直接、目で見ることができない他者の心の状態(信念・欲求)を推測し、他者の行動の予測したり解釈したりする能力は、一般的に、けっこう早くに持ってるみたい。こういうのって、アプリオリなのかも?

    もっとも大人になってもこの能力がプア〜な人もいるかも?だけど。あ、違うかも?大人になるにつれて、余計な理論が染みついちゃって原初で自然なこの能力がだんだん萎縮してしまってる、こっちの方かな?

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引用返信/返信 削除キー/
■30454 / inTopicNo.24)  NO TITLE
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/04/24(Mon) 21:00:22)
    「人間いつか死ぬのよね」

    死後の世界を信じてる信者は、
    この意味を知らない。

    今日はちょっと酔ってる。
引用返信/返信 削除キー/

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